第13話 危険信号

 夜の帳が落ちる直前、村の中央に響き渡る獣の咆哮。




 巨大な爪が地面を抉り、黒紫の装甲が鈍い光を反射する。




 ──呪鎧魔獣ダンダリオン。




 眼前の一体だけでも、十分に脅威である。


 しかし、悪夢のような現実がさらに牙を剥いた。




 「……っ、嘘だろ?」




 レオンが短く呟いた。


 視線の先、瓦礫の影や倒壊した建物の間から、次々と漆黒の装甲を持つ魔獣が姿を現す。




 合計五体──まさに悪夢。




 「……これは、あまり良くないね」


 セラが口元にわずかな笑みを浮かべながら、すぐさま戦況を把握する。




 「三体は私が相手するから。


  その間に残りの二体をなんとかしてね?」




 「冗談だろ!?」




 レオンとエリオスが驚愕の声を上げる間もなく、


 セラはすでに魔力を解放していた。




 「大地操作グランドシフト──」




 地鳴りと共に地面が爆発的に隆起し、石の柱が突き出す。


 胴体中央部を直接押し上げられ、跳ね上がる三体のダンダリオンが、


 宙を舞い、同時にセラも空中へ飛躍。


 背中の重槍をフルスイングし、あのダンダリオン3体が遠くへと弾き飛ばされた。




 「......じゃあ、後はよろしく」




 セラは風のように駆け、魔獣たちを追い戦場を離れる。




 「……こっちは二体か」




 レオンは双剣を抜き、エリオスも剣を構える。




 「流石、副隊長だな......」




 だが、こっちの実力的には1対1ですら厄介だ。




 (……硬すぎる)




  レオンの双剣が鋭く閃くが、ダンダリオンの装甲はまるで


 鋼鉄の塊のように刃を弾く。


 衝撃に耐えきれず、刃の側面がわずかに欠けた




 「クソッ、傷一つ入らねぇ!」




  レオンの焦りを滲ませた声が響く。エリオスもまた、剣を振るい、


 刃を叩きつけるが、魔獣の重厚な外骨格がその攻撃をいとも容易く受け流す。


 金属と金属がぶつかるような音が響き、僅かな傷すら刻めない。


 


  焦りの中でエリオスは、メレーネの語っていた"ある話"を思い出す。




────────




 「……魔法には、いくつかの要素があります。」




  メレーネは淡々とした口調で語った。


 エリオスが貴族社会に適応するためにと、


 教養を身に着けた特訓の10日間。


 


  王都の貴族たちは「当然の知識」として持っているものの、


 エリオスにとっては未知の領域である。




 「まず、一つ目は 魔力量 。言わば、あなたが持つ ”器” ですね。


 どれだけの魔法を扱えるかは、この器の大きさに左右されます」




 「……つまり、キャパシティってことか?」




 「ええ」




 メレーネは小さく頷く。




 「魔力が尽きれば当然魔法は使えなくなりますし、ほぼ動けなくなります。


 そして多ければ多いほど ”より強力"かつ”多彩な魔法”を扱うことができる。


 ですが……ただ ”量” があるだけでは意味がありません」




 「……?」




  エリオスは顎に手を当て、考え込む。


 ちなみにだが生まれてこの方使い切った事もない。




 メレーネはエリオスの反応を待たずに続ける。




 「二つ目は 魔法の威力 。これは主に ”段階” だと思ってください」




 「と、言うと?」




 「魔法とは、それがどれだけの力を持つかを示す指標です。


 ただの火の玉も、魔力量を高めれば火球に、そして火炎放射にもなる」




 「なるほど、それは道理だ」




 「しかし、量で威力が担保できるとは思わないでください」




 「……もう一つあるってことか。」




 メレーネは小さく頷いた。




 「三つ目は 魔法の精度 。どれだけ"無駄なく"魔力を扱えるか。


 精度が低ければ、魔力が分散し、


 結果として"本来の威力を引き出せない"ことになります。」




 「なるほど……つまり、同じ魔力量を持っていても、


 魔法の精度が低ければ力を発揮できないってわけか。」




 「そうです。逆に言えば、精度が高ければ"少ない魔力量"でも


 強力な魔法を使うことができます。


 魔力量・威力・精度……この三つが揃って初めて、”優れた法術師”になれるのです。」




 「でも精度ってどうするんだ?」




 「精度は基本的には一番努力が利きますが、


 最も重要なのは"安定している事"です」




 「安定......?」




 「そうです。全てが安定している事、


 体調も、姿勢も、そして"精神"全てが安定しているときに高まります。


 まあ、付け焼き刃でもいいので試してみると良いと思います」




 メレーネは説明終わりと言わんばかりに、ぺこりと頭を下げる。




 「……ってことは、俺はどこに当てはまる?」




 メレーネは静かに彼を見つめ、少しだけ口元を綻ばせた。




 「…… 自分で探してみてください」




─────




 (……待て、それなら──)




 エリオスは剣を握り直し、わざと間合いを取る。




 「レオン、一旦距離を取れ!」




 「ハァ? こんな距離でどうするんだ!」




 「いいからッ!」




 レオンは舌打ちしながらも、エリオスの動きを見守る。




 ダンダリオンが、異形の爪を振りかざす。




 「──来るぞッ!」




  剣を両手で構え、手の感覚を延長するイメージで、


 柄、刀身、そして剣先へと意識を伸ばす。


 体の芯、手、剣の先を伝い、周囲に影響する流れが鮮明に浮かぶ。




 ───ギギギギギギッッ




  刹那、ダンダリオンの動きが急速に鈍る。


 突進をかけたもう一体は粘性の高い液体の中を進むかのように動かない。




 (今しかない......!!)


