第21話 再来
崩れかけたシュタルク要塞の坂道を駆け上がりながら、
エリオスは荒い息を吐いた。
戦場にはまだ火の手が上がり、第三城壁ドレーヘンの防壁は、
辛うじて防衛を維持している。
別ルートで戦っているガルヴァン率いる部隊が、
魔物を食い止めているという報告が入ったのはついさっきのことだった。
とはいえ、それがどれほどの時間持つのかは分からない。
可能ならすぐにでも応援に向かう必要がある。
「足を止めないで、エリオス」
セラの声が、焦りもなく淡々と響く。
魔力の消耗は激しいはずなのに、彼女の歩調は乱れていない。
エリオスは背後を振り返る。
負傷兵たちは後方へと退避していく。
大天守閣の防衛に向かえるのは、自分とセラの二人だけ。
(あえて"二人だけ"を選んだ……セラの意図は明白だな)
足手纏いを増やさないため、が理由タテマエ。
ただ、もはや隊のほとんどはまともに動ける状態ではなかったのも事実。
「……どうせ死地に飛び込むなら、
最低限の戦力で行く方が合理的でしょ?」
彼女の声音はいつも通り淡々としているが、
その奥に潜む"本音"は、彼には見えていた。
────────────
戦禍に晒されていない豪華絢爛な大天守の門前にたどり着くと、
そこには数名の騎士たちが構えていた。
彼らの鎧はロールスロイス公爵家の紋章を刻んでいる。
「身分を確認する、名を名乗れ!」
声を上げたのは、鍛え抜かれた肉体を誇る壮年の騎士。
深紅のマントをなびかせるその男は、
シュタルク要塞防衛戦の現場指揮官にして、
ロールスロイス公爵家の忠臣、男爵アラン・ヴァルクストだった。
エリオスはすぐに口を開く。
「エリオス・ルクレイ。
ラグナディア公爵家、蒼鋼隊第一連隊所属」
「セラ・フォーグレイヴ、同じく蒼鋼隊第一連隊副隊長。
エスメラルダ様は?」
アランは二人をじっと見つめ、深く頷いた。
「ご苦労だった。大天守はまだ防衛を維持しているが……
この戦況では、いつ魔物が襲ってきてもおかしくない」
彼の言葉に、周囲の騎士たちも引き締まった表情を浮かべる。
「エスメラルダ様は、天守の奥におられる。
君たちが報告に来たなら通すが、正直なところ、
庶民出の君がどこまで役に立つか……」
なぜ連れてきた、と言わんばかりに
セラの方を見やるアラン。
「......弱かったら道中で死んでるわ」
「それもそうだな!」
一本取られたと言わんばかりに笑うアランに、
セラは冷ややかな視線を送る。
エリオスは言葉を返さず、
静かに周囲の騎士たちの物珍しい視線を受け止めた。
(この場にいる貴族たちの視線は、王都と変わらないな……)
「……ともかく、中へ入れ」
アランが門を開かせる。
────────────
大天守閣の大扉を押し開くと、荘厳な広間が現れる。
黄金の装飾が施された石壁、魔法で強化された天井の装飾、
かつての華やかさを思わせる空間が広がっていた。
まさにこの空間は戦火や緊張とは無縁の世界──
中央の椅子に、淡い緑のドレスをまとった女性が静かに座していた。
まるで翡翠を磨き上げたかのような気品と、洗練された佇まい。
豊かに波打つ白銀の髪は月光を浴びた絹糸のように輝き、
長い睫毛に縁取られた瞳は、明度の高い湖のような碧色を湛え、
見る者を吸い込むような静かな威厳を放っていた。
彼女こそ "エスメラルダ・フォン・ロールスロイス"
この要塞のまさに"指揮権"を握る指揮系統の頂点である。
貴族然とした優雅な佇まい。どこまでも整った仕草。
まるで戦乱の中にあってなお、
自分だけは汚れぬと言わんばかりの余裕を漂わせていた......が
彼女は涼しげな微笑を浮かべ、見下ろすような視線を向けてきた。
そして、まるで娯楽でも始まるかのように、楽しげに口を開く。
「まあ、まあ。まさかこの場に、
"庶民の魔法使い"が現れるなんて……
一体どんな風の吹き回しですの?」
エリオスは、わずかに眉をひそめた。
彼女は口調こそ上品だが、
言葉の棘がはっきりと突き刺さるように配置されている。
「貴族の天守に庶民が踏み込むなんて、
ずいぶん興味深い事態ですわね。
それも、あの問題児エリュシアの"婚約者"が。
どういうおつもりかしら?」
───挑発。
エリュシアの名前を持ち出しながら、あえて"問題児"と評する。
それがどういう意図か、考えるまでもない。
「それとも、"貴族社会を揺るがす異端の庶民"として、
この場にいるのかしら?
エリュシアを操って、何かを企んでいるのではなくて?」
操る? 企む?
