第14話 問題児、学園に帰還

  学園の門をくぐると、視線が刺さるのを感じた。


 エリュシアはそれを無視し、足を止めることなく歩を進める。




  かつてこの学園にいた頃とは、状況が違う。


 "──家出した問題児"。


 そんな噂が学園中に広まっていることは知っていた。




 だが、貴族社会は血統と実力の世界。




  ラグナディア公爵家の名を持つ以上、


 完全に排除されることはない。


 むしろ、無視することができない存在として扱われる。




  問題は、それが敵意か、興味か、あるいは侮蔑か。


 階段を登りながら、周囲の囁きを聞き流す。




 「やはり戻ってきたのね……」




 「でも ”あの件” の後でしょ? どんな顔してるのかしら」




 「公爵家の娘と言えど、家出した身よ。居場所なんて──」




 エリュシアは唇を噛むことなく、ただ冷たい視線を投げるだけだった。




 "今はまだ、何も持たない"。




 学園内のどの派閥にも属さず、ただ一匹狼として過ごす。


 それが今の立場。


 立場は自ら生み出していくもの。


 エリオスとの出会いはエリュシアに確実に変化をもたらしていた。




 ──だが、そのままでは学園内で何もできない。




 だからこそ、まずは "研究" だ。




 自身の魔法を鍛え直すこと。


 そして、それを知識として確立すること。




 その目的達成のために、学園随一の秀才


 ── カシール・フォン・フィアート に接触する。




  図書棟の奥深く、静寂の支配する貴族の書庫。


 天井まで届く本棚が整然と並び、その間を通り抜けると、


 足音さえも吸い込まれるかのように消えていく。


 大理石の床には幾何学模様が刻まれ、天窓から差し込む柔らかな光が、


 淡く光の粒を散らす。


 ここに満ちるのは、ただ紙をめくる音と、思索に沈む者たちの静かな呼吸だけ。




  その中央に、白金の髪を持つ一人の貴族が佇んでいた。




  カシール・フォン・フィアート。


 "禁忌魔法”の1つを解明した、随一の秀才と称される者。


 白金の髪が陽の光を反射し、淡く輝く。




  紫の瞳がページを追いながら、


 エリュシアが近づいたことを察し、ゆっくりと顔を上げた。




 「……どういう風の吹き回しですかね、


 ラグナディア公が私に話しかけてくるなんて」




  低く落ち着いた声が、書架の間に響く。


 エリュシアは足を止め、余計な前置きをせず、単刀直入に言った。




 「意外でしょう?」




 カシールはわずかに目を細めた。




 「私に何か御用ですか?」




 指先で紙を軽く撫でるようにしながら、カシールは言葉を続ける。




 「私は世間話をする気はありませんよ」




 エリュシアは、その無関心な態度に微かに微笑む。


 そして、何の躊躇もなく本題に入った。




 「──魔法そのものに介入する魔法、知っているかしら?」




 カシールの指が、ぴたりと止まる。


 わずかに瞼が動き、視線がエリュシアを捉えた。




 「……そんな魔法は存在しない──というのが通説です」




 静かにそう言いながらも、その目には興味の色が宿る。




 「"普通" はそうよね」




 答えながら、エリュシアは書架に手を伸ばす。


 指先が古びた革張りの書物に触れ、埃を払うようにゆっくりと引き抜く。


 "血・統・魔・術・" に関する古い文献。




 彼女はそれをテーブルの上に静かに置いた。




 「私は ”貴族” であることを捨てたわけじゃない」




 カシールの瞳が、かすかに揺れる。


 そして次の瞬間、彼は口元に小さな笑みを浮かべ、ゆっくりと椅子を引いた。




 「座るといいですよ」




 エリュシアはその誘いに応じ、ゆったりと腰掛ける。


 カシールは書物を閉じることなく、


 優雅な手つきでページをめくりながら、問いかけた。




 「あなたが求める力とは、つまり何でしょう?」




 一瞬、沈黙が落ちる。


 だが、エリュシアの答えは迷いなく返った。




 「 ”貴族”でありながら”自由”であるための力」




 カシールは目を伏せ、淡々とした動作で新しいページをめくる。


 長い睫毛の影が、彼の表情をわずかに曇らせた。




 「……その道は、 ”血統” による保証を捨てる道でもありますよ?」




 それを聞いて、エリュシアは微かに笑う。




 「ええ。捨てるのも自由よ。


  でも”血統”を利用しないとは言っていないわ」




 その一言に、カシールの目が細められた。




 「ふふ、興味深い」




 カシールは読みかけの本を閉じる。




 「家出の間に、何をお知りになられたのでしょうか──?」




 紫の瞳が興味を示したかのように、静かにエリュシアを見つめる。




  エリュシアはカシールの視線を受け流しながら、


 指先でテーブルの木目をなぞるように軽く撫でた。




 「学ぶべきことが多かったわ」




