第16話 難攻不落

 夜明け前のバラウータ駐屯地には、いつになく張り詰めた空気が漂っていた。


 兵士たちは各々の武器を点検し、馬を調整し、鎧の隙間を締め直している。


 誰もが手を止めず、黙々と出撃の準備を進めていた。




  エリオスは広場の片隅で、自分の剣を研いでいた。


 静かに砥石を滑らせながら、このリズムに落ち着く




  初任務として体験程度で終わると思った偵察任務は、


 五十名のうち、生還者は十二名という散々な結果となった。


 セラの機転と判断がなければエリオスもレオンも


 記録簿の中で「死亡」と書き換えられただろう。




 それなのに、また戦場へ赴かなければならない。


 それが "軍" というものだ。




 「よう、新入り。そろそろ心構えはできたか?」




 低く響く声が耳に届く。


 


 振り向くと、第一連隊隊長・ガルヴァン・ロシュフォールが立っていた。


 


 全長二メートルを超える大剣を片手で持ち、その屈強な肉体に鋼の鎧を纏っている。


 


 軍の実戦主義を体現する男。


 


 エリオスは刃を研ぐ手を止め、ゆっくりと顔を上げた。


 


 「……戦場に出る準備は整ってます」




 「違う。俺が聞いてるのは”心”の方だ」




 ガルヴァンの視線は、まるで試すように冷たい。




 「お前は戦場に出る覚悟はあるか?」




 覚悟。




 それは何度も問われてきた言葉だった。


 


 「……戦場に出る覚悟なんて、そんな大層なものはないです。


 ただ、ここで戦わなければ居場所はない──」




 エリオスは静かに答えた。




 「ふん、つまらん答えだな」




 ガルヴァンは嘆息し、大剣を地面に突き立てる。




 「いいか、戦場に出るなら自分のことだけ考えろ。


 "居場所の為に戦う" なんてぼやけた甘い考えなら、足元を掬われるぞ」




 エリオスは無言のまま、その言葉を噛みしめた。




 「……これが軍の覚悟なのか?」




 「違うな、処世術だ」




 ガルヴァンは短く答えると、大剣を肩に担ぎ、そのまま歩き去っていく。




 エリオスは剣を研ぎながら、その言葉を反芻した。


 


 黙って自分のことだけ考えろ。




 それが、軍のなのか......?




 「……考え込む暇があるなら、まだ余裕があるってこと」




 冷めた声がすぐ傍から聞こえた。




 エリオスはそちらを見る。




 そこには、第一連隊副隊長・セラ・フォーグレイヴが、


 槍を片手に立っていた。




 黒髪の隙間から覗く瞳は、相変わらず読めない。




 「……確かにそうかもな──」




 セラは歩み寄り、ゆっくりと足を止める。




 「……貴族様も困った時だけ軍に頼るのね」




 彼女の言葉は、嘲るような響きを帯びていた。




 「……貴族は何故戦わない?」




 エリオスが問い返すと、セラはわずかに微笑した。




 「軍は所詮軍、替えならいくらでも効くから──」




  そう言いながら、彼女は巨槍を片手に、


 門の方へ向かって歩き去っていく。




 エリオスは、その背を見つめながら考える。




  駐屯地の門の向こうでは、数十人の兵士たちが整列し、


 武器の最終点検を終えていた、蒼鋼隊第一連隊の精鋭たち。


 彼らは誰一人として言葉を発しない。ただ、出撃の号令を待つだけだった。




  エリオスは砥石を脇に置き、鞘に支給品の鉄剣を収める。


 左の腰に鉄剣、利き手ではない片方には重みの異なるもう一本。


 柄頭に刻まれたラグナディア公爵家の紋章が、僅かに朝陽を反射した。




 (軍は所詮軍、替えならいくらでも効く。)




