第11話 要塞都市「バラウータ」

  王都を出発して三日目の夕刻。


 荒野を抜け、山を越えた先に、それは姿を現した。




  ──要塞都市バラウータ。


 王都の北西に位置し、かつては漁業で栄えた街だが、


 時代の変化と共に戦略的要所との判断の下、


 要塞化されており、現在は軍の最前線拠点として機能している。


 高い石壁が周囲を囲み、


 内部には蒼鋼隊の駐屯地が広がっている。


 ここが、エリオスが配属される蒼鋼隊 第一連隊の拠点だった。




  重厚な門が軋む音と共に開き、馬車が進入する。


 すぐさま駐屯兵たちが整列し、


 武器の点検や装備の手入れに忙しく動いていた。




 「おい、あれが噂の"貴族の婚約者"か?」


 「随分と線が細いな……公爵はアイツを消したいのか?」


 「どうせ戦場じゃ使えねえんだ、泣きながら帰るさ」




  無遠慮な声が飛び交う。


 エリオスは彼らの蔑みを含む視線を感じながらも、特に表情を変えなかった。


 こんなことは想定内だ。




  軍での立場は貴族社会とは別物。


 「エリュシアの婚約者」という肩書が、


 ここでは何の役にも立たないことは分かっていた。


 むしろ、それがファーストコンタクトにおける負の要素として


 見られることすらある。




  馬車が停まり、エリオスは緊張の足取りで降りる。


 石畳の感触が王都のそれとは違う。


 戦場を想定して固められた地面は、ひび割れ、無数の靴跡が刻まれていた。




  周囲の兵士たちが嘲るような目を向ける中、


 一人の男がエリオスの前に立ちはだかる。




 「ようこそ、バラウータへ」


  


  体躯は2メートルを超える大柄の男。


 装甲のような大胸筋に、大砲のような腕。


 まさに"歴戦"を象徴している。




  「お前がエリュシア様の婚約者か?」




  圧倒的な威圧感。


 エリオスの前に立つのは、


 蒼鋼隊 第一連隊 隊長 ガルヴァン・ロシュフォール。


 筋骨隆々とした体格に、背中に背負うは全長二メートルを超える大剣。


 その鋭い眼光は、ただの腰抜けなら即座に見抜きそうな鋭さを持っていた。




 「まあ、そういう事になっている」




  エリオスは簡潔に答える。




 「ふん……」


  ガルヴァンは僅かに口の端を上げると、肩をすくめた。




 「ここでは立場がどうとかは関係ない。


  死は立場を選んで訪れる者ではないからな」




 その言葉に、周囲の兵たちがニヤリと笑う。


 しかし、エリオスはそれを聞いても、特に動じることはなかった。




 (……まあ、想定の範囲内だ)


  兵士たちは皆こう思っていた。


 こんな男を第一連隊に送り込むなど、


 エドモンド公はコイツを"殺せ"と言っているようなものだ、と。




 「とりあえず、だ。最低限の"確認"はさせてもらう」




 そう言った瞬間だった。




 ────ドォン!




 爆音のような風切り音と共に、ガルヴァンの大剣が振り下ろされる。




 (ッ!? 速い——!)




 腕の撓りはまるで投石器のような速度であり、


 エリオスは反射的に剣を抜き、咄嗟に受け止める。




 ガッ!




 刃と刃がぶつかり合った瞬間、腕が痺れた。


 その"重さ"が尋常ではない。


 だが、それ以上に驚いたのは——




 (……魔法が、かかってない……?)




 この一撃に魔法強化の気配はない。


 強化魔法の1つでもかかっているのであれば、確実に鈍化する。


 だがこの一撃は違った。


 


 ──純粋な剛力だけで、この威力を叩き出しているのだ。




 「……ほう?」


 ガルヴァンが僅かに眉を上げる。




 エリオスは剣を押し返しながら、じわりと汗を滲ませる。




 「その剣──なるほど......」




  巨木のような腕が上がり、重圧から解放される。


 エリオスの手はこの一撃で震えた。




  エリオスの手は、まだ微かに震えていた。


 ガルヴァンの一撃を正面から受け止めた衝撃が、


 骨にまで響いている。




 (……魔法がかかっていないのに、なんだこの重さ)




 目の前の巨体、第一連隊隊長 ガルヴァン・ロシュフォール。


 "歴戦"という言葉がそのまま具現化したような男 だった。




 ガルヴァンは、軽く肩を回しながら、エリオスを見下ろす。




 「なるほど……そう言う事か」




  エリオスは彼の視線が自分の腰に向けられていることに気づく。


 ラグナディア公爵家の紋章が刻まれた剣——公爵からの贈り物。


 エリオスはこれを敢えて抜かなかったが、ガルヴァンはフッと笑う。




  エリオスは静かに剣の柄を握りしめる。


 軍の中で生き残るためには、力を示さなければならない。


 だが、今の一撃がもう一度続けば確実に......終わり、だ。


 


