第19話 半無自覚遅延魔法

 蒼鋼隊の一隊が丘を降り、要塞へ向かうために平野を進む。


 地面を踏みしめるごとに、わずかな振動が足元を伝って広がる。


 エリオスは無意識のうちに剣の柄を握り直し、目の前の光景を睨んだ。




 赤黒い毛並みを持つ無数の猪──


 **血顎猪ブラッドボア**が、咆哮と共に荒野を埋め尽くしている。


 その数、目算でも百を超えていた。




 「……おかしい」


 エリオスは思わず口にする。




 普通、ブラッドボアの群れは多くても三十匹程度。


 群れを成す魔物とはいえ、これほどの数が一カ所に集中することはあり得ない。




 「多すぎる……しかも統制が取れている?」




 前衛の猪たちは一直線に並び、その後方には密集した一団が控える。


 隊列が崩れることなく、突撃の準備を整えていた。


 ブラッドボアの目標は──頭の向きを考慮して、要塞南方門だろう。




 「ただの魔物の群れに見えるか?」


 エリオスはセラに問う。




 セラは槍を軽く肩に担ぎながら、眉をひそめた。


 「確かに変ね。普通ならバラバラに突っ込んでくるのに……」




  突然、ブラッドボアの群れが一斉に吠えた。


 耳をつんざくような咆哮とともに、大地が震える。




 先頭の一団が突進を開始した。




 「来るぞ!」




 カウフマンが短く指示を出す。


 セラは一歩引いた位置から、槍の先端に魔力を込める。




 エリオスは剣を構え、目前に迫るブラッドボアへ向き合った。


 猪たちの突進は凄まじい。


 乾いた大地を蹴り、突風のように駆け抜ける群れ。


 それはまるで、統制の取れた騎馬隊の突撃を思わせた。




 (村で戦った時は、もっと単調だった……)




 群れ全体が、明らかに"計算された動き"をしている。




 「前衛、盾を構えろ!」




 カウフマンの指示が飛ぶ。


 ロールスロイス家の騎士数人が大盾を構え、立膝をつき、 


 突進の衝撃を抑える。




 ──ドォォン!!




 巨体がぶつかり、金属と肉が軋む音が響く。


 盾を持つ騎士たちが後方へ弾かれ、衝撃で転倒する者もいる。


 だが自領であるため、士気は極めて高い。




  エリオスはその光景をまずは観察する。




 ブラッドボアは確かに獰猛な魔物だが、実は明確な行動パターンがある。


 だが、今回の敵はパターン化された動きに加えて"揺さぶり"をかけてくる。


 通常ならまっすぐ突っ込んでくるはずなのに、急に軌道を変える個体がいる。




 「……あり得ない」




  エリオスは違和感を覚えるが、それを考える余裕はなかった。


 盾兵が倒れた瞬間に、それを狙うように別のブラッドボアが動いたからだ。


 


  まるで知性でもあるかのように────




 ロールスロイス家の騎士が今にも蹄で圧し潰されそうになる。




 「前に出る!」


 エリオスは低く言い、盾兵の間を抜けて前へ躍り出る。




 飛び込んできたブラッドボアに向けて、剣を振るった。


 刃は猪の脇腹を捉え、鋭い傷を刻む。


 だが、即死には至らず、猪は怒りの咆哮を上げて反撃を試みる。




 ───その瞬間。




 周囲の猪の動きが一気に"鈍る"。




 エリオスはこの"遅れ"を無意識のうちに、それを感じ取った。




 (……またこれだ──)




 急所である眉間を振るのが遅れたブラッドボア。


 エリオスの剣が深く突き刺さり、四肢からぐったりと崩れ落ちた。




 だが、それを考える暇もなく、さらに別の猪が突進してくる。




  「……やれる」




 エリオスは、次の猪の動きを"観察"した。


 突進の際にブラッドボアは頭蓋骨部分から背面にかけて、


 強化魔法を自ら付与する。




 それがエリオスの前では致命的なのだ。


 しかしそれは、彼自身も理解できない"異質な感覚"......。




 エリオスは次々と間合いを詰め、


 突進の停止により猪たちの集団行動を狂わせながら、


 眉間への一撃で仕留めていった。




  ──ロールスロイス家の騎士たちが、


 目の前の光景に言葉を失った。


 エリオスの戦いぶりは、単なる剣技ではない。


 それはまるで魔物を倒しやすいように"制御"して、


 駆除しているかのように見えた。




 「これが、魔法……?」




 カウフマンが僅かに目を細める。


 しかし、すぐにその考えを振り払うように視線を戻した。




 ──ドドドドドドドドドッ




 後方には地面から伸びる高さ20メートルほどの一本の巨大な石柱が


 出来上がっている。


 これはセラの準備完了の合図だ。


 


 エリオスは瞬時に状況を判断し、戦列を下げるように指示する。




 「……じゃあ、一掃する──」




 セラは高所から見下ろすと、槍の先端に魔力を込める。




 「グランドスパイク」




 大地に突き刺された瞬間、巨槍から魔力が滾り、地面が揺れる。


 瞬間、地面から巨大な岩の槍が数百以上も突き出し、


 ブラッドボアの群れを突き上げた。




 「──ッ!」




 数十体の猪が吹き飛ばされるか、串刺しとなるか、


 地面に叩きつけられる。


 セラの一撃は、この群れを根絶するのに20秒と掛からない。




 騎士たちがセラの広域殲滅魔法に感嘆する中、エリオスは考える。


 村に来ていたブラッドボアはこんな戦い方をしただろうか.......と。


 


  エリオスの脳裏に、不穏な違和感がよぎる。


 そもそもブラッドボアはこんな群れ方はしないのだ。




 (まさか、魔物を"統率する存在"がいる……?)




