小夜ナラ桜前線
杜侍音
第一夜 アメフルマチニ、ワラウオニ
夜もすがら凍てつく雨が降りしきる。
灰彩の街を優しく包む。
「──ふっふふ〜ん♪」
『どうした? 今日も今日とて機嫌良いじゃねぇか』
「今日もいい天気だな〜と思って。お
『はんっ。オレさまには雨にしか見えねーけど』
「雨じゃないぞ。漏水だぞ」
『天気でもねーか』
一文目には誤りがある。
まずしとしとと上から降り注ぐのは雨ではなく、配管の故障であちこちから漏れ出した水である。
地域によって糸雨が紡ぐ程度もあれば、
水質すら統一ない。異端祓う聖雨から、異物混じりの怪雨まで。
つまるところ、優しくはない。
「けど、キラキラと水が光っててウチはいい気分だぞ!」
「ならテンシの気分で間違いねーな」
この街に訪れるのは夜のみ。
剥き出しの鉄塊が、巨大な街の空を天井のように全て塞いでいる。
この上には、あと5つも同じように別の街があるのだから驚きだ。
第六区画──
神が盆に賽を投げたような、無作為に重なったコンクリート群。
住所などあるわけなく、適当に誰かが身を寄せるだけのスラム。
道も入り組んでいて細い。ところどころ崩落しても修復されることはなく放置。
炎が揺らめく程度の街灯りは点々と。
ただ、穏やかに崩壊を待つ街。
「お兄の気分はどうだ? さいこーか?」
そんな街を見下ろすように、先が途絶えた巨大配管の中に腰掛けて雨宿りする少女。
名はテンシ。
『テンシがいりゃオレさまはどこでもさいこーだよ』
「むふー、そりゃウチはお兄の妹テンシだからな!」
そして兄の名はシュドウ。
テンシの側で揺蕩う蒼い鬼火。燃える黒い核から鋭利な角が右上から伸びる。
兄妹仲睦まじそうに会話が弾む。
『まぁ、テンシにはいつか星空を見せたいけどな』
「も〜お兄はそればっかり言ってるぞー。あれだろ、キラキラが下じゃなくて上に広がってるのだろ」
『そうだ。見たいと思わないか』
「そんなの……ワクワクするくらい見たいぞぉ〜!」
腕をブンブン振っては、彼女の髪色と同じホワイトのアノラックパーカーがシャカシャカ音を鳴らす。
テンシにとってのパーカーはかなりブカブカなので、袖口がグルグル回る。
『任せとけ。もう少しで道が拓けそうだからな』
「あそこから行くのかー?」
そう言ってテンシが指し示したのは、香華根地区の中央に聳え立つ巨大な円柱。この街で唯一、天井まで届いている建物。
『監視が多いからダメだ。東の崩落したトンネルだよ』
「なるほど。さっきもしてたのかー?」
『おう。そういや帰って来る時に輪入道のオッサンからこれ貰ったぞ』
テンシの隣には、黄面に読めない黒英文字が書かれたボトル缶が置いてある。
「よよ? なんだこれ?」
『知らねぇのか? これはコーヒーだよ。目覚ましによく飲まれるんだとよ。オッサンは酔い覚ましにしてたけどな』
「へー!」とテンシは蓋を回して開ける。
すぐさま喉に流し込むと、「にがーい!」と目を見開き、缶をカンッと置いた。
『ガキンチョだな。仕方ねぇか、これは大人な飲み物だからな!』
「お兄、騙したなー! お兄も飲んでみろ!」
テンシはもう一度缶を手にして、鬼火のおそらく口元部分に流し込む。これしきのことで鎮火はしない。
『オレさまはテンシと違って大人だからな。しかもこれは加糖なんだぜ、苦いなおい』
「ほらぁ〜お兄もダメだぞー。もう、飲めると思ったのに飲めないなんて……お腹が空いてしまったぞ! ご飯が食べたいぞっ!!」
『テンシはずっと腹減ってるだろ』
「それもそうだぞ」と、能天気にテンシは目を・に、ポカンと口を開けた。
『しゃーねー。寝て待っとけ。すぐ行ってくるからよ』
「えーまたかー? ウチも行きたいぞ」
『ダメだ。あいつらはザコだがザコなりに群れてて厄介だからな。テンシを危険な目に遭わせるわけにはいかねぇ』
「お兄過保護がすぎるぞ。ウチはもう子供じゃないぞ!」
『生憎オレさまが餓鬼なもんでね。兄貴がガキなら妹はガキンチョだ』
「エンガチョォーいっ!!」
『だからガキンチョは巣で口をパクパクさせて……って行きやがったなあいつ!』
パーカーのフードを被ったテンシ。少女の額からも兄とは左右対称の位置に生えた角は、フードに空いた専用の穴からニョキッと現れる。
おかげさまで風を受けてもフードが捲れることはない。引っかかるから。
天使のような可愛さだが、この世界に天使はいない。
そんな妄想を論ずれば、鬼に笑われることだろう。
──テンシと名乗る鬼からにも。
香華根居住区も属するこの世界は〝
妖がひしめき合って棲まうこの集合都市は、技術も文化も進化の限界に達し、飽和しきっていた。
力や富、血筋が低い者ほど下へと追いやられる差別社会。
この街にいる妖は見上げることを辞め、這いつくばりながら奪い合いをする、治安が忘れられた区画。
「よよーい! 先に行ってるぞお兄ー!」
だが、それでもテンシはこの街が好きだった。
『こんのアホテンシがぁ!』と追いかけてくる鬼火姿の兄シュドウと共に暮らす何でもない非日常──
街を抱き締めるように大の字で宙を舞うテンシは、今日も笑っていた。
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