  淡々とした口調だったが、


 その言葉には確かな実感が滲んでいる。




 「……なるほど。貴族の外側に身を置けばこそ、


 貴族の在り方がよく見えた、というわけですか」




 カシールは書架に視線を移しながら、思案するように呟く。


 その手は無意識のうちに、横に積まれていた書物の表紙を指でなぞっていた。




 「ですが、"学び" とは何かを捨てることでもある。


 血統と魔法は、貴族の象徴です。


 それをどう扱うかで、あなたの未来は決まる」




 「……ふふ、あなたらしい考えね」




 エリュシアは軽く微笑みながらも、目は真剣だった。




 「私は、 魔法を知りたいの」




 その一言に、カシールの紫の瞳がわずかに揺れる。


 言葉の端々に、エリュシアが"本気" であることが伝わる。




 「……では、まずは前提から確認しましょうか」




 カシールはゆっくりと立ち上がると、書架の一角へと向かった。


 手慣れた様子でいくつかの古文書を取り出し、それをエリュシアの前に並べる。




 「貴族の魔法は血統によって支えられています。


 それぞれの家系が持つ魔力の系譜は、魔法の特性と密接に関係している。


 そのため、新しい魔法の開発は、血統の枠を超えるものではない」




 「理論上は、ね」




 エリュシアは指先で一冊の書物を開きながら、静かに言った。




 「でも、もし”血統の外”に力の起源があったとしたら?」




 カシールは一瞬、目を細める。




 「それは──つまり、貴族の魔法体系そのものを否定する考え方ですね」




 エリュシアは黙ってカシールを見つめる。


 紫の瞳が、彼女の真意を見極めるように揺れる。




 「魔法の歴史において、貴族の血統と無関係な力が


 『真の力』とされたことは一度もない。


 もしそれが事実なら、


 現体制すら揺らぐでしょう」




 小さく笑いながらも、カシールの表情には


 確かな興味が浮かんでいた。




 「……その魔法、見せていただきましょうか」




 エリュシアは静かに頷いた。




────────────




 図書棟の奥、一般の生徒が立ち入らない研究室の一室。




  カシールが用意した魔法測定の装置が並べられ、


 室内には微細な魔法の波動が満ちている。




 「ここなら、多少の実験は問題ありません」




 カシールが軽く手を動かすと、


 室内の空間に薄い魔法障壁が展開され、外部への影響を遮断した。




 「さて、エリュシア様。あなたの ”力”、見せていただけますか?」 




 「正確には、私のではないのだけれど、ね......?」




 「......?」




 エリュシアは短く息を吐き、金色の宝剣を鞘から引き抜く。


 ラグナディア公爵家の紋章が刻まれていた。


 背を伸ばし、指先に意識を集中、魔力を流し込む。


 静かな室内に、わずかな空気の揺らぎが生まれた。




 ──次の瞬間。




  エリュシアの周囲の魔力が、ゆっくりと歪み始める。


 室内に満ちる観測魔法の魔力が、


 不自然なほど"沈黙"するように収束し、


 まるで”魔法の発動そのもの”を遅滞させるような空間が形成された。




 「……これは」




 カシールが思わず声を漏らす。


 観測魔術が、その場の魔力の流れを正確に捉えようとするが、


 その数値が徐々に制御を失い、オーバーフローする現象が発生する。




 「微弱だけれど、魔力の流れが……


 外部から介入されている──?」




 カシールは驚きと共に、目の前の現象を凝視する。




 エリュシアが静かに言う。




 「ね?面白いでしょう?」




  カシールは黙って観測装置を調整しながら、


 考え込むように目を伏せた。




 「これは……『魔法干渉』の一種?


 いや、そんなものは聞いたことが……」


 


 静寂の中、装置の微細な音だけが響く。




 カシールは深く息を吐きながら、ゆっくりとエリュシアを見つめた。




 「……これはどこの者の魔法ですか?」




 エリュシアは、迷いなく答えた。




 「──私の婚約者よ」




 カシールはこの現象を見て納得した。




 「貴方はとんでもない人を捕まえてきたようですね」




 「捕まえたわけじゃないわ。


 同意の上よ?


 じゃなきゃこの宝剣で彼の魔法を使えない」




 「運命共有<エターナルシェア>を施された剣......


 国宝級の"禁忌宝剣"をよく許されましたね──」




 「あら?これは我が家ラグナディアでは婚約指輪みたいなものよ?」




 「……エリュシア様、あなたは本当に”興味深い”人ですね」




 そして、紫の瞳が静かに輝く。




 「私の魔法の研究の手伝い、これが条件よ」




 「いいでしょう。ぜひ協力しましょう」

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