贈り物が禁止な街
睦月椋
贈り物禁止の町
「この町では、贈り物をしてはいけません」
生まれてからずっと、それが当たり前だった。
町の名前は桜坂町。春には桜が咲き誇り、夏は祭りが賑わい、秋は紅葉が美しく、冬は雪が静かに降る。何の変哲もない、穏やかな町。だけど、この町にはひとつだけ奇妙な決まりがある。
贈り物をしてはいけないのだ。
法律で決まっているわけではない。でも、町の誰もがそれを守っていた。たとえば、誕生日にプレゼントを渡すこともない。結婚祝いも、出産祝いも、新年の贈り物もない。子どもが友だちに手作りのお菓子を渡そうとすれば、大人がやんわりと止める。
「贈り物は、よくないことを呼ぶからね」
そう言われて育った。
だから、僕――
けれど、僕はこの町の外で働いている。駅まで行けば、すぐに隣町に出られる。そこでは、誰もが自由に贈り物をしていた。誕生日にはケーキやプレゼントが並び、クリスマスにはイルミネーションが灯る。
最初は、それがすごく眩しく見えた。
そんなある日、僕は職場で一緒に働く斉藤さんから、焼き菓子をもらった。
「奥さんが作ったんだ。良かったら食べて」
紙袋を開けると、手作りのクッキーが入っていた。バターの香ばしい匂いがした。僕はそれを見つめて、思った。
(ああ、これが贈り物か)
それは、思ったよりも温かかった。
家に帰ると、祖母が台所でお茶を淹れていた。
「おかえり」
「ただいま」
僕はテーブルにクッキーの袋を置いた。
「職場の人にもらったんだ。一緒に食べない?」
祖母は手を止めた。そして、クッキーを見つめたまま、ふうっと小さく息を吐いた。
「……陽介、それをここで食べるの?」
「うん、せっかくだから」
祖母は困ったように微笑んだ。
「町の外で食べるならいい。でも、ここでは……」
そのとき、僕は気づいた。
祖母の表情には、ほんの少しの迷いと、寂しさが混ざっていた。
この町の人は、贈り物を嫌っているわけじゃない。ただ、できないだけなんだ。
僕は、もう少しこの町のことを知りたくなった。
***
次の日、祖母と一緒に暮らしている曾祖母の元へ行った。曾祖母は九十歳を超えているけれど、まだまだ元気だ。
「ばあちゃん、この町って、昔から贈り物をしちゃダメだったの?」
曾祖母は、急須の蓋をそっと抑えながら頷いた。
「そうさね。私が生まれたときには、もうそうだったよ」
「でも、どうして?」
曾祖母は少し黙った。そして、お茶を湯呑みに注ぎながら言った。
「昔、この町で大きな争いごとがあったんだよ」
聞けば、それは何十年も前のこと。ある商人が、親しい人に高価な贈り物をしたことが発端だった。周りの人たちも、負けじと贈り物をするようになった。やがて、それが「誰が一番いいものを贈れるか」という競争に変わり、いつしか町のあちこちで不満が生まれ、争いが起こった。
「だからね、この町では贈り物をやめたんだよ。誰かに何かをあげることをやめれば、争うこともないからね」
曾祖母は静かに言った。
確かに、それは理屈としては正しいのかもしれない。でも、僕は思った。
贈り物は、本当に争いを生むものなのだろうか?
***
その週末、僕は駅前のパン屋で小さな焼き菓子を買った。そして、それを紙袋に入れたまま、曾祖母の家へ向かった。
玄関の引き戸を開けると、曾祖母は縁側に座っていた。庭には、小さな菜の花が揺れている。
「ばあちゃん、これ」
僕は紙袋を差し出した。曾祖母は目を丸くした。
「陽介、それは?」
「町の外で買ったんだ。でも、贈り物じゃないよ」
曾祖母は、ゆっくりと紙袋を受け取った。
「贈り物じゃないのかい?」
「うん。一緒に食べたくて持ってきただけ」
曾祖母は、しばらくそれを見つめていた。そして、小さく笑った。
「そうかい」
紙袋を開けると、香ばしい匂いが広がった。曾祖母は一つ取り、僕にも勧めてくれた。
僕たちは、ただ黙って、それを食べた。それは、ただの焼き菓子だった。けれど、不思議なほど温かかった。町のルールは、すぐには変わらないかもしれない。でも、僕は思う。
贈り物は、争いを生むだけのものじゃない。それは、誰かを思う気持ちの形なのだ。その形が、少しでもこの町に戻ってきたらいいな、と。
贈り物が禁止な街 睦月椋 @seiji_mutsuki
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