 セラの言葉が頭にこびりついていた。




 "貴族社会" において、軍とは単なる道具でしかない。


 その認識が、ここでは "常識" だということか。




 「……行くぞ」




 不意にレオンが声をかけた。双剣を腰に吊るしたまま、エリオスの隣に並ぶ。




 「隊長は準備が整ったらしい。第一連隊、そろそろ出発だ」




 「了解」




 エリオスは立ち上がり、足元の砂埃を払い落とした。




 駐屯地の門がゆっくりと開かれると、冷えた朝の風が吹き抜けた。


 乾いた大地の向こうには、戦場が広がっている。




 「蒼鋼隊第一連隊、出撃!」




 号令とともに、馬の嘶きと鎧が軋む音が響く。


 重厚な足音が大地を踏み鳴らし、隊列が一斉に前進を開始する。




  エリオスもまた、鉄剣の鞘に手を添え、前へと歩を進めた。


 その隣ではレオンが双剣を腰に下げ、口元を引き締めている。




 「……いいか、エリオス」




 不意にレオンが声を潜めた。




 「これから先は、"次がある" なんて考えるなよ。


 やる事やったら、生き残ることだけ考えるんだ......」




 エリオスは小さく息を吐いた。


 次があるかどうかなんて、考える余裕すらない。




 「……わかってる」




 口にしたものの、その言葉が本当に自分の本心なのかはわからなかった。




────────────




  空が白み始める頃、蒼鋼隊第一連隊はロールスロイス公爵領の国境線を越えた。


 石畳の街道を行く馬の足音が、微かに乾いた大地へと響く。




 先頭より、ガルヴァン、セラに次いだ位置でエリオスは静かに前を見据えていた。


 


 数時間程歩いたころ、眼前に王都アルサメルとは異なる重厚な城郭を捉える。


  城壁には貴族の誇りを象徴する文様が刻まれ、


 整然とした軍の駐屯地が広がっている。




 だが、何かがおかしかった。




 通常なら見張りの兵が並び、行軍を確認するために迎えが出るはずだ。


 しかし、城門は静かに閉ざされ、見張りの姿もない。




 「……人手不足って感じだな」




 レオンがぼそりと呟く。




 その言葉を待っていたかのように、数名の騎馬兵が城門から姿を現した。


 彼らの鎧はロールスロイス公爵家の紋章を刻んだ黒銀の意匠を持つ。




 その先頭に立つのは、一人の壮年の男だった。




 「貴公らがラグナディア公爵家の蒼鋼隊か?」




 彼は鋭い眼光をエリオスたちへと向ける。


 その胸には、「伝令官ヘラルド」 を示す金の徽章が輝いていた。




 「私はロールスロイス公爵家直属の伝令官、マティアス・フォン・カウフマン である。


 貴公らの任務はすでに伝わっているはずだが、改めて正式な指令を伝える」




 彼は巻物を取り出し、騎乗したまま広げる。




 「現在、ロールスロイス公爵家の シュタルク要塞 が魔物の群れに襲撃を受けている」




 伝令官カウフマンの声が冷静に響く。




 「シュタルク要塞──?」




 エリオスの疑問にレオンが答える。




 「恐らく規模だけで言えば三本指に入る巨大要塞だ」




 「......規模だけじゃない。天下のトレヴァント家が関わった難攻不落の要塞さ」




 低く、それでいてどこか揶揄するような声が背後から響いた。




 エリオスとレオンは思わず声の主を振り向く。


 その男は他の連隊員と異なり、黒い外套を羽織り、鋭い灰色の瞳を持つ。


 戦場で焼かれたような荒れた肌に、髪は短く刈られ、その両手は常に組まれていた。




 「……誰?」 




 エリオスの問いに、レオンが苦笑交じりに呟いた。




 「おいおい、知らないのかよ。この人は”灰燼の賢者”だぜ?」




 「……?」 




 聞いたことのない名だ。  しかし、その異名に背筋が僅かに粟立つ。




 「ヴィンセント・グリードだよ。第一連隊の先任軍師」




 「先任……軍師?」 




 エリオスが驚いたのは、軍師という肩書ではなく、その雰囲気だった。




 ‘軍師’ と言えば、戦略と計略を練る後方指揮の専門家。


 だが、この男からは戦場に慣れた兵士の殺気すら滲んでいる。




 「ヴィンセント、どこをほっつき歩いてたの?」 




 セラが振り向くと、ヴィンセントは頭をかく。




 「……自由にやらせてもらってますよッ──と」




 ヴィンセントはエリオスの真剣な視線に気づいたのか、淡々と続けた。




 「で、要塞が魔物に襲われているんだったな?」 




 伝令官カウフマンが馬上から短く頷く。




 「その通りだ。我々はすでにシュタルク要塞へ増援を送っているが、


 第二城壁地区シュタルク・リグが陥落寸前だ。


 第三城壁ドレーヘンの防壁と中央塔ヴァルディアはまだ無事だ。


 だが、この要塞は難攻不落だと信じている」




 このカウフマンの威勢は、明らかに状況の切迫度合いと違う。




 「……ということは、持ちこたえてはいるが、完全に包囲されてるってことか」




 レオンが息を呑む。




 「これがシュタルク要塞じゃなかったら、


 とっくに落ちていただろうな」 




 ヴィンセントは淡々とそう言いながら、指で要塞の地図を示す。




 「三重三段の巨大な城郭、そこに敵の進路を強制するような通路の連続している......」




 エリオスが地図を見つめながら呟く。


 これなら中央塔にたどり着くまでに戦力が削り果てそうだ。


 