エリオスは軽くため息をつき、肩をすくめた。
「残念ながら、俺はそんな器用な男じゃないな。
俺は俺の意思でここにいるだけだ」
「まあ、なんてつまらない答え……」
エスメラルダは、まるで退屈そうに笑う。
「まあ、それはいいですわ。ところで——」
彼女は優雅に身を乗り出し、興味深げにエリオスを覗き込む。
「……あなた、本当にエリュシアと婚約するつもりがあるの?」
唐突な質問だった。
エリオスは反応に困る。
「……?」
「婚約それ、"利用されているだけ"だと思いません?」
エスメラルダの瞳が、不敵な光を宿す。
その問いかけは、まるで"エリュシアと貴族社会の関係性そのもの"を試すようだった。
「……あの子は昔から、"欲しいものを手に入れるために手段を選ばない"
性格でしたわ。あなたも、薄々気づいているのでしょう?」
「……」
エリオスは無言で彼女を見た。
(それは——)
「ふふ、今の顔。図星だったかしら?」
エスメラルダは満足げに微笑む。
挑発的な微笑、余裕に満ちた態度、
それでいて確実に"核心"に迫る言葉選び。
彼女の問いかけは、単なる好奇心や娯楽ではなく、
貴族ならではの"試し"であった。
——貴族としての駆け引きを理解しているかどうか。
——そして、エリュシアという存在をどう認識しているのか。
エスメラルダはおそらく、それを見極めようとしている。
だが、こちらが何も答えない限り、"答え"は
彼女の中で都合よく作り上げられるだけだ。
沈黙を破ったのは、静かで、感情のこもらぬ声だった。
「エリュシアが俺をどう思っているかは、俺が考えることじゃない」
「まあ?」
エスメラルダの笑みが僅かに深まる。
「あなた、それで納得できるの?」
エリオスは小さく息を吐き、肩をすくめた。
「納得も何も、俺はエリュシアの行動に
いちいち理由を求めるつもりはない。」
「……ふぅん?」
エスメラルダは視線を細める。
言葉の一つ一つを吟味するように、わずかに首を傾げながら。
「それは——"エリュシアがどれだけあなたを利用しても構わない"と?」
エスメラルダは意図的に"利用"という言葉を強調した。
貴族にとって、誰が誰を利用するかは極めて重要な問題だ。
それは単なる感情の話ではなく、"立場"の話である。
利用される者は、"駒"に成り下がる。
貴族社会において、それは"敗北"を意味することが多い。
——そして彼女は、エリオスが"駒"のままかどうかを確かめている。
「利用も何も、今の状況はエリュシアからの"借り物"だしな」
エリオスは、わずかに口角を上げた。
それが作られた余裕ではないことを示すように。
「ただ、利用されることが"問題"だとは思っていない」
エスメラルダの瞳が一瞬、光を帯びた。
その変化を、エリオスは見逃さなかった。
「……なるほど?」
彼女は興味を持ったように視線を向けると、
指先で静かにドレスの裾をなぞりながら、観察するように問う。
「ならば、お聞きしましょう。"問題"ではないとして……
"利用する側"になるつもりは?」
それこそが、貴族の本質的な問いだった。
"利用されるか、利用するか"
貴族社会においては、それ以外の立場はない。
ただの駒でいるか、盤上を動かす者になるか。
「……」
エリオスは一瞬考えた。
少なくとも彼は、貴族のルールの中で生きることを望んでいない。
貴族の社会を理解し、対処することは必要だが、
貴族の"思考"に染まるつもりもない。
それを、どう答えるべきか——
「"利用"という言葉は適切じゃない、が......」
あえて、エリオスは否定の言葉を選んだ。
「"利用されるだけ"でもない」
エスメラルダの瞳が、試すように揺れる。
彼女は微笑んだまま、しかしその笑みはわずかに深まっていた。
それは"挑発が成功しなかった"ことを悟りつつ、
それでも"予想以上の相手"に出会った時の表情だった。
「では、あなたの考える"関係"とは何かしら?」
「──対等であることだ。」
即答した。
「……対等?」
エスメラルダは、驚いたように片眉を上げる。
「面白いことを言いますわね。"対等"なんて、社会ではまず存在しませんのに?」
「だからこそ、俺はそれを求める」
エリオスは淡々と続けた。
「エリュシアにとっても、俺にとっても、利用し合うことが"目的"ではない。
利用し合うのではなく、共に"何かを得る"関係であるべきだ」
その言葉に、エスメラルダの笑みが一瞬止まる。
彼女はしばし沈黙し、指先で椅子の肘掛けを軽くなぞった。
そして、静かに息を吐く。
「……随分と"貴族らしくない"考えですこと。」
エリオスは微かに笑った。
「俺は貴族じゃないからな」
その瞬間、エスメラルダは声を立てて笑った。
その笑いは、愉快そうでありながら、どこか驚きの混じったものだった。
「なるほど……これは"想定外"ですわね」
彼女は優雅に椅子から立ち上がると、エリオスを見下ろす形で言った。
「庶民なのに魔法を使い、
かといって魔法が使える貴族のような"思考"を持たず、
貴族を動かそうとする......"面白い"ですわ」
「貴族きみたちを動かすつもりはないさ。」
エリオスは肩をすくめる。
「ふふ、それはどうかしらね?」
エスメラルダは微笑む。
その瞳は、深い湖のように澄んでいるが、底が見えない。
天守の広間に張り詰めた空気は、冷たく静かだった。
ふと、エスメラルダが立ち上がり、微かに視線を外へと向ける。
「……妙ね」
彼女は、何かを察したように微かに呟く。
「ちょうどアフタヌーンティーの時間帯なのですけど」
準備がされない事に違和感を感じている様子だった。
突然.......