 「先へ進むぞ。このまま、外郭へ入る」




 エリオスとセラ、蒼鋼隊の面々が外郭へと迫る。




────────────




 外郭の門をくぐると、そこには荒廃した戦場が広がっていた。


 焼け焦げた石畳、崩れた建物、そして血の跡。戦いの爪痕は濃いが、


 そこにあるはずの死体が見当たらない。




 エリオスは剣の柄を握り、慎重に周囲を見渡した。


 さっきまでの物量戦とは違う。ここに潜むのは、別種の脅威。




 「……妙に静かね」


 セラが槍を軽く担ぎながら、足元の瓦礫を蹴る。




 「戦いの痕跡はあるが……死体がないな」


 カウフマンが低く呟く。




 確かに、血の跡はあれど、魔物も兵士も見当たらない。




 「撤退した……?」


 エリオスが言いかけた、その瞬間だった。




 ──ガキィン!




 鋭い金属音が背後で弾ける。


 刹那、肩口を何かが掠め、地面に突き刺さった。




 それは──禍々しい刀身を持った黒い短剣。




  「ッ!? そこかッ!」




 エリオスが即座に剣を振り上げると、


 漆黒の闇が揺らぎ、歪んだ影が形を成した。




 巨大な影の中から、牙をむいた魔物が姿を現す。


 長身の体躯、粘りつくような黒い皮膚。


 まるで月のない夜に溶け込むような、不気味な存在。




 「──影鬼シャドウオーガ……」


 カウフマンが低く呟く。




 「チッ、"戦術級"ね……」


 セラが表情を引き締め、槍の先端に魔力を込める。




 影鬼は地面に着地するや否や、一瞬で姿を消した。


 ──影の中へ。




 「来る、これは消えたわけじゃない──」


 


 セラの言葉にエリオスは頷き、周囲に気を張る。


 そして警告とほぼ同時に、背後から強烈な殺気が襲う────




 「「がぁぁぁぁぁぁ!!」」




 刹那、響く悲鳴。


 3人の騎士が影の刃に引き裂かれ、瞬く間に9つの塊となって崩れる。




 「だ、駄目だ──ッ!」




 甲冑の擦れる音と共に、カウフマンの部下の一人が


 恐怖に駆られ逃げ出そうとする。




 ──だが、影が素早く蠢いた。




 本来なら光で生まれるはずの影が、自ら意思を持つように動き、


 その足元を絡め取る。




 次の瞬間、その兵士の体がピタリと止まる。


 そして、脳天から股下にかけて一直線に裂け、


 2つに分かれた断面が互い違いに倒れ込んだ。




 「影鬼……影を媒介にした移動を行う魔物か……」




 エリオスが言葉を呑んだ瞬間、


 既に影鬼の斬撃が迫っていた。




 ──間に合わない。




 (違う、"遅らせろ")




 その思考と同時に、


 エリオスの周囲の空気が僅かに"歪む"。




 ──影鬼の刃が、寸前で"鈍る"。




 「……今だ!」




 エリオスはその遅れを利用し、剣を振り上げ、


 陰に対して突き立てる──


 


  ザワザワと影が歪にうごめき、その醜悪な胴体が陰から浮き上がる。


 刃は影鬼の胴体に生々しい傷をつけており、


 魔物は呻き声を上げながら再び影へと溶け込んだ。




 「今の……なんなんだ……?」




 カウフマンが僅かに目を細める。




 エリオス自身、完全には理解していなかった。


 だが、確かに"発動"した。




 「今のがエリオスの"魔法"……?」


 セラが興味深そうに呟く。




 影鬼は再び姿を現したが、今度は距離を取っていた。


 その目には、明らかな"警戒"が宿っている。




 「……賢いわね」


 セラが微かに笑みを浮かべる。


 「ここで──仕留めるッ!」




 ──次の瞬間、セラの槍が音もなく放たれた。




 影鬼が再び影へと逃げ込もうとする……が。




 エリオスの"遅延"が、影への転移を一瞬だけ阻害する。




 影鬼の動きが僅かに鈍った刹那、槍がその眉間を貫いた。




 ──ドォン!




 影鬼の巨体がその場に崩れ落ちる。




 「……戦果は五分五分ね」


 セラが槍を回しながら息を吐いた。




 驚きを隠せないカウフマンが改めてエリオスを見た。




 「影への転移すら、遅らせるのか……」




 エリオスは何も言わずに剣を収める。




 彼自身もまだ、自分の"規格外"の力を


 完全には理解していないのだ───

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