 「まあ、シュタルク要塞は破られたことがない要塞だが───」




 ヴィンセントが僅かに口元を歪める。




 「それが、今まさに破られようとしているってことだ!」




 「言葉を慎め、ヴィンセント」


 


 ガルヴァンが制止する


 しかしヴィンセントは伝令官カウフマンの方を向いて呟く。




 「いいか?難攻不落ってのは"絶対に落ちない"という意味じゃない」




 カウフマンはやや俯く。




 「その通りだ。だがその分、任務は明確だ。


 要塞に辿り着き、防衛部隊と合流。


 持ちこたえられるかどうかは、貴公らの力にかかっている」




 静かな緊張が場を支配する。




  伝令官カウフマンの言葉を受け、蒼鋼隊第一連隊の兵たちが沈黙する。


 誰もが、この要塞の規模と堅牢さを知っている。


 そして、それが今、"落ちかけている" という事実が、重く圧し掛かる。




 エリオスは地図を見下ろしながら、戦場の光景を頭の中で組み立てた。


 三重の城壁が守る堅牢な砦。


 侵攻してきた魔物は第一城壁を突破し、第二城壁シュタルク・リグを包囲。


 しかし、第三城壁ドレーヘンの防壁はまだ健在で、そこに防衛部隊が立て籠もっている。




 ――難攻不落。




 しかし、それは "落とされない" という意味ではない。


 ヴィンセントの言葉が耳に残る。




 「……現地を見れば、どう動くべきか分かるさ」




 ヴィンセントが肩をすくめるように言った───




 ────────────




 カウフマンを先頭に暫く進むと、稜線越しの遠くの空に、黒煙が立ち上るのが見えた。


 それは一本や二本ではない。


 何十もの煙柱が空中に水墨画を描く。




 「……クソッ、見ろよ。まるで地獄じゃねぇか」




 レオンが息を呑む。


 丘の向こうにそびえる巨大な城郭。


 シュタルク要塞の全容が視界に広がる。


 


 シュタルク要塞――その威容と、迫る脅威


 エリオスの目の前に広がるのは、都ではない戦闘用の"本物の要塞" だった。




 壁の高さは優に二十メートルを超え、


 巨大な鋼鉄の門が中央にそびえ立っている。


 城壁の上には無数の防御塔が配置され、弓兵や法術師たちが布陣しているのが見えた。




 だが、それ以上に圧倒的なのは、その規模だ。




 要塞の広さは、王都アルサメルの貴族街すら包み込めるほどだ。


 その内部には、いくつもの建造物が立ち並び、まるで小さな都市のように機能している。




 ――それが、今まさに包囲されようとしている。




 城壁の外側には、果てしなく続く魔物の群れ。


 数千、いや、もしかすると万にも達しているかもしれない。


 黒々とした影が大地を埋め尽くし、まるで蠢く波のように押し寄せていた。




 第二城壁シュタルク・リグの一部は既に崩れ、


 そこから侵入した魔物たちが要塞内部で暴れ回っている。


 点々と青や黄、赤の魔法らしき光点が見えるが、一部は飲まれるようにして消えていく。


 しかし、その規模からすれば些細な動きだ。




 「……っ、この状況でまだ持ちこたえてるのか……」




 エリオスは、要塞の中央にある巨大な塔に目を向けた。




 ――天守塔ヴァルディアの塔




  ロールスロイス公爵家の象徴であり、最後の防衛線。


 まだ戦火に侵されてはいないが、着実に魔物が押し寄せている。




 「……想像よりも時間がないな」




 ヴィンセントが小さく呟いた。




 「戦況はギリギリってところか」




 ガルヴァンは剣の柄に手をかける。


 第一連隊の兵たちも、徐々に緊張感を強めていく。




 「まだ要塞は持つが、どこまで保つかは分からん。


 天守閣が落ちれば、シュタルク要塞は終わる」




 ヴィンセントの灰色の瞳が、要塞を見据える。




 「さて――"難攻不落" を維持できるか、試してみるか」




 蒼鋼隊第一連隊は進軍を開始する。

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