第18話 婚約者の魔法

  王都アルサメルの学園は、その壮麗な佇まいから


 「貴族の未来を育む庭」とも称される。




  白亜の石造りの校舎は、荘厳なる神殿を思わせ、


 天を貫くかのようにそびえ立っている。


 蔦が絡みつく尖塔の間を、鋭く切り込むようなアーチ型の回廊が貫き、


 光を受けて鈍く輝く。




 中庭には精巧に刈り込まれた生垣が幾何学模様を描き、


 その奥には噴水が煌めきながら貴族の優雅な暮らしを象徴していた。


 ここは、ただの学舎ではない。




 ここは、王都貴族社会の縮図。




 貴族であることを証明し、未来の支配者としての資格を示す場。




 そんな学園の中央広場に、彼はいた。




 アルヴィス・フォン・マイバッハ。




 学園の貴族伝統派を率いる男。深みのある深紅の髪が陽光を反射し、


 気品ある碧眼が静かに周囲を睥睨する。


 彼の立つ姿は、まさに「貴族の中の貴族」。


 その周囲には、数多の貴族たちが集まり、整然とした円を描く。




 その中心へ、エリュシア・グランヴェール・ラグナディアが歩を進めた。




 彼女の姿が現れるや否や、広場にざわめきが広がる。


 彼女は、家を飛び出した公爵令嬢。


 庶民と関わり、貴族社会の枠を逸脱した者。




 「ようこそ、ラグナディア公」




 アルヴィスの声音は穏やかだった。しかし、その瞳には冷徹な光が宿り、


 相手の隙を見極める鋭利な観察者のように細められていた。


 彼の指先は軽く組まれたままだが、その姿勢には一切の揺らぎがない。


 周囲の取り巻きは霞み、彼の存在が圧倒的な威圧感を放っていた。




 エリュシアは足を止める。




 「……珍しいわね、わざわざ迎えてくれるなんて」




 「当然だ。君は特別だからね」




  仮面をただ張り付けたような笑顔を作り、


 アルヴィスが一歩、前へと進み出る。




 周囲の貴族たちがそれに倣い、自然と道を塞ぐ形となる。




 「それで、何か用?」




 「用?いや、用ではない。


 これは忠告、いや、警告だ」




 「それはどうも、要らぬおせっかいよ」




 エリュシアは踵を返し、立ち去ろうとする。




 「......君は貴族社会を愚弄しているのか?」




  その言葉に、場の空気が張り詰める。


 空気だけではなく、周囲の魔力の流れも異様なほどに高まる。




 「家を飛び出し、庶民と交わり、学園に戻る。


 それで君は何を証明しようとしている?」




 その問いかけに、周囲の貴族たちが一斉に囁き始めた。




 「エリュシア・グランヴェール・ラグナディアは、学園に戻る資格があるのか?」




 「もはや公爵令嬢ではないのでは?」




 「庶民と関わった貴族に、何の価値がある?」




 しかし、エリュシアは眉一つ動かさず、冷ややかにアルヴィスを見つめた。




 「……私が貴族であるかどうかは、あなたたちが決めることなのかしら?」




 「当然だろう」




 アルヴィスの表情に、わずかな冷笑が浮かぶ。




 「貴族とは、統治する者。支配する者。貴族社会の未来を導く者だ。


 君のように外の世界に足を踏み入れ、溺れるべきではない」




 「つまり、貴族は閉ざされた存在であるべき、と?」




 アルヴィスの右の頬が僅かに痙攣する。




 「......庶民がどれほど優れた魔法を持とうと、支配するのは我々だ。


 戦うだけなら、下級貴族でもできる。


 しかし、支配することは選ばれた者、そう我々上級貴族にしか許されない」




 アルヴィスの言葉に、周囲の貴族たちが頷く。




 「なるほどね。では、庶民は貴族にとって何?」




 「統治される存在。それ以上でも、それ以下でもない」




 エリュシアは薄く微笑んだ。




 「あなたの目には、庶民はただの道具にしか映らないのね」




 「道具かどうかではない。


 決めるのは、我々貴族だ」




 エリュシアは静かに息を吐く。




 「傲慢で尊大なのは勝手にしなさい」




 「さっきから話を理解できていないようだが、


 お父上様から一体何を教わったんだい?」


 


