44 嘘
刹那。――空気が、固まる。
言い様もなく痛い沈黙。肌を刺すような緊張感に、リリオは唾を飲み下す。
「どういう……ことですか? 公子は【黑妖】に殺されたんでしょう? だったら、彼を殺したのは公爵、つまり災厄級のはずじゃないですか……」
なんの冗談だ、と、茶化す隙すらない。淡々と、公子に向かってそう言ってのけた伝説の名医には、余計な言葉を許さない静かな気迫があった。
「そう思いたくなんかなかったんだけどな。やっぱり、どう考えてもおかしいんだ。エルメンライヒ公に――
「師父様……」
「生かしておくことに不都合ができたから、ニセ公爵がジークフリートを呪い殺した、って可能性も確かに考えた。……だが、生かして不都合があるとしたら、不遜で横柄だが単純で御しやすいジークフリートよりも、頭が回るユルゲンの方じゃないか? 次に憑依するための器として生かすなら、ジークフリートの方がよほど都合がいいはず。それなのに、今生きているのはユルゲンだ」
(たしかに、それは、そうかも……)
公爵の身体を乗っ取った幻影型【黑妖】としては、次の器に移るまで、自分の正体に気付かない方を残しておきたかったはずだ。だが実際に残されたのは、聡明だと評判の次男。
不自然だと言われれば、その通りだ。
「一年前、公爵は、ジークフリートを誅そうと計画していたレジスタンスを、リーゼラの医師フェリペの密告を受けて、手勢の【黑妖】に惨殺させた。……これはきっと、ジークフリートという『次の器』を守るためだろう。尤も、公爵一族へのレジスタンスなんて目障り以外の何物でもないから、彼としてはどちらにせよ潰すつもりだったかもしれないが。
公が【黑妖】に憑かれたのはおそらく、【黑妖】が増え始めた――そう、三年ほど前からだろう。一年前には既に精神を大分喰われてたはずだ。だから公爵は、レジスタンスの粛清を【黑妖】による惨殺という、手っ取り早いが残酷な方法を選んだ」
だが、とクラスはユルゲンを見た。
「それから半年ほど経ち、ジークフリート公子が【黑妖】の呪いに殺された。
だが、これも妙な話だよな。【黑妖】の呪いで死亡ということは当然、彼の死は公についていた幻影型か、その手勢の仕業だと考えられる。わざわざ田舎のレジスタンスを手勢で潰すことまでしたのに、【黑妖】はジークフリート(うつわ)をその手で殺したということになる」
確かに、その矛盾についてはリリオも怪訝に思ってはいた。
何故、少し前に守ったはずのジークフリート公子を、自らの手で呪い殺したのか。
ただ、途中で何か生かしておけない理由ができたのか、あるいは手勢の黑妖が事故で死なせてしまったという可能性もあると思っていた。
「もちろん、俺が公城に顔を見せた際に、ジークフリートの死を聞かされたその時には、何とも思わなかった。リーゼラにいたレジスタンスのことも知らなかったわけだからな。だが、明らかに何かがあると思ったのは、その後だ。
――公爵が、公城の中には【黑妖】が潜んでいるかもしれないから、危険だ。アイリスを連れて暫し公都を離れてくれないか、と頼んできただろう。あれが決め手だ」
リリオは瞬いた。
「えっ、と。それの何がおかしいですか? 娘を守ろうとする父の態度としては普通では?」
「いいや。『公爵』が逃がせと言ったのは、アイリスだけだった。ジークフリートが殺された今、継嗣になるのはユルゲンしかいない。言い方は悪いが、『公爵』という立場なら次の跡継ぎであるユルゲンの命の保障を真っ先に考えるはずだ。だが、奴は何も言わなかった」
「継嗣だからこそ城から逃げさせるわけにはいかない、という解釈もできます。女性で、か弱いと思われていたアイリスだからこそ逃がしたのだ、とも!」
「だったらわざわざ『俺に同行させる』意味はない」クラスはぴしゃりと断じた。「公は皇都にも邸宅を持っているし、田舎にはエルメンライヒ所有の静養地も多くある。なぜ、戦闘力に心もとない流離の医者に同行させる? 非常事態による避難だ。数日しかない旅とは全く違う」
「……っ」
言葉に詰まる。
確かにそうだ。クラスは伝説的な名医だがあくまで医者であって、戦うことはできない。
アイリスを逃がすのが目的なら、クラスの傍にいる必要はない。
「――じゃあまさか、あなたに同行させることが、目的だったと?」
「そういうことになるな」
アイリス、と。
クラスが彼女の、愛称ではなく名前を呼んだ。
彼女はユルゲンの傍に寄り添いながら、口を引き結んでいる。
「ジークフリートの死が、【黑妖】の呪いによるものだと証言したのは、お前だったな? アイリス・エルメンライヒ」
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