第28話 神秘との謁見

──霊狐宮・謁見の間 前

 荘厳な石造りの廊下を進みながら、エリオスは ため息をついた 。


 「……なんでこんなに緊張感あるの?」


 「そりゃあ、"霊狐姫"様との謁見ですからね」


 横で歩くエリュシアが苦笑する。


 「辺境大公・イゼルカ様……"人外"の領域に

 踏み込んでいる方よ」


 「"人外"ねぇ……」


 エリオスはなんとなく前を見つめる。

 目の前の扉の向こうに待つ存在が、

 常識で測れないことだけは、直感で理解していた。


 「……まぁ、どうにかなると思いたいな」


 そんな呟きを、すぐ横で聞いていた

 エスメラルダが クスッと笑った 。


 「あら、余裕ですのね?」


 「そのあたりは庶民にはあまり分からないからな」


 「まぁ、あなたのそういう"楽天的なところ"が、

 妙に周囲を安心させるのでしょうけれど」


 「……それ、褒めてるの?」


 「さあ、どうかしら?」


 そんな軽口を叩きながらも、彼らは 謁見の間の扉の前 までたどり着く。


 「……では、お入りください」


 扉の前の侍女が、静かに告げた。


 そして──


 重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。


──霊狐宮・謁見の間


 辺境の領主 霊狐姫 の前で、二人の令嬢が静かに並び立つ。

 対立しがちな彼女たちだが、今この場では協力関係にある。


 エリュシアが 一歩前へ出ると、静かな声で口を開いた。


 「イゼルカ様、突然の訪問をお許しください。」


 その凛とした表情に、イゼルカは 冷静な瞳で応じた。


 「構わぬ。何用じゃ?」


 エリュシアは 強い眼差しを向ける。


 「辺境における"魔物の襲撃"が、

  ここ最近、明らかに増えています。」


 イゼルカは 少し考えるように目を細めた。


 「ふむ……確かにな。」


 すると、すぐ隣で エスメラルダが静かに微笑んだ。


 「……ええ。"貴族"として、

  私たちはこの事態を見過ごすことはできませんわ。」


 彼女は優雅に 裾を整えながら、言葉を続ける。


 「そこで、霊狐姫であられる貴女に"ご協力"をお願いしたく……。」


 イゼルカは じっと彼女たちを見つめた。

 二つの公爵家が "同じ目的で動いている" ことは、

 珍しいことだった。


 イゼルカは 軽く顎を撫でながら、呟く。


 「……ほう? ロールスロイスとラグナディアが"並び立つ"とはな」


 エリュシアは 少し不機嫌そうに顔をしかめた。


 「私たちが対立しているのは、個人的な問題です。

  ですが、"民を守る"という目的においては……

  協力するのが合理的です。」


 エスメラルダも 穏やかに微笑む。


 「ええ。"仲違い"はしても、"目的"は同じですわ。」


 イゼルカは くつくつと小さく笑う。


 「ふむ……貴族の論理か。まあ、よかろう。」


 彼女は 玉座に肘をつき、静かに言葉を続けた。


 「確かに"魔物"の活動は活発になっておる。

  ワシも、このまま放置するつもりはない。」


 その答えに、エリュシアとエスメラルダは 僅かに安堵の色を見せた。


 「それなら──」


  イゼルカが ゆるりと手を上げ ると、謁見の間の空気が張り詰めた。

 エリュシアとエスメラルダの言葉が、すんでのところで遮られる。


 イゼルカは 冷ややかな眼差しで、二人の令嬢を見下ろした。


 「……貴様ら、"覚悟"はできておるのか?」


 静寂が落ちる。

 エリュシアが まっすぐにイゼルカを見据える。


 「もちろんです。私たちは、この危機を軽視しておりません」


 エスメラルダも 穏やかに微笑んだまま、優雅に言葉を続ける。


 「ええ。貴族として、責務を果たす所存ですわ。」


 イゼルカは くつくつと笑う。


 「ふむ……本当に、それだけか?」


 エリュシアとエスメラルダが、一瞬だけ目を合わせる。

 イゼルカの瞳が 鋭く光る。


 「余をここで引き出し"この件を国家問題に発展させたい"という意図。

 あるのではないか?」


  その言葉に、エリュシアは 一瞬表情を強張らせた。

 しかし、すぐに 堂々とした態度を取り直す。


 「……他家が協力しない以上、国家としての決断が必要です」


