第15話 援軍

  駐屯地の門が重々しく開いた瞬間、


 生還者たちの足音は砂を踏みしめるように鈍かった。


 どの顔にも疲労が滲み、誰一人として声を発しない。




  焚き火の灯りが揺らめく中、静まり返った広場に、


 無言で腰を下ろす兵士たち


 バラウータの駐屯地に戻り、最初に迎えたのは、


 兵士たちの無言の視線だった。




 エリオスは軍服の袖を見下ろす。


 布は泥と返り血でざらつき、傷だらけの腕に貼りついていた。


 乾いた血の匂いが鼻を突く。




  剣を握る手はまだ震えていた。冷たい金属の感触が、


 現実感を呼び戻す。




  喉はひどく渇いていた。


 飲み込もうとした唾液すら、焼けつくように喉に張り付く。


 周囲から向けられる視線が、いつもより重く感じた。




 「……帰ったか」




 そう呟いたのは、ガルヴァンだった。


 彼の視線は、エリオスではなく、


 その後ろ――戦場から運ばれた遺体の方を向いている。




 「とりあえず、休憩だ」




 冷たい石の床に座り込む。


 王都アルサメルを出発し、戦地へと向かったエリオスは、


 軍という組織の現実を、たったの一度の偵察任務で思い知った。




  その横で遺体は整然と並べられていく。


 顔に布がかけられ、名簿の上に、彼らの名前が記されていく。




 ガルヴァンが一人ずつ名前を確認しながら、冷静に記録していた。




 「グレゴール・ストラウス、死亡」


 「アレン・リヒト、死亡」


 「マルコ・デルヴァン、行方不明」




 "死亡" という言葉が、一人ずつ刻まれる。




 それはまるで、戦場での生死が "ただの事務処理" のように


 片付けられていくかのようだった。


 それが、軍という組織の "当たり前" なのか......




 ──五十名の偵察隊。そのうち生還者はわずか十二名。




 「……本当に、これが”当たり前”なのか......?」




 呟いた声は、あまりにも小さく、それでいて重い。


 エリオスは、胸の奥で冷たいものが広がるのを感じた。




 (死ぬことは、こんなにも簡単なのか……)




  悼むべき出来事は、この世界では単に


 兵力という数値から数字を「消す」ように、


 淡々と執り行われているのだ。




 「……気にしてるの?」




 隣から静かな声がした。


 セラはこの状況に表情一つ変えず、エリオスを見つめていた。




 「……当然じゃない、のか?」




  エリオスは低く答えた。


 しかし、セラはただ「そう」と頷くだけだった。




 「なんとも思わないのか?」




 「──そういうものよ」


 


  彼女の言葉は、異様なほどに冷たく、


 まるで何かを切り捨てるような響きがある。




 「……割り切れるものなのか?」




  セラはエリオスの隣で立膝をつく。




 「割り切るしかないのよ」


 その言葉の裏に、彼女の過去が滲んでいた。


 


  「何かを”捨てる”ことでしか生き残れないことがある。


 それが”仲間”であってもね」




 エリオスの表情が強張る。




 「……セラは、それを正しいと思ってるのか?」




 「正しいかどうかは問題じゃないわ」




 セラの声音は冷静だった。




 「ただ、それを選ばないという選択は死ぬということ。


 あなたが捨てないことを選ぶなら、それは死と引き換えになる。


 それでも捨てないって言えるの?」




 「……それは……」




 エリオスは言葉を詰まらせた。




 「気持ちは分かるわ。


 でも、私は生きる方を選ぶし、これからも選び続ける」




 セラは焚き火を見つめながら、淡々と語る。




 「あなたは貴族じゃない。でも軍人にも見えない。


  それも違和感──」




 エリオスは彼女の言葉を反芻しながら、


 夜空を見上げた。


 星はあのシャンデリアのようだったが、


 何故か虚しさを散りばめたように映る。




 「──なら、なんで今日は助けてくれたんだ......?」




 「......それは......人手不足だから──」




  セラの真意は表情からでは分からないが、


 今のは冗談だと言う事は分かる。




 しかし、生きるために何を捨てるべきか。


 その答えを、エリオスはまだ知らなかった。




 ──────




 翌朝、駐屯地に軍本部からの指令が届いた。




 「他の貴族領で魔物の発生が急増している。


  貴族協定に基づき、第一連隊を援軍として派遣する」




 ガルヴァンの声が、指令書と共に告げられる。




 「…… 貴族協定ってことは、かなり不味い状況ってことか」




 レオンが低く呟く。




 貴族間の協定は、本来互いの干渉を最小限に抑えるためのものだ。


 しかし、特例として”存続に関わる脅威”の場合のみ、


 他家の戦力を動員することが許される。




 「どこの領地だ?」




 壮年の男の問いに、ガルヴァンが淡々と応じた。




 「ロールスロイス公爵領だ」




 ガルヴァンが淡々と告げた瞬間、場に重い沈黙が落ちた。




 「……ロールスロイス?」




 レオンが思わず顔をしかめる。




 「確か、王都の貴族派閥の中でも伝統主義の筆頭だったはずだ。


 あの家が、貴族同士ならまだしも、軍の支援を求めるのか?」




 「妙だな」




  別の兵士がぽつりと呟く。


 


 ロールスロイス公爵家は、王都の中でもとりわけ格式を


 重んじる家柄であり、”貴族は貴族の力で領地を守るもの”


  という姿勢を一貫して取ってきた。


 そのため、軍への協力要請など、普通なら考えられない──のだが......




 「名門なら自分たちで何とかできるんじゃないのか?」




  「……いいや、貴族協定の条文を考えれば、


 ”公爵家の軍が全滅する可能性がある場合”にしか要請はできないはずだ」




 エリオスの疑問にレオンが淡々と答える。




 「本来なら自分たちの軍でなんとかできる連中‘が”対応できない”


 規模ということだ」




 「考えたくないな......」




 「それだけ異常な事が起こっているって事」




 セラは視線を鋭くし、地図を指し示した。




 「問題はそこ」




 防壁に張られた地図に示された赤いバツ印で書かれた場所。


 バラウータの東、すなわち——




 「ヴァイパー、かもしれない......」




 セラが静かに呟く。




 「私たちが戦ったダンダリオンの血じゃなかった。


 つまり、 私たちが付いたころには既に蛇がそっちに移動した可能性が高い」




 「つまり、深淵黒蛇<アビス・ヴァイパー>がロールスロイス領へ


 向かった可能性があるってことか」




 エリオスは拳を握る。




 「最悪の展開にならないことを祈るしかないね」




 セラの言葉が、静かに響いた。




 ──────




  夜の駐屯地は静まり返っていた。


 エリオスは、ゆっくりと息を吐く。


 支給された剣は既に刃こぼれを起こしている。


 だが、柄頭にグナディア公爵家の紋章が刻まれた


 剣には触れさえしていなかった。




 セラの言葉を思い出す。




「何かを”捨てる”ことでしか生き残れないことがある。


 それが”仲間”であってもね」




 ガルヴァンの言葉も浮かぶ。




「生き残った者が”正しい”んだ」




 どちらも、軍人の理屈なのだろう。


 でも、"それだけ" なのか?




 エリオスは剣を握り直す。




(俺は……軍人にはなれないのかもしれない)




 だが、もしそうなら――




(それなら、俺は ‘俺にしかできない戦い方’ をする)




 ──その為に必要なのは......

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る