たとえ何度くり返しても
秋山 楓
たとえ何度くり返しても
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
いや、『9回目だったような気がする』の方が正しいかもしれない。なんせ最初に見たのはずいぶんと昔のことだから、正確な回数なんざ覚えちゃいない。
けど9回も見ていたら、次にどうなるか嫌でも分かってしまう。
まず目が覚めた瞬間――、
「痛っ」
頭と腹に痛みが走った。
覚悟はしていても、こればかりはさすがに慣れない。
「どうしたの?」
同棲相手の玲奈が、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
鬱陶しいわけではないが、寝起きとあってか詳しい説明をするのは億劫だった。
「なんでもないよ。ちょっと悪い夢を見てね」
「そう? なんか顔色も悪いよ」
「大丈夫だから」
そう言いつつも、俺は何度も経験したあの夢を記憶から掘り起こそうとしていた。
大まかな流れは、だいたい同じ。俺の浮気が発覚し、玲奈に包丁で刺されて死ぬという内容だ。今際の際だけあって脳裏に焼き付いているのか、そのシーンだけは鮮明に思い出すことができた。
ただ不思議なことに、俺の浮気相手は毎回違うようだった。その女性に抱きしめられながら息を引き取るのは、すべて同じだが。
ふと興味が湧き、玲奈に訊ねてみた。
「なあ、玲奈。もし俺が浮気したらどうする?」
「え、浮気してるの?」
眉を寄せて疑いの眼差しを向けてくる。
どうやら勘違いさせてしまったようだ。
「違う違う。もし仮にそうだったらって話だよ。浮気なんてしないさ」
「……そりゃ悲しいよ。一日中、泣いて過ごすと思う」
「だよな」
玲奈は普通の人より少しばかり束縛が強いかもしれないが、浮気をしただけで包丁を取り出すほどヤンデレではない。あの夢のようにはならないはずだ。
実際に俺は浮気なんてしてないし、過去に何度も好みの女性を見つけたものの、そのたびに踏みとどまってきた。大丈夫、俺は玲奈一筋だ。
自分の気持ちを改めて確認し、俺は玲奈にキスをした。
浮気をしてしまった。
しかも、そのことが玲奈にバレたらしい。
「ねえ。これ、どういうこと?」
自宅のアパートで玲奈に尋問されている最中だ。
テーブルの上には、ホテルに入って行く俺と浮気相手の写真が何枚もあった。ここ最近の俺の素行を不審に思った玲奈が、興信所に依頼していたらしい。
言い逃れはできないと悟った俺は、素直に土下座した。
「すまん、ほんの出来心だったんだ! 許してくれ!」
「いいえ、許せないわ。このまま捨てられるくらいなら、あなたを殺して私も死んでやる!」
身を翻した玲奈が、キッチンから包丁を持ち出した。
そのまま足を止めることなく、ノータイムで俺の元へ突進してくる。その間、わずか五秒。逃げることも、抵抗することも、ましてや説得する余裕などあるはずもなかった。
まさか、あの夢が現実になるのか!?
凄惨な光景がフラッシュバックしたのも束の間、玲奈の包丁が俺の胸を刺した。
勢い余って仰向けに倒れる俺の上へ、玲奈が馬乗りになってくる。
そこからは一方的だった。
胃が肺が腸が心臓が、胴体に収まっているあらゆる臓器に穴が開く。
ああ、これはもう助からない。
俺が悟るのと同時に、玲奈の攻撃が止まった。
「あはははははは」
虚ろな高笑いを響かせた玲奈は、躊躇いもなく自分の首を引き裂いた。
破裂した水道管の如く噴出する血液。有無を言わせることなく、玲奈は即座に絶命した。
なんであれ、俺もすぐ後を追うことになるだろう。
自分の行いを後悔しながら、ゆっくりと目を閉じようとしたのだが――、
もうほとんど機能していない視界の端に、信じられない光景が映る。
リビングの何もない空間から、突如として見知らぬ女が現れたのだ。
「パパ! ああ、そんな。間に合わなかった!」
悲鳴を上げた女が、慌てて駆け寄ってくる。ウエットスーツのような、身体にフィットした服を着ているのが分かった。
俺の身体を抱きしめる彼女に向け、俺は最後の力を振り絞って喉を震わせた。
「だ……れ……?」
「私は未来から来た、あなたの娘。パパが殺される運命を変えるつもりだったんだけど、どうやら遅かったみたい」
娘? 玲奈は死んだんだぞ? ああ、そうか。あの浮気相手のお腹の中に俺の子供が……。
そう言われると、なんだか他人じゃないような気がしてきた。
彼女は涙を堪えた声で一気にまくし立てる。
「パパ、よく聞いて。今のパパはもう助かりそうにない。だからパパの意識だけ過去に飛ばすわ。それで、もう少しだけ早くママに出会ってほしい。そうすれば、パパが刺される前に助けに入れると思う」
理屈は分からなかったが、未来の技術とはそういうものだと納得した。
けど、それは無理な相談だ。
今になって、やっと思い出した。この結末を迎えたのは、すでに十回目なのだから。
過去の世界線で浮気した相手は地雷だと感じてしまい、無意識のうちに避けていた。だからどんなに好みであっても、今回の浮気相手を選ぶことはないだろう。俺が過去に戻ったら、おそらくこの娘は消滅する。
にしても十回も繰り返しておいて、なんで一番の地雷女を見抜けられないんだろうなぁ。
いや、当たり前か。だって俺は玲奈のことを世界で一番××してるんだから。
次は間違えないといいな。などと思いながら、俺の意識は過去に向けて遡っていった。
たとえ何度くり返しても 秋山 楓 @barusan2022
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