第3話 いきなり貴族

  エリュシアは剣の柄を握りながら、日が沈む村を見渡していた。


 崩れた家々、焼け焦げた大地、村人たちの疲れ果てた顔。




 「……やっぱり、ここに留まるのは無理ね」




 ポソッと呟くと、静かにエリオスを見た。




 「私が先に王都へ戻って、手配をしておくわ」




 エリオスは眉をひそめる。




 「その疲労で、本当に大丈夫なのか?」




 エリュシアは余裕の笑みを浮かべ、手袋の汚れを払った。




 「大丈夫よ、多少の盗賊とか魔物くらいなら」




 エリュシアは剣を軽く振り払い、刃にまとわりついた赤い雫を空へと散らす。


 次の瞬間、彼女の指先が柄を滑るように伝い、流れるような動作で鞘へと導く。




 「貴方は村の皆に説明しておいて。私が帰るまでに、準備を整えておいてちょうだい」




 エリュシアの足先がふわりと地を蹴る。


刹那、風が弾けるように舞い、彼女の姿は軽やかに宙へと舞い上がった。




──────────────




 その夜、村の広場には、生き残った村人たちが集まっていた。


  仮置きの松明が、頼りなく揺らめき、


 彼らの疲れと不安の色を示しているかのようだ。




 エリオスはそんな村人たちを前に、静かに口を開いた。




 「……このままここに残れば、また襲われるかもしれません」




 誰もが分かっていることだったが、それを口にする者はいなかった。


 年長の村人が腕を組みながら低く唸る。




 「だがよ……俺たちが王都に行けるのか? 貴族じゃあるまいし」




 エリオスは村人たちの不安を察しながら、落ち着いた口調で続けた。




 「そのために、エリュシアが動いてくれています。


彼女は王都に戻り、馬車や住まいの手配をしているんです」




 村人たちは顔を見合わせた。




 「……でも、簡単に受け入れてもらえるのか?」




 「正直、俺も確証はありません」エリオスは嘘をつかず、正直に言葉を紡ぐ。


 


 「けれど、ここでただじっとしていたら、盗賊がまた来るかもしれない」




 沈黙が広がった。




 エリオスは村人たちをひとりずつ見渡しながら、ゆっくりと言葉を続ける。




 「……俺も、王都がどんな場所かよく知らない。貴族の世界なんて、なおさら分かりません」




 そう言うと、一人の年配の男が苦笑した。




 「確かに、お前さんが貴族社会に詳しかったら逆に驚くわな」




 小さな笑いが漏れる。しかし、すぐにまた沈黙が戻った。




 「けど」エリオスは少しだけ声を強めた。


 「俺は”ここにいるみんなが生き残る道”を選びたいんです」




 村人のひとりがゆっくりと頷く。




 「……そう言うなら、信じてみるさ」




 次第に、他の村人たちも小さく頷き始める。




  「……にしてもだ、その貴族様を信用できるのかが不安だな」




 閉ざしていた口を開いたのは、意外にも父・カイネスだ。




 「エリュシアは……正直よくわからない。


 俺たちのためだけに動いているわけじゃないのも確かだ」




 エリオスはそう答えながら、村人たちを見渡した。


 皆ふと我に返ったように、一様に不安げな表情を浮かべている。




 「……となると、お前さんは ”利用されるかもしれない’”ってことか?」




 カイネスは静かに言葉を継ぐ。


 エリオスは一瞬考えた後、ため息をついた。




 「しかたない、この事態を解決できる術はこれしかない」




 そう言うと、カイネスはふっと笑った。




 「......エリオス、お前が魔法を使えたのかが、何となく分かる気がするよ」




 ──────────




  翌朝、空が白み始める頃、地鳴りのような蹄の音が村を包んだ。


 百数十人──いや、二百人を超す銀甲冑の装甲部隊が、


 整然とした列を成して広場へと進軍してくる。


 陽光を浴びた鎧が鈍く輝き、冷たい金属の光が、


 村の荒廃した景色と不釣り合いなほど鮮やかだ。




  兵たちは無駄のない動作で村人たちを各々の馬車へと誘導する。


 まだ疲れの抜けきらぬ面持ちの者、混乱しながらも言われるがままに従う者、


 恐る恐る子供を抱きしめる者──彼らの表情は一様に、


 それぞれの迷いや不安が刻まれていた。




  穏やかに笑い声が響いていたこの村も、たった一日ですっかり様変わりしている。


 中央には陣を張る騎馬兵たち、荷物を積み込む補給兵、


 命令を飛ばす指揮官の姿があり、空気には緊張が満ちていた。


 戦いとは無縁だったはずのこの地が、今や前線基地さながらの様相を呈している。




  風が吹き抜け、荒れ果てた村の家々が静かに軋む。


 その音だけが、かつてここにあった日常の名残を物悲しく響かせて。




  全ての確認が終わった後、軽めのショートコートに、


 膝丈ブーツを合わせた軽装騎士風の恰好をしたエリュシアが手招く───




 ─────────




 馬車の車輪が硬い石畳を跳ね、揺れるたびに座席が軋む。




  エリオスは窓の外を眺めながら、前方に連なる隊列を見る。


 これほどの規模の部隊が、これほど早く動けるものなのか  ——その疑問が頭を離れなかった。




 「……ひとつ聞いていいか?」




 エリュシアは窓にもたれかかって目を閉じたまま、軽く顎を動かす。




 「なに?」




 エリオスは少し考えながら、問いを投げた。




 「王都からここまで、普通ならもっと時間がかかるはずだ。


 それなのに、たった一晩で数百規模の部隊を動員できるものなのか?」




 エリュシアは目を開き、僅かに口角を上げた。




 「なるほどね。貴方が疑問に思うのも当然かも」




 彼女は軽く背伸びをしながら、指で馬車の壁をコンコンと叩く。




 「王都の騎士団には、常に即応部隊が待機しているの。


 国の中枢である以上、突発的な事件に対応できるようにね」




 エリオスは腕を組みながら考え込む。




 「……それにしたって、まるで戦争が始まったみたいな動きじゃないか?」




 エリュシアは微笑を浮かべ、腕を組んだまま窓の外を見つめる。




 「王都の近郊には、『蒼鋼隊(アズールヴァンガード)』 という独立した部隊が駐屯しているのよ」




 「アズールヴァンガード?」




 「ええ。平民を守る"国軍"とは別に、貴族のために動く部隊 があるってこと。


 特に"公爵家"や "王族に近い家柄"の私設軍よ」




 「……つまり"貴族のための軍"ってことか」




  王都に駐屯し、貴族の意向ひとつで即時動員される軍隊。


 もしそうなら、庶民がどれほど苦しんでいようと、貴族が動かなければ何も変わらない。




 「……なんだか”貴族のためだけの世界”って感じがするな」




 エリュシアはくすっと笑い、肩をすくめた。




 「──貴族社会って、そういうものよ」

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