47 離縁
*
(これでなんとか、一段落か……)
フゥ、と息を吐き出す。
――エルメルでの戦いが終わってから、リリオはすぐに聖騎士長により皇都へ召喚され、エルメルを離れることになった。そのため詳しくは知らないが、リリオがエルメルを経ってから間を置かず、エルメンライヒ公爵の代替わりの儀がエルメルで行われたと聞く。
前公爵が【黑妖】に乗っ取られていたことが公表されたため、現公爵によって、前公、つまり【黑妖】のせいで歪められたエルメルの統治方法は一新される方針だという。……ジークフリートの死の真相については、事実は語られなかったようだが。
(それにしても王への説明を行うのが師父様とは。あの人、本当に顔が広いんだな……)
皇王府は基本的には、公都で起きたことは公都でなんとかしろ、といった方針ではある。が、さすがに新公爵就任の承認は、フロラシオンの君主たる皇王が行うものだ。そして今回のような急な代替わりには、新公爵が根掘り葉掘り就任への経緯を尋ねられるのが普通なわけだが――それをまるっとクラスが請け負ったのである。
長年、【黑妖】に乗っ取られていたという醜聞と、溜まった民の不満でぐらぐらなエルメルには、すぐにでも新統治者が必要だ。王の問答に付き合う時間が勿体ない。勿体ないのだが……。
「相変わらず意味がわからない人だ」
聖騎士長からもらった【花】の聖騎士の徽章。
それを見つめながら呟くと、リリオは足を止め、顔を上げた。
(いや……まだ、一段落ついてはいないか)
目を伏せて。――リリオは再び、歩き出す。
目指すは皇都中心街にある、レックス家の本邸である。
「……何⁉ お前が……なんだと?」
「ですからエルメルでの功績により、聖騎士長様から【花】の【銘】をいただきました」
目を見開きながらこちらを見る父に、そして偶然帰宅していたのか近くにいた弟に、リリオは意識して淡々とした答えを返す。
未だに二人を前にすると、これまで抱えてきた劣等感がどうしても拭えなかった。出来損ないの立場に、悪い意味で甘えていた自分の情けなさを突きつけられるような心地になるためでもあるのかもしれない。
「はは……何を、馬鹿な。才能を望みすぎて、頭がおかしくなったのですか? なんとも哀れなことですね、兄上」
「カルド……」
「聖騎士長様が哀れみであなたに騎士の資格を与えたようですが、精神に欠陥があるのなら、離れにでも篭っていてはいかがか」
フンと鼻を鳴らす弟の目には、何年経っても変わらない、蔑みの色がある。
「そうだ。お前などが【銘】持ちだと……? 有り得ん、落ちこぼれのお前に限って」
「事実です。今回の任務で、僕は自分が水以外に、土の属性も持っていることがわかりました。もう上級魔法の発動くらいなら問題なくできますし、混成魔法も使えます」
「笑わせるな! あなたがまさか二つの属性を持っているだなんて、そんなことあるものか。歴代の聖騎士長の中にも、複数属性持ちはあまり見られないというのに」
「……信じられないとおっしゃるなら、信じなくて構いません。ただ、【銘】をいただいたことだけは報告しようと、本邸に戻っただけですから」
そう言い、リリオは手にした銀の徽章を掲げてみせた。
精緻な彫刻が施された【花】の徽章は、明らかに一般聖騎士の持つ徽章とは造りが異なる。
父伯爵も弟もそれがわかったようで、「バカな」と零して硬直した。
「僕はもともとこの家を追い出された身ですし、継嗣でもありません。家名だけは使わせていただくかもしれないが、もうここに立ち寄ることはないでしょう」
「ちょ……ちょっと待て!」
それだけ残して身を翻そうとしたリリオを、父伯爵が呼び止める。
「なんでしょうか」
「……そなたにもう一度、跡継ぎの資格をやってもいい」
「父上⁉ 何を……!」
「黙れカルド。……長男が【銘】持ちであるなら、リリオが跡を継ぐのが道理だろう。出来損ないが才能を示した。なるほど、いいことではないか。なあリリオ、お前もそれがいいだろう?」
悲鳴じみた声を上げて父親を睨んだ弟は、すぐさま父その人に黙らせられる。
父はまるで機嫌を取るように、気味の悪い薄暗い笑みを浮かべてリリオを見ていた。
――正直なところ。父に自分の昇進を報告すれば、こうなるかもしれないとは、思っていた。
(しかし、実際にそうなってみると、苦い気分でしかないな……)
父の立場を考えると、リリオを次期伯爵にしなければ、確かに面子が立たないだろう。
レックス家の当主が長男であるリリオを継嗣から外し、冷遇していたことは、耳ざとい貴族ならば皆知っていることだ。――しかしそれはあくまでリリオが本当に落ちこぼれだったからこそ受け入れられていたことで、「出来損ないだ」と跡継ぎから外したリリオが【銘】持ちの聖騎士になってしまえば、話はまったく違ってくる。
最低でもリリオの立場が公表される前に跡継ぎの資格を戻さなければ、父は「人を見る目がない愚か者」として、聖騎士としても貴族としても立つ瀬がなくなる。
けれど。
「――お断りいたします」
「なんだと……⁉」
「僕はレックス家の当主となりたいとはもう思いません。僕はこれから自分の『罪』を償うためにも、ひたすら任務に励むつもりでいます。当主の仕事をする暇はありません」
育ててもらった恩はある。最低限の教育を受けさせてもらった恩も。
しかし家族に認められず、理想と聖騎士長に縋るだけのリリオ・レックスはもういない。
「僕はすべきことをします。もう、仕事以外で会うことはないでしょう」
「貴様っ! 【応えよ汝……うぐっ⁉ な、なんだ、これは……!」
激高して、こちらに攻撃魔法をぶつけようとした父が呻き声を上げる。
リリオはゆっくりと振り返り、父が床から生えた蔓のようなもので拘束されているのを確認した。土と水の混成魔法。――リリオの魔法により生まれた蔓だった。
「なんだよ、この蔓……! 父上! 今助けます!」
「……すぐ消えるように設定したから、焦らなくてもしばらくすれば解放されるよ」
再び目を伏せ、リリオは今度こそその場を後にする。
ふざけるな、貴様、と、憎悪と怒りにまみれた声が背中に投げつけられるのを聞きながら、リリオはそれでも足を止めなかった。
……父や弟に認めてほしいと思っていた。いや、彼らを見返してやりたいと思っていた。
(でも意外と、気分が晴れないものなんだな……)
罵倒を背に受けながら、ひたすら邸の門へと歩き続ける。
家族へ意識を向けないように、他のことを考えながら進む。
(とりあえずはエルメルに帰ろう。それで、二人に【銘】持ちになった報告をするんだ)
無性に、クラスとアイリスの顔が見たかった。
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