──────ギィィィィ……
誰も触れていないはずの天守の扉が、音を立てて開いた。
「……?」
誰もが、そこに"何か"を感じた。
しかし、衝撃はない。
扉が、あたかも当然のように開かれたのだ。
そこに立っていたのは、二つの影。
一人は、悠然と歩を進める男。
黒い軍服めいた装いをまとい、戦場の喧騒すら"意味のないもの"
とでも言いたげな、余裕に満ちた態度。
ジルヴァン・ドレイク。
そして、その横に並ぶのは、もう一人。
金色の髪を揺らしながら、何の感情も浮かべない"幼女"。
年の頃は十歳前後。
膝まで届くような長い金髪をなびかせ、まるで人形のように整った顔立ち。
華奢な体つきをしているが、彼女の存在が発する"圧"は異様だった。
——本能が告げる。
(……こいつは危険だ)
エリオスは、思わず身構えた。
だが、幼女はただ無表情のまま、
無機質な瞳で広間を見回すだけだった。
「……門番はどうした?」
アランが静かに問う。
それに対して、ジルヴァンは肩をすくめた。
「さあ、どうしたのかね? 気づいたら、いなかったヨ?」
「……貴様」
アランが剣を抜こうとするが、エスメラルダが手を上げて制した。
「"気づいたらいなかった"、
ね……ずいぶんと"静かな侵入"をなさったことですわ」
エスメラルダは薄く微笑む。
しかし、その目は鋭く、観察するようにジルヴァンを見据えていた。
「なにせ戦場は騒がしいからネェ。
こういう時は、静かに歩く方が粋ってものでショ?」
ジルヴァンは軽く笑う。
戦場の喧騒を背にしているはずなのに、彼の歩調は乱れず、悠然としている。
エリオスは静かに剣を握りしめながら、
ジルヴァンと、そして幼女の方へと視線を向けた。
「……で、そっちの子は?」
「ああ、紹介が遅れたネェ。彼女は"私の同伴者"だヨ。」
ジルヴァンが軽く片手を上げる。
「名前は……今は伏せておこうか。
まあ、"危ない"ことだけは保証するヨ。」
その言葉に、エリオスの背中を冷たい汗が流れた。
彼の直感が、警鐘を鳴らしている。
(……ヤバい)
まだ動きすら見せていないのに、
この幼女から放たれるプレッシャーにも似た"存在感"は、
生物の生存本能を容易に赤く点滅させる。
「さて……」
ジルヴァンは手袋を嵌め直しながら、微笑を深める。
「まさかこんなところに、庶民派法術師が。
久しぶりだネ!」
その言葉に、エリオスは表情を変えずに応じた。
「……戦場で話か?」
「なんか随分と嫌われたものだネ......!
話だけなら、血を流す必要はないヨ」
ジルヴァンは、あくまで"交渉人"のように振る舞う。
しかし——
その背後で、金髪の幼女がわずかに首を傾げた。
そして、まるで思考するように、静かに呟いた。
「……"敵"?」
その瞬間——
空気が凍った。
広間の温度が下がったかのように全員に鳥肌が立つ。
彼女はただ琥珀色の瞳でエリオスを見つめる。
ただ"敵"と呟いただけで、空間が変わる。
「まてまて、判断するのはまだ早いヨ」
ジルヴァンが幼女の肩に手を置くと、彼女はすぐに沈黙した。
しかし、その瞳は、エリオスを静かに捉え続けていた。
(……違う)
エリオスは確信した。
この幼女は、単なる危ないだけの存在ではない。
——まるで"強大な"魔物を内に飼っているかのようだ。
「では、"交渉"といこうか」
ジルヴァンは笑い、悠然と広間の中心へ歩みを進める。
そして、天井を見上げ、静かに呟いた。
「まず先に……いいものを見せてあげよう」
その瞬間——
エリオス達の視線は、天井へと向けられた。
そこにあるはずの天井は斬り飛ばされ、
天空の大結界が見え——
「まずはサプライズ!」
"それ"は、貫通されていたのだ。
「……なんだと……!?」
「これは……どういうこと?」
エスメラルダが眉を寄せる。
ジルヴァンは、ゆっくりと視線を戻し、
今度はエスメラルダを見た。
「取引さ、ト リ ヒ キ!」
彼の笑みが、冷たく歪む。
世界の定義を"壊す者"、"作る者"、"変える者"
この三者が不気味にも邂逅してしまった──────
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