  しかし周囲の兵士たちも、ガルヴァンの一撃を受け止めた事実に、


 少し空気を変え始めた。




 「……おい、アイツ意外とやるんじゃないか?」


 「まあ、普通の貴族なら一撃で吹っ飛ばされてるな」


 「度胸は、あるみたいだな」




 ガルヴァンはそれを聞きながら、ニヤリと笑う。




 「ふん、少なくとも"お飾り"じゃなさそうだな」




 そう言いながら、彼は剣を肩に担ぎ直し、


 「明日、偵察に出る。お前もついてこい」 と言い放った。




 その瞬間、エリオスの背筋がわずかに強張る。




 「……偵察、ですか?」




 「そうだ。情報は命だ。それを自分で取りに行く」




 「できなければ?」




 「まあ、少なくともロクな事にはならないな」




  ガルヴァンはそう言い放つと、振り返り、


 指揮所へと歩き去っていく。




  エリオスはふと、我に返る。


 (──そういえば、何故あの一撃が防げたんだ......?)




 




 ──そのやり取りを遠巻きに見ていた、


 黒の長髪で目元を隠した女性が微かに笑う。




 第一連隊 副隊長 セラ・フォーグレイヴ。


 白い軍装を纏い、すらりとした無駄のない体躯。


 背には長大な槍を背負った連隊最強の狙撃手。




  彼女はエリオスの方をちらりと見て、歩み寄り、


 興味深げに言った。




 「隊長の剣を真正面から受け止める新入りなんて、珍しいね」




 エリオスは少し眉を寄せながら彼女を見つめる。




 「……ここに新入りなんて、いるのか?」




 「へへ、新入りと言っても、下の隊の子とかだけどね......」




  第一連隊とその下の隊とは隔絶した差がある。


 歓迎の一撃と呼ばれるこの行事では、耐えられなければ元の隊に戻るのだ。


 


 セラは短く言うと、ふと、エリオスの腕に視線を向ける。




 「……そういえば君さ、隊長の一撃、ちゃんと見えてた?」




 エリオスは眉をひそめる。




 「……それはどういう?」




 「隊長の斬撃は速いけど、それだけじゃない。


 単純な筋力だけじゃなく、相手の"動き"を見極めて打ち込んでる。


 だから、防ごうとした時には、もう遅いのが普通なんだけど……」




 セラは軽く槍を肩に担ぎながら、微かに笑う。




 「……君の動き、"遅れ"がなかった。


  むしろ……ほんの一瞬、こっちが遅れたみたいに見えたよ」




 「それはどういう──」




  セラはフフっと微笑する。


 それはまるで、自分で気づくべきだと示すように。




 「明日の偵察、私も行く。楽しみにしてるよ」




  彼女はそれだけ言い残し、その場を離れていった。


  


────────




  要塞都市バラウータの夜は冷え込む。


 昼間の厳しい鍛錬と戦闘の余韻を残しながらも、


 広場では焚き火が焚かれ、軍らしい豪快な宴が始まっていた。




  大きな鉄鍋がぐつぐつと煮え、豪快に肉が焼かれている。


 木製の杯が回され、兵士たちが声高に笑い、酒を飲み交わしていた。




  そんな騒がしい宴の中、エリオスは隊の一角に腰を下ろし、


 目の前の杯をじっと眺めていた。




 (……なんというか、村の祭りに似てるな)




  軍隊といえば厳粛で無機質な組織だと思っていたが、


 実際に入ってみると、意外なほど"人間らしい"面もあるようだ。




 ——が。




 そんなエリオスの隣に、がっしりした体格の男がどかりと座り込んだ。




 「よう、新入り。もう飲んだか?」




 振り向くと、ガルヴァン・ロシュフォールだった。




 「いや……まだ」




 「何を遠慮してる? 軍ではな、"死ぬ前に飲め"が基本だ」




 そう言うと、ガルヴァンは大きな樽を軽々と持ち上げ、


 エリオスの杯に豪快に酒を注ぐ。


 


  隣にいたレオン・ヴァルクレストがくわばらくわばら、といった表情で




 「隊長は酒が入るとこうなるんだ、これも洗礼だと思ってくれ!」




 「ちょっと待て、明日は偵察が──」




 「ガッハッハッハ、だから飲むんだよ!」




  ガルヴァンは豪快に笑う。




 「戦場じゃ、飲む暇なんてねぇ。だから、今日飲む」


 「明日も生きてたら、また飲める。それだけの話だ」




 エリオスは目の前の酒を眺め、静かに杯を持ち上げる。




 「……じゃあ、生き延びるとしよう」




 「その意気だ!」




 ガルヴァンが大声で笑い、周囲の兵士たちもそれに応じて杯を掲げる。




 「おーし! 明日の偵察の無事を祈って、乾杯だ!」




 「乾杯!!!」




  軍の世界は理不尽で、過酷だ。


 だが、だからこそ、戦場で生きる者たちの"絆"がある。




 エリオスは、そんな生と死の狭間の戦士たちを見ながら、


 明日の偵察が「軍人としての第一歩」になることを確信していた——。

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