第6話 貴族らしく
貴族の勉強が始まって10日程経った。
「ふふ、少しは貴族らしくなったじゃない?」
赤いじゅうたんの敷かれた広い廊下に軽やかな声が響く。
振り向くと、そこにはエリュシアがいた。
エリオスはため息をつく。
「……らしくならなきゃ、王都じゃ生きられないらしいからな。」
エリュシアはその言葉に、微かに笑うと囁く。
「そうよ、この世界ではルールを守らなきゃいけないの。
私はそのルールから抜け出したくて、家を出たのよ」
エリオスは一瞬、言葉に詰まる。
貴族様の家出だと小馬鹿にしたあの時をふと思い出したからだ。
エリュシアは静かに続けた。
「でも貴族の社会って本当に歪んでる。
誰がどの家柄で、どんな血筋で、誰の庇護を受けているか……。
果ては娘すら道具として扱って......
そんなことで生きる価値まで決まってしまうわ」
エリオスは静かに考え込む。
絢爛豪華に飾られたこの屋敷がむしろ、
人間の醜さを隠す為の殻のように感じられる。
「……でも、今は少なくとも気が楽ね」
エリュシアは少し微笑んだ。
「それは、何故?」
「変な家に嫁がなくて済むようになったから、ね?」
エリュシアは少し遠くを見るように、どこか皮肉めいた笑みを浮かべた。
「......まさか、君もそうなのか?」
エリオスは眉を寄せる。
彼女の言葉の裏にあるものが、今さらながらに重く感じられる。
エリュシア窓の淵に背を預ける。
「公爵家の娘として王都に戻った以上、もう私は家を出た娘ではないわ。
ラグナディ公爵家の次女としての振る舞いが求められるの」
その言葉は、どこか達観しているように聞こえた。
エリオスは周囲を見渡す。
「……自由を手に入れるために家を出たのに、結局ここに縛られてるってことか?」
エリュシアは肩をすくめる。
「そうね、皮肉な話だけど。
私にはやっぱり外の世界は合わないみたい」
そのとき、廊下の奥から控えめな足音が響いた。
振り向くと、メレーネが静かに歩み寄ってくる。
「お話の途中で失礼いたします。」
彼女は深く一礼すると、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「エリュシア様。社交界に、エリオス様を紹介する準備が進められています。」
エリオスは僅かに眉を上げる。
「……社交界?」
エリュシアは苦笑しながら、腕を組み直した。
「まぁ、そうなるわよね。公爵家の次女とはいえ、
その婚約者を外から連れてきた以上、顔見せは避けられないわ」
メレーネは恭しく静かに頷く。
「それと、先ほど"ヴィクトール様"の使いが屋敷に訪れました。」
その名を聞いた瞬間、エリュシアの表情が僅かに曇る。
だが、それはほんの一瞬だった。
すぐに、何事もなかったかのように微笑む。
「まあ……そうなるのは仕方ないわね」
メレーネは淡々とした声で続ける。
「エリュシア様が帰還し"新たな婚約者を連れている"
という噂が広まり始めております。
当然ながら、ファルクス侯爵家も無関心ではいられないでしょう」
エリオスは僅かにため息をついた。
「噂が回る速さってのは村とも変わらないな」
エリュシアは小さく笑う。
「 情報は力よ。どこの世界でもね」
彼女はゆっくりと立ち上がると、
エリオスを正面から見つめた。
「さて、"あなた"。
王都に "歓迎しない者"がどれだけいるか、そろそろ知る頃合いね」
「全く面倒ごとばかりだよ......」
「残念ながら"私の婚約者"として王都にいるの。
もう逃げられないわよ?」
「……まあ、な」
────────────
黄金の装飾が施された広いデスクと、青を基調とした部屋。
ヴィクトール・フォン・ファルクスは肘をついて不満を隠さない。
机の上には、ラグナディア公爵家の近況をまとめた報告書が広げられている。
その中央に記された一文を見て、ヴィクトールは静かに呟いた。
「…… エリュシアが婚約者を連れて帰還……ね」
カップを持つ指が、微かに強張る。
「……くだらないな。」
だが、その言葉とは裏腹に、彼の表情はどこか険しい。
ダグラス・ハイドナーは、そんな主の様子を静かに観察していた。
執事として仕えるようになってから、彼の表情の変化にはすぐに気づける。
「くだらない、と仰られるにしては、お顔が険しいですね。」
「……そんなことはない。」
ヴィクトールは紅茶を口に運びながら、淡々と答える。
「だが、あのエリュシアが庶民を連れて戻るとはな。まるで笑い話だ」
彼は書類を指で弾きながら、小さく鼻を鳴らした。
「貴族の格式を重んじるラグナディア家が、この茶番を本気で認めるつもりか?」
「とはいえエリュシア様は、もともと貴族社会を好いてはおりませんでしたね」
ダグラスは冷静に言葉を挟んだ。
「それに、ヴィクトール様も昔のエリュシア様をよく知っているでしょう?」
「…………。」
ヴィクトールの指が、カップの縁をなぞる。
「彼女は、いつも勝手だった。好きなように振る舞い、
思い通りにならないとそれが嫌だと駄々をこねる。」
「……まるで、 ‘子供の反抗期’ だな。」
ダグラスは微かに笑う。
「それを言うなら、ヴィクトール様も同じように反抗しているように見えますが?」
ヴィクトールの指が、一瞬止まる。
「……何が言いたい?」
「エリュシア様の反抗は終わりました」
「では、ヴィクトール様の反抗はいつ終わるのでしょう?」
静寂が落ちる。
ヴィクトールはカップを置くと、ゆっくりと立ち上がった。
「……終わらせる必要はないさ。」
彼は窓の外を眺めながら、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「ラグナディア公爵家にもこの選択が正しかったかどうかを試させてもらおう」
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