 周囲の嘲笑に、エリュシアはふっと笑みを浮かべる。




 「……ただそれを強制することができる程、強ければ、の話ね」




 瞬間、アルヴィスの碧眼が鋭く光った。




 「……何が言いたい?」




 「私が貴族としての価値を証明する方法は、


 あなたたちが考えているようなただ"統治するだけ"じゃないわ。


 この学園に戻った以上、私は私の方法で、貴族の価値を示してみせる」




 エリュシアは剣を抜く。


 その刹那、周囲の魔力がわずかに揺らぐ。




 「”時遅封印クロノディレイ”」




 その名を口にした瞬間、空気が変わる。




 アルヴィスが目を細めた。




 「……聞いたことのない魔法だな」




 「当然よ。これは '私の婚約者' の魔法。


 そして、私の”新たな力”」




 次の瞬間、ラグナディアの家紋が刻まれた柄に揺らぎが生じる。




 「......まあ、名付けたのは私なのですけど──」




 ──白銀の靄が剣に纏うように膨張する。




 「もし。あなたにこれからの時代の統治者としての実力があるなら……


 試させてもらってもよろしくて?」




 アルヴィスが微かに笑う。




 「ふ……面白い」




 彼もまた、剣を構えた。




 広場に集う貴族たちが息を呑む。




 エリュシアとアルヴィスの間に、魔力が渦を巻き、


 アルヴィスが剣を構えた瞬間、エリュシアが踏み込む。




 足元の大理石が砕け、跳ね飛ばすほどの瞬発力。


 剣に纏う白銀の靄が膨張し、まるで時間の波が揺らぐように広場全体を包み込む。




 「流石は公爵令嬢、並みの貴族では太刀打ちできないだろう」




  アルヴィスもその絶対的な"貴族のスペック"を認めるかのように、


 突進の一撃を両手で構えた剣で受ける。




 「さあ、次はどうする?エリュシア・グランヴェール・ラグナディアッ!!」




 エリュシアはこの時を待っていたかのように目を見開いた───




 「時遅封印クロノディレイ」


  


  その名を告げると同時に、エリュシアの剣が通る軌道に沿って、


 魔力の波が広がる。


 それは剣を中心に、わずかに空間に浸透していく。




 アルヴィスはまるで水の中にいるかのような違和感に襲われた。


 しかし風の動き、遠くで響いていた貴族たちの囁きはリアルタイム。




 ──そして、アルヴィスが気づく。




 "自身の動きがわずかに遅れている" ことに。




 「……っ!? これは……」




 思考が遅れるわけではない。


 しかし、意識よりも手の動きが、魔力の流れが、確実に "わずかに" 遅れている。




 だが、戦闘においてこの遅れは、致命的な隙となる。




  エリュシアの剣がその隙を狙うことは予想できた。


 アルヴィスは即座に 血統魔法"超振動結界" を展開する。


 ──空間が震えるほどの威力がエリュシアを襲う


 


