第30話 制御と変革と龍娘
──かつてロールスロイス公爵家の威光を誇ったシュタルク要塞は、
いまや魔王の支配下に堕ち、魔物たちによって再構築されつつあった。
崩れた城壁は所々が荒々しく修理され、焼けた兵舎には異形の旗がはためいている。
そして異様なのは、魔物たちの行動だ。
それは“無秩序”ではなかった。
彼らは人間のように整然と働いているのである。
「……統制は良好、魔力の伝達も安定しているようだな」
天守台から見下ろす男──ザルヴァ=アインは、
異形化した左腕を軍服の下に隠しながら、
整然と行進する魔物たちを見つめていた。
軍人然とした姿のその男からは、無言の威圧が放たれている。
「
あたしはもう少し、混沌が見たかったんだけどなぁ」
ふらりと現れたのは、乱れた白衣を羽織ったクラナ・メルヴィッツ。
青い瞳に浮かぶのは好奇心とも狂気ともつかぬ光。
「いつまでもお前のようにフラフラとされても困る」
「まぁそりゃあねー」
軽く目をこするクラナ、寝不足なのである。
ふぁー、と欠伸をすると軽い報告をする。
「魔物たちの再構成は順調。下層区画の“第六実験区”では、
魔力再適合型の試験体が3体、動作可能レベルまで成長してる」
「……第六か。あそこは“失敗作”の隔離区画だったはずだが」
「それがね? 今は”適合率61%”まで上がってる。
魔王様の“揺らぎ”が実験に影響してるのかも。
あの方の力って、思ってた以上に面白い……♪」
クラナはメスシリンダーをくるくると指で回しながら、
悪戯を仕掛ける子供のように笑う。
「我らは“面白さ”のために動いているわけではない」
「わかってるってばぁ。
でも“面白い”って価値なのよ?
あたしはそれを見届けたいだけ」
そんなふうに語る彼女の声音には、
底の見えない興味だけが込められていた。
そのとき、天守の空気が微かに揺れる。
重い気配が周囲を満たし、静かに足音が響いた。
「……戻ったのか」
ザルヴァの声に応えるように、ジルヴァンが姿を現す。
外套の裾に焦げ跡があり、その腕には力なく寄り添うようにエウラがいた。
「少し……荒れたネ。だが、収穫はあった」
エウラの琥珀色の瞳はかすかに濁り、だがどこか“熱”を帯びていた。
「……もう一人、いた。氷の……」
「氷?」クラナが瞳を細める。
「エスメラルダ・フォン・ロールスロイス。
エリオスとの協調で、エウラを初めて傷つけた存在ダ」
「 ”伝統派”のロールスロイス家、か」
ザルヴァが静かに呟く。
ジルヴァンの表情がわずかに歪む。
「エリオスの魔法は、 魔法の遅延、そして彼女の氷は、
空間に対する支配力を持つ」
「厄介だな、それは」
「──あの二人、組まれると面倒だネ」
「ふふ、”危機感”ってやつ?」
クラナが口元を抑えて笑う。
「……お前は、危機感という言葉を知らんのか」
ザルヴァが静かに問いかけるが、
クラナは口を窄め、ぴゅーぴゅーと鳴らしてごまかす。
エウラは静かに顔を上げる。
「……わたし、もう一度"あの人"と戦いたい」
その声は、どこか感情の宿った、初めての“望み”だった。
「あらまぁ......感情なんてどこで覚えてきたのぉ!?
可愛くなっちゃてぇ」
クラナは感動するようにエウラに駆け寄り頬ずりする。
それをザルヴァは見下ろし、やがてゆっくりと背を向ける。
「感情を抱いた以上、お前はもう “兵器” ではいられん」
「失礼な! 兵器じゃないよこの子は!」
クラナの抗議にザルヴァは呆れたように答える。
「我々が行うのは単なる戦いではない。
"戦争"だ。
戦争では規律こそ最も強力な力......」
「えー、つまんない!」
「お前は戦わないのだから関係ないだろうッ!」
ちぇっ、と口を尖らせたクラナは、舌打ちにも似た不満を吐き、
エウラから距離を取る。
「......今のまま戦争しても、勝算はないと思うケド」
その一言が場に波紋を広げた。
ジルヴァンの言葉に、ザルヴァの黒い瞳がわずかに鋭さを増す。
「否定はせんが、肯定もせんぞ?」
短く、だが確実に圧を含んだ返答が落ちる。
クラナはやや離れた瓦礫の上に腰かけると、
膝の上で魔導書を広げ、指先でその光素を撫でた。
「ま、でも“第二の使者”の揺らぎが安定すれば、
勝ち目はあると思うよぉ。……あたしの計算通りなら、ね?」
軽口を叩きながらも、その声の奥には確かな自信が滲んでいた。
「その“揺らぎ”が敵側に共鳴した場合はどうする」
ザルヴァの問いは冷えきっていたが、
その中に焦りにも似た現実的な懸念があるのを、ジルヴァンは感じ取った。
クラナは一瞬、指を止め、小首をかしげた。
「それはそれで……面白くない?」
その一言に、ザルヴァの左手が微かに動く。
「貴様……」
怒りというよりも、呆れが滲む。
だがクラナは悪びれる様子もなく、
シリンダーを揺らしながら笑ってみせた。
「冗談冗談。あたしだって“作品”が壊れるのは嫌なのよ?」
ジルヴァンは沈黙を保っていたが、
その視線はまっすぐにエウラへ向けられていた。