 エスメラルダも 静かに微笑む。


 「"国を動かす"ためには、それ相応の"事実"が求められますわ。

  そのために、貴方様の協力をお願いしたいのです」


 イゼルカは 小さく鼻を鳴らした。


 「ほう……もう少し言い訳を並べるかと思えば、

 随分と"素直"ではないか?」


 エリュシアは 堂々と頷く。


 「隠すつもりはありません」


 イゼルカは 満足げに微笑む。


 「ふむ、"無駄な隠し事"をしないのはよいことじゃ」


 その声には どこか余裕があった。


 「確かに、この問題を国家規模へと引き上げることには"意義"がある。

  貴族どもが"無関心"を決め込む以上、

  何らかの強制力を持たねば、対策は後手に回るじゃろう」


 エリュシアとエスメラルダは 静かに頷く。


 イゼルカは 目を細め、鋭く見据えた。


 「……だが、公爵家単体ならいざ知らず、

 "国家"が動くとき、そこには必ず"別の策謀"が絡む」


 その言葉に、エリュシアとエスメラルダは 小さく息を呑む。


 イゼルカの声が、低く響く。


 「──"魔王"の影がな」


 沈黙が広がる。


 エリュシアの眉が僅かに動く。

 エスメラルダは 軽く指を組んで、冷静に微笑む。


 「……やはり、"察して"おられましたのね?」


 「ふむ……いや、ちょうど耳に入ったばかりじゃ」


 イゼルカの何気ない一言が、場の空気を見事にぶち壊した。


 「まあ冗談はさておき、ワシは長く生きておる。

  "魔王"の存在など、何度も見てきた」


 彼女は、ゆっくりと 玉座に背を預ける。


 「そして、"魔王"が現れたとき、

  決まって"愚か者ども"が、それに踊らされる」


 「王都でも、まさか既に......」


 「ふん……」


 イゼルカの瞳が 冷たく光る。


 「だがのう、"そんなもの"は幾度となく現れ、

 そして消えていくもの」


 彼女は、指をゆっくりと 空中でなぞる。

 それだけで、辺境の霊気が微かに振動した。


 「"魔王"とやらは、いつも己を特別と信じ、

  自らの力に酔いしれる」


 その声音には、深い侮蔑が滲んでいた。

 エリュシアとエスメラルダでさえ、 わずかに息を呑む。


 「最初は上手くいくが、後は続かないのはそう言う事じゃ」


 イゼルカの 静かな、しかし揺るがぬ声が響いた。

 彼女の金色の瞳が、貴族令嬢たちを じっと見つめる。

 エリュシアは 真っ直ぐにその視線を受け止めた。


 「ふむ……まあ、よかろう。」


 彼女は ゆるりと目を細め、静かに頷いた。


 「辺境の者として、この"脅威"を見過ごすつもりはない。」


 エスメラルダが 穏やかに微笑む。


 「ありがとうございます!」


 若者二人の青さに、イゼルカは、ふっと微笑む。

 しかし、それはどこか悪戯っぽく、何かを企んでいるような表情だった。


 「ところで……」


 彼女の視線が、すっと二人の後ろ、エリオスへと移る。


 エリオスは、"不味い"と言わんばかりに小さく肩をすくめた。

 イゼルカが何を考えているのか、まったく読めない。


 「お主が"例の庶民"か?」


 静寂が落ちる。

 それまでの重々しい雰囲気とは一転、場の空気が妙に軽くなる。


 エリュシアが「あっ」と思った時にはもう遅かった。

 エスメラルダが「まあ」と微笑む。


 「イゼルカ様、"庶民"とは少し……」


 エリュシアがどっちつかずの反応をする。


 「いや、事実じゃろう? それとも"貴族"の皮を被った、

 とした方がええか?」


 「いえ、それは……」


 エリオスも同じく口ごもる一方で、

 エスメラルダがほんの僅かに口角を上げる。


 「"庶民"で合っておりますよ。

  ただし"適応訓練中"ですが」


 「ほう?」


 イゼルカの目が愉快そうに光る。


 「"適応訓練中"とな? ふむ、それで……どの程度"適応"したつもりじゃ?」


 エリオスは肩をすくめる。


 「貴族社会は、"礼儀"と"建前"と"欺瞞"でできているらしいので、

  とりあえず最低限のマナーくらいは身につけたつもりですが」


 エスメラルダがクスリと笑い、

 苦笑いするエリュシアの方を見やる。


 「なるほど。"貴族適応指南役"をつけた甲斐はありましたわね」


 イゼルカはくつくつと笑い、手をひらひらと振った。