  エリオスは剣を魔獣の関節へと滑り込ませる。


 関節部は流石に強化魔法を付与した一撃なら通る。




 ギィィ……!




  赤黒く粘性の高い血が刀身を薄く被覆し、


 鈍い音と共に、ダンダリオンがよろめく。




 「レオン、今だ!」




 「おおおおっ!!」




  レオンの双剣が、一瞬の隙を突いて、


 倒れ間際に上方に首が上がった魔獣の喉元へと叩き込まれる。




 ──ズバァッ!!




 黒い体液が噴き出し、一体が倒れる。




 「……やった、か?」




  ダンダリオンは確かに喉を裂かれ、黒い体液を撒き散らしていた。


 だが、完全に倒れたわけではない。




 「ッ……しぶといな!」




 レオンが歯を食いしばる。


 魔獣はまだ立っているのだ。




 「レオン、後ろだ!」




 エリオスの声に即座に反応し、レオンは跳躍。


 次の瞬間、ダンダリオンの漆黒の爪が、鋭い音を立てて空を裂いた。




 「くそっ、決め手がねぇ!」




 レオンは息を荒げながら距離を取る。




  エリオスの魔法の影響で相手の動きは鈍っているものの、


 それだけでは決定打にならない。




 (装甲の隙間……どこかに、確実に仕留められる部位があるはずだ)




 エリオスは、倒れかけたダンダリオンの動きを観察する。


 四肢は太く、表面の装甲はほぼ無傷。


 しかし、喉元を斬られた個体の体液の色が、


 先ほどの赤黒い液体とは微妙に違うことに気づいた。




 「……レオン、そいつの傷口をもう一度狙え!」




 「狙えって言われてもな! 効いてる気がしないぞ!?」




 「確かめるしかないだろ!」




 レオンは舌打ちしながらも、双剣を構え直す。




 「死んだら化けて出てやるからなッ!!」


 


  ダンダリオンは反撃のために爪を振り上げるが、


 その動きはさらに増して鈍い。




 「ッ──!」




  レオンは一気に距離を詰め、魔法で最大強化した刀身で


 傷口に向けて渾身の突きを放つ。




 ──ズバァッ!




 刃が深く突き刺さる。


 ダンダリオンが痙攣するようにのたうち回り、ついに地面に崩れ落ちた。




 「───よし、一体撃破……!」




 しかし、安堵する間もなく、エリオスの視界にもう一体のダンダリオンが映る。


 すでに動きは鈍く、疲労したかのように息を荒げていた。


 エリオスの魔法の急速鈍化の影響で明らかに消耗している。




 その瞬間、




 ──ズドンッ!




  大地を震わせる轟音と共に、天から巨大な岩槍が隕石の如く落着。




 「ッ──副隊長!」




 セラの“グランドスパイク”が正確にダンダリオンの胴体を貫く。


 紫黒の装甲が砕け、魔獣の断末魔が響く。




 「遅かったねぇ、終わった?」




 軽やかな足取りで戻ってきたセラは、相変わらずの無表情だった。


 しかし、その瞳には確かな警戒心が宿っていた。




 「……撤退する」




 セラが静かに告げた。




 「撤退? これからじゃないか!」




 レオンが反論しようとしたが、セラはそれを遮るように口を開く。




 「この血……うん、違うね」




 彼女は、先ほどの黒い液体を指でなぞる。


 それはダンダリオンのものではなく、


 奇妙な光沢を持っていた。


 そう、エリオスに掬って見せた液体。




 「……ダンダリオンの血じゃないよ、これ」




 「は?」




 エリオスとレオンが顔を見合わせる。




 「これ、深淵黒蛇<アビス・ヴァイパー>の血」




 その言葉に、レオンが凍りついた。




 「……マジかよ」




 レオンの顔から血の気が引く。




 「アビス、なんだって......?」




 「今のは大したことない、そう言えるレベル」


 


 深淵黒蛇──それは、第一連隊の精鋭ですら


 容易には倒せない“災厄”級の魔物。


 "副隊長"もここでは笑わない。




 「こんな血が散らかってるって事は……近くにいる可能性が高い」




 セラの言葉に、エリオスは咄嗟に周囲を見渡す。


 しかし、森の向こうから吹き抜ける風以外、何の気配も感じられない。




 だが、それこそが不気味だった。




 「……すぐに戻ろう」




  レオンは、普段とは違う緊張した声音で言い放つ。


 察したエリオスも今は聞かずに一時撤退の腹を決める。




 三人は即座に村を離れた。




 


 ───その後、第一連隊の各小隊が集結した……




 生還者は僅か十二名だった。




 五十名中、三十八名が消息不明、または死亡。




 ──災厄が、今始まろうとしていた。

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