第38話 氷雷の舞曲
──霊狐宮・東回廊。
静謐な夜が明けかけていた。
神聖な空気に包まれたその場に、ふたつの足音が並ぶ。
「……昨日は、よく眠れましたの?」
問いかけたのは、エスメラルダだった。
その横顔は微笑を湛えていたが、
どこかまだ疲労が残る印象を受ける。
「うーん、まあね。あんな空気の後じゃ、ね」
エリュシアが腕を組みながら返す。
けれど口調はどこか柔らかかった。
昨夜の“宣戦布告”のようなやりとりも、
今は火が落ちた焚き火のように、
温度だけが残っている。
「イゼルカ様、持ち直してくれたみたいね」
「ええ。エリオス様のお力……奇跡のようですわね」
エスメラルダの言葉に、エリュシアが横目でちらりと見る。
「全く、どうなっているのかしらね」
「本当に、ずるい魔法ですわ」
ふたりの間に、くすりとした笑いが漏れる。
だが、その和やかな時間も長くは続かなかった。
──ギィ、という木の軋む音。
次いで、風の流れが変わった。
「……感じる?」
エリュシアが剣の柄に手をかける。
「ええ。……魔力の揺らぎ。結界の外……東南の森」
エスメラルダもまた目を細める。
その時、背後から静かに駆けてくる足音。
「エリュシア様、エスメラルダ様──!」
マリアの声は、かすかに緊迫していた。
「数体、強力な魔物が向かっているようです!」
「強力な魔物……?」
「“こんな時”だからこそ、かもしれませんわ」
エスメラルダは平静を保ったまま呟くが、
脳裏にはイゼルカの弱体化を狙った卑怯な連中に対しての
怒りが渦巻いていた。
「ふぅん……いいわね」
エリュシアはゆっくりと剣を抜いた。
「昨夜、ちょっと熱くなったぶん──少し体を動かしたかったのよ」
「ふふ、それならご一緒に。
わたくしも、“冷やしに”行くつもりでしたの」
その笑顔はどこまでも優雅で、けれど確かに戦場の顔だった。
「対処に向かってるのは?」
「その方向ではアルフィーネ様のみです!」
「レイドたちは?」
「レイドとロガルド様、ヴィクトラン様も別件ではありますが、
ほぼおなじ理由で討伐に向かわれました」
「あらそれ、"同時攻撃"ってわけですのね?」
挑戦とも取れるこの攻撃に対して、
二人の公爵令嬢は誰だか知らないが
鼻っ柱を圧し折ってやるという勢いで、マリアに返答した。
「マリア、アルフィーネに伝えて。――“わたしたちも出る”って」
エリュシアの声には、凛とした決意が宿っていた。
「承知いたしました!」
マリアが一礼し、風のように駆け去る。
──そして、空が明ける。
光とともに、霧がわずかに揺れる。
それは静かな、だが確かな“前兆”だった。
────────────────
──それは、風の音に混じっていた。
最初に異変を察知したのは、アルフィーネ・グラッセだった。
霊狐宮から東南に伸びる森の奥、
結界の外縁に微かに“揺らぎ”が走ったのだ。
「……侵入の兆し。複数の反応あります」
彼女は淡々とそう呟くと、氷の符を一枚、空中へ放った。
すぐに集まったのは、エリュシア、エスメラルダ、そしてマリア。
「相手は?」
エリュシアが即座に剣を引き抜く。
「B級以上、影鬼(シャドウオーガ)と推定されます」
アルフィーネの声は静かだったが、
言葉には緊張が混ざっていた。
「私が先行して“凍結”します。公爵家のおふたりは殲滅を」
「わかったわ、任せなさい」
エリュシアが微笑む。対するエスメラルダは優雅に片手を上げて答えた。
「では、わたくしが“舞”をもってお相手いたしましょう」
────────
四人の影が、霧に包まれた森の中に踏み込む。
──東南の結界外縁。
濃霧が這うように広がり、草木の匂いすら掻き消されるほどに重い空気。
風が通るたびに木々が呻き、
そのたび、森が何かを喉奥で笑っているかのように応じていた。
「……視界が悪すぎる。気配が乱れてるわね」
エリュシアが剣の柄を軽く打ち、小さく舌打ちする。
「なんとも深い霧ですこと......」
エスメラルダは周囲の霧を即座に氷霧と変え、
さながら湯気のように踊っている。
「……アルフィーネ、反応数は?」
「三体……ですが“接近速度が異常”です。ご注意を」
アルフィーネの瞳が冷たく細まる。
その口調には一切の乱れがなかった。
「来る!」
マリアが叫ぶのと同時、森の闇が裂けた。
──影鬼(シャドウオーガ)三体。
漆黒の毛皮に覆われた巨体、歪んだ腕には鉤爪のような骨。
目は赤黒く輝き、涎を垂らしながら、牙を剥いて突進してくる。
だが、その威圧は──一瞬で、崩れた。
「氷結領域・展開──“極圏”」
アルフィーネが指を鳴らすと同時、
地を這うように氷の紋章が一斉に広がった。
大地が鳴動し、白銀の結界が森の中を瞬時に塗り替える。
霧さえも凍てつき、魔物たちの動きが急激に鈍化した。
「……足を止めました。今です、お二人とも」
「了解。じゃあ、私からいくわ」
エリュシアが前へと飛び出す。
その動きは疾風のようでありながら、鋭利な矢でもあった。
風を切る音とともに剣が唸り、最前の影鬼の胸を一直線に裂く。
突き刺した剣を引き抜くと、反転して回転斬り。
影鬼の膝を斬り、転倒したところに踏み込み、喉元を一閃。
雷を帯びた剣先が、放電により花のような光景を生み出す。
「そっち、任せたわよ!」
「ふふ、綺麗に片づけましたわね?」
エスメラルダのドレスが、風に靡いた。
その身に纏う魔力が、雪のように空間へと舞い落ちる。
「……“霧氷の
瞬間、空間の温度がさらに数段階下がり、
氷の粒が物理現象を無視して上昇、
彼女の意図する軌道に沿って“刃”となる。
彼女の周囲に咲き乱れたのは、蒼銀の氷の花。
花びら一枚一枚が鋭く、
気流に乗って舞い散るたび、影鬼の皮膚を裂いていく。
「動きが封じられている今なら、
貴族らしく……優雅に終わらせましょう?」
氷の円舞が完成した瞬間、第二、第三の影鬼が一斉に倒れ込む。
その向こうに立つふたりの姿は、
まさに“王都の頂”に並ぶ令嬢たちだった。
──戦闘、終了。
所要時間、わずか三分四十五秒。
魔物たちは、氷と雷の血統魔法によって無力化された。
その圧倒的な力は、“戦術”というより“支配”。
「……なるほど」
アルフィーネが、霧の後方から静かに歩み寄る。
「やはり公爵家ともなると格が違いますね......」
エリュシアは別系統なのでともかく、エスメラルダは完全に同系統。
氷や冷気を操るアルフィーネからすれば、
彼女は完全に格上に映ったのだ。
「気になさらないで、魔法とは"こういうもの"ですから」
血統魔法、残酷だがそれは才能に
近しい"生まれ持った物"なのだ。
「お怪我されないと、私の立つ瀬がないじゃないですか」
マリアの冗談めかした口調に、
ふと、緊張の線が切れたように笑う四人。
しかし、血統を超えるべくして生み出された少女が、
今まさにもぬけの殻となった"霊狐宮"に到達したのだ......
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