 「ふむ、"適応中"となると、まだ完全には貴族にはなりきれておらぬか?」


 「なる予定もないですけどね」


 その瞬間、イゼルカの口元が持ち上がる。


 「そうか?"ならぬ"か!ハハ、愉快愉快!」


  彼女は楽しげに微笑みながら、玉座の肘掛けに身を預けた。


 「ワシはの、"伝統"を重んじ、こう見えても貴族の理も、

 "理"として尊重しておるつもりじゃ。

 だが、お主のような"外れ値"も、また面白い」


 イゼルカの金色の瞳が、僅かに興味を帯びた光を湛え、

 エリオスを見据える。  

 彼は苦笑しながら、なんとなく落ち着かない気分になった。


 「……そうですか?」


 「"庶民"でありながら、貴族の社会に入り込み、

 "貴族ですら持たぬ魔法"を使うとはな。

 お主、なかなかに"理"を乱しそうな存在じゃの?」


 イゼルカの言葉に、エリオスの眉が微かに動いた。


 「"理"ですか……?」


 彼は、何気ない言葉の裏に潜む意味を測ろうとしたが、

 イゼルカの表情は穏やかで、深い考えを読ませない。


 「まあそう深く気にせぬがよい。

 ワシはただ"面白い"と思っただけじゃ」


  そう言って、イゼルカはわずかに身を乗り出した。

 しばし無言のままエリオスを観察すると、ゆるりと頷く。

 「……しかしのう、お主の"ソレ"、少々妙な気配を感じるのじゃが?」


 イゼルカが、じっとエリオスを見つめる。


 「妙な気配って……どういう意味ですか?」


 「ふむ……説明しづらいのう。言葉にするならば……"霊気が乱れる"というか」


  イゼルカは指を軽く動かし、空間に微かな波紋を生じさせる。

 その瞬間、部屋の空気がわずかに変質したのを、エリオスは肌で感じた。


 「……?」


 「この宮には、"霊の理"が流れとる。

 じゃが、お主がおると、それが"曖昧"になるのじゃ。」


 イゼルカの瞳が、獲物を見極める狩人のように鋭く光る。


 「まるで、お主の周りだけ"霊力が確定しない"かのように、な。」


 エリオスは言葉に詰まる。

 それは、彼が今まで感覚的に理解していた

 "不明"特性に、どこか通じるものがあった。

 しかし、イゼルカが指摘したのは"魔法"ではなく、"霊力"への影響──


 「……もしかして、俺の魔法が"霊的な何か"を邪魔してるってことですか?」


 エリオスが慎重に問うと、イゼルカはゆるりと微笑んだ。


 「ふむ、そうとも言えるし、そうでないとも言える。」


  彼女は、玉座から立ち上がり、静かに歩み寄る。

 その動作は優雅で、しかし底知れぬ力を孕んでいた。


 「"魔力"とは、人の定めた理によるもの。

 だが、"霊の理"は、それとは異なる"原初の流れ"じゃ。

 お主の力は……それすら境界を"曖昧"にする」


 イゼルカはふっと息をつき、じっとエリオスを見つめた。


 「──お主、自分の力の本質を、理解しておるか?」


  その問いに、エリオスは一瞬だけ答えに詰まる。

 イゼルカの言葉は、何か核心を突こうとしているようでありながら、

 決して踏み込みすぎない。


 (これは……探られているのか?)


 エリオスは、慎重に答えた。


 「……正直なところ、俺自身も完全には理解していません」


 イゼルカの唇がわずかに持ち上がる。


 「ならば、"それ"を理解するのも、また面白かろうのう」


 彼女の言葉には、探究心と、そして──

 僅かな警戒心が、確かに滲んでいた。


 「ただ、自分の力に"吞まれる"ことには気を付けるんじゃな」


  どういうことか、と訝しがるエリオスを横目に

 イゼルカはくすくすと笑いながら、玉座へと戻る。

 

 「まあよい。いずれ分かるじゃろうて」


  しかし、エリオスはまだ気づいていない。

 イゼルカが、彼の"本質"に既に興味を抱き、

 同時に一つの"警戒"を抱き始めたことを。

 表向きの微笑の裏で、霊狐姫は静かに"エリオス"を測り始めていた──


 ──パンパンッ!


 イゼルカが空気を変えるかのように、掌を軽く打ち鳴らした。


 「まあこんな堅苦しい話は終いにして、

 ちょっと散歩でもせんかの?」


 イゼルカは誘う。


 異国情緒の箱庭、カーヴェンへ───

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る