 ハズだった──




 振動波に触れる以前に、"魔法の発動そのもの" が遅れていた。




 「……っ!?」




 衝撃を分散するはずの結界が、


 エリュシアの剣を寸でで受け止める前に──結界は脆く砕ける。




 エリオスの"異質な魔法" を模倣したエリュシアの戦い方は、


 貴族伝統派の"体系化された対処" に対する "予測不能の攻撃" ───




 ──アルヴィスの頬に、わずかに浅い切り傷が刻まれた。




 広場が静まり返る。




 「……!?」


 「アルヴィス様が……傷を負った……?」


 「な、なんだこの魔法……!?」




 取り巻きの貴族たちが信じられないという表情で息を呑む。




 貴族伝統派の誇りたる "マイバッハ家の伝統剣技" に、"綻び" が生じたのだ。




 エリュシアは剣を下げ、冷静に微笑む。




 「……思ったよりも、"完璧" じゃないのね?」




 アルヴィスの碧眼が鋭く光る。


 彼のプライドに、確かに "小さな傷" が刻まれた。




 「……なるほど。面白い」




 アルヴィスは剣を握り直し、冷ややかに微笑む。


 しかし、その視線の奥には確かな怒りが宿っていた。




 「"魔法そのもの"に干渉する魔法か……? そんなものが、実在するとはな」




 「あるのよ。"私の婚約者" が証明したわ」




 その言葉に、アルヴィスの眉が僅かに動く。




 「これでも剣で触れたものくらいにしか作用しない局所的なモノなのだけれどね」




 「……庶民が……か?」




 エリュシアは微かに笑みを深める。




 「そう。彼の力は、"貴族社会の常識" では測れない」




 「……ならば、それを貴族社会に持ち込もうとするのか?」




 「そうするかどうかは、まだ決めていないわ。


 でも、もし貴族の頂点に立つというなら、


 それすらも受け入れる器量が必要でしょう?」




 アルヴィスの表情が微かに歪む。


 それは、認めたくない何かを突きつけられた表情。




 「君の言葉通り……"統治する者" には、"力" も必要だ」




 頬を伝う血を人差し指で軽く拭う。




 「───だが、"本物の力" は、その庶民のような即席の魔法では通用しない」




 ""超振動結界""




 剣を振るう軌道に沿って、空間が震え始める。


 振動は結界へと繋がり、防御と攻撃を同時に成立させる――


 これが、アルヴィスの超振動結界のロジック......




 刃が空を裂いた途端──空間そのものが "揺れ" た。




 「っ……!」




 エリュシアは即座にその攻撃を受ける。


 目には見えないが、剣の斬撃が届くはずのない距離でも "衝撃波" が襲いかかる。


 地面の敷石が細かく震え、砂塵が舞い上がる。




 それは──ただの剣技ではない。


 アルヴィスの剣は、"物理と魔法の両方を無効化する防壁" として機能している。


 攻撃と防御を兼ね備えた、まさに血統魔法を重視する"貴族の戦闘技術"。




 「なるほど。確かに選ばれた貴族の戦い方ね」


 


  だが、エリュシアは余裕そうに口元を歪める。


 


 「───なぜ、立っていられる......?」




  振動する結界の一部を剣で内側から切り飛ばし、


 その振動で如何なる物も切断する───はずなのだが、


 エリュシアはそれを真正面から受け止めたのだ。




 「時遅封印<クロノディレイ>は触れた魔法を遅らせるわ」




 エリオスの"異常なほど広域に適応"されるものではなく、


 あくまでも剣周囲という"スポット"限定だが、


 エリュシアはこれを防御にも転用した。




 「頭が固いのよ、今の貴族は───」




 アルヴィスの表情から余裕の文字は消えている。


 


 ──そして、もう一度剣を構えようとした、その瞬間。




 「「そこまでです」」




 冷たい声が響いた。




 その声と共に、空間に圧がかかる。




 まるで見えない手が戦場全体を押さえつけるような感覚。


 そして、魔力が一瞬で封じられる。




 エリュシアもアルヴィスも、その力に抗うことなく、剣を静かに下ろす。




 教師のバーバルラ・アンダーセンが入ったのだ。




 「学園内での決闘は禁じられています。


 ……お二人とも、貴族であるなら、それくらいの分別はお持ちのはずでしょう?」




 広場の端から現れたのは、学園の教師の一人だった。


 彼は魔力抑制の結界を展開したまま、静かな声で言い放つ。




 アルヴィスは深く息を吐き、剣を鞘へ戻す。




 「……失礼した」




 エリュシアもまた、剣を納める。




 「ええ、私も。少し熱くなったわ」




 そう言いながらも、エリュシアの目には勝者の余裕が滲んでいた。




 教師は二人を見つめ、厳しい表情を崩さない。




 「この件は、ここで終わりという事にしてください。


 そして……これ以上の衝突は慎んでください」




 エリュシアとアルヴィスは、互いに一瞥を交わしながら、その場を後にする。




 背後で、貴族たちがざわめく声が響いた。




 「エリュシア様が……アルヴィス様を……?」


 「こんな戦い、見たことがない……」


 「まるで時を遅らせる魔法? そんなものが……」




 エリュシアはそれを聞き流しながら、歩を進めた。




 ──戦いは終わった。


 だが、これは始まりに過ぎないのだ───

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