白と茶の混じった髪、琥珀の瞳。
そして、その奥にかすかに芽吹きはじめた“感情”という異物。
「エリオスの力は、今のエウラがもっとも影響を受けやすい要素ダネ......」
その言葉に、ザルヴァはほんの僅か、眉を動かす。
「……心を持った兵器は、“戦士”にもなり得るが、
同時に“裏切り”も起こす」
その声には、苛立ちと警戒が等しく混ざっていた。
エウラはそのやり取りを静かに聞いていた。
まるで、何かを“理解しよう”としているかのように。
「……裏切りって、なに?」
その純粋すぎる問いに、一瞬、場の空気が凍る。
クラナでさえ笑わず、ジルヴァンも言葉を探すように沈黙する。
──誰も答えられなかった。
その場にいた全員が、どこかで“理解”していた。
エウラのこの問いこそが、すでに“ノイズ”であることを。
ジルヴァンは、やがて淡く笑い、肩をすくめて言った。
「気にしなくていいヨ……それよりザルヴァ、
感情の芽生えが危険なら、俺らが最初から“間違ってる”ってことになる」
その声音には、軽さの裏に明確な意志が宿っていた。
ザルヴァの眉が動き、ゆっくりとジルヴァンへ向き直る。
「“兵器”に"心"を与えて、どうするつもりだ」
ジルヴァンは、エウラの背中越しにザルヴァを見据え、
口元を僅かに吊り上げる。
「“心”のない兵器なんて、結局は”王都”と同じやり方じゃないカ?」
低く、押し殺したような笑い声が漏れた。
「……それとも、君は“人間だった頃”の自分を、完全に捨てたつもり?」
その言葉に、ザルヴァの黒い眼光が静かに鋭さを帯びる。
「我は ‘捨てた’ のではない。 ‘見限った’のだ、
ザルヴァの声は、静かであるがゆえに重い。
その言葉の奥には、かつて王都に背を向けられた者だけが抱ける、
深く凍りついた怒りがあった。
ジルヴァンは肩をすくめ、半ば戯けたように笑った。
「なら、せめて “違う形”で破壊してみせてよ。
ボクは “血の支配”より、“理不尽を否定する力”が欲しいんだ」
「……フンッ、理想で戦場は動かん」
ザルヴァの声は変わらず低く、ぶれることはなかった。
「我が必要とするのは ”制御された秩序”。
反乱も激情も、“戦争”ではただのノイズだ」
ジルヴァンは、わずかに目を細める。
「その制御が ”変革” を妨げるんだヨ。
……君の指揮術も、無駄じゃないけれど、結局はネ?」
それ以上、ザルヴァは言葉を返さなかった。
ただ、エウラの背を見つめ続けていた。
その瞳の奥には、かつて“心”というものを持っていた誰かの、
残滓のような色が一瞬だけ、揺らぐ。
誰もが口を閉ざす中で、エウラが一歩、前に出る。
琥珀色の瞳が揺れていた。
そこに宿るのは、戦闘の興奮でも、指示を待つ従順さでもない。
「……わたし、ずっとわからなかった」
その声は、かすかに震えていた。
「……ただ“命令”があったから、動いてただけ」
彼女は、そっと自分の胸元に手を当てる。
「でも、エリオスと戦った時……剣が届いた瞬間……」
エウラは視線を落とし、
血が伝ったあの一撃を思い出すように、指先を見つめた。
その小さな指先に触れた赤は、すでに乾き、記憶の中で熱を帯びていた。
「——“面白かった”。でも、同時に……“残念だった”」
クラナが目を丸くする。
「ほぉぉ……感情二種、同時に体感? これは興味深い……!」
白衣の袖が揺れるほど身を乗り出し、
彼女はメモに高速で記録を刻み始める。
「わたし、“傷ついた”ことで、ようやく生きてるって思った」
その言葉に、この場の全員が微かに息を呑んだ。
エウラの紡ぐ言葉ひとつひとつに嘘はない。
「“もう一度、感じたい”。……あの剣の、冷たさ。あの目の、まっすぐさ」
エウラの声音は、徐々に熱を帯びていく。
「わたし、もう一度……“エリオス”を──」
クラナのペンが止まる。
ザルヴァは、ほんのわずかに眉を寄せた。
ジルヴァンに至っては、片手が腰の武器に自然と伸びていた。
その言葉は、もはや命令による行動ではなかった。
彼女自身が選び、望み、口にした――
「「”壊したい────!”」」
空気が一度、重力を失ったように歪み、
次の瞬間には真逆の圧が全体を押し潰しかける。
ジルヴァン、ザルヴァはゾッとする。
瞬時に戦闘本能が警鐘を鳴らした。
無邪気な殺意の波動。
幼子とは思えない不気味な笑み。
そして、底知れない“死龍の力”が空間に波紋を生み出す。
空間の温度が数度、下がる。
まるでこの場だけが“生者の領域”から切り離されていくようだった。
エウラの足元に魔力ではない、
“存在”そのものを侵食する圧が掛かる。
彼女は笑っていた。
楽しげに。無垢に。
その口元には微笑が浮かび、頬にはわずかな紅潮さえ見えた。
「……ああ、“遊んで”ほしいな」
そう呟く声は、まるで恋する少女のように甘く――
だが、その奥に宿った“何か”は、まるで“人間のふりをした何か”だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます