17 風の街
返事がないので呼び掛けると、彼女はどこか慌てたように「そうですよね」と応えた。どうしたのかと思ったが、陽も沈んできたので、その表情はよく見えない。
「なあ、もう暗いし、火を起こしてしまわないか? どうせここで野宿になるんだし」
「は……はい、そうですね」
「だからアイリス、火をくれないかな?」
エルメンライヒ公爵は代々火魔法の使い手だ。魔法適正をいくつも持つ者もいるが、最も得意な魔法――主属性は、大体の場合父親から遺伝するものである。リリオの父も水魔法を得意としていた。
「わ……わかりました」
頷いたアイリスが、集められた薪に向かって右掌を向ける。
「【生まれよ汝 火精の祝福ありて】」
物の持つ熱を増幅させ発火させる、火魔法の初級魔法の詠唱。
焚き付け用の枯葉は発火しやすい。すぐに火種ができると思ったが――しかし、枯葉はチリとも燃えなかった。
「……アイリス?」
どうしたのだろうか。
怪訝に思って声を掛ければ、不意にアイリスが「あ、あの!」と声を上げた。
「リリオ、ごめんなさい。わたし、調子が悪くて。疲れているのかも」
「っ、そうか、そうだよな」
疲れているのも当然だ。
表面上は平気そうにしていても彼女は公爵家の姫君であり、師父にも孫娘と可愛がられ、周囲に大切に育てられてきたはずの令嬢だ。誘拐未遂、災害級の襲来に続いて荷馬車での長距離移動――倒れてしまっていてもおかしくはないのに。
その上労働を頼むなど、聖騎士としての振る舞い以前の問題だ。
「ごめん、僕こそ配慮が足りなかった。アイリスは休んでいて」
「……本当にごめんなさい」
「いや、本当に僕が悪いから」
重ねて言い、何か火種になるものを探さねば、と辺りを見回す。火打石になるような都合のいい石がその辺りに転がっているとは思えないが、土魔法を応用すれば見つけ出すことができるかもしれない。
「追加の薪持ってきたぞ……って何だよこの空気」
と、その時。林から戻ってきたクラスが、いくつか薪を抱えて戻ってきた。
二人の間に漂う微妙な空気に気がついたのか眉を寄せるクラスに、火を起こそうとして失敗したと説明する。火打石もなくて困っている、とも。
すると。
「火打石ィ? んなもんいらねーよ、マッチでいいだろ」
あっさりそう言ったクラスが、さっさと薪を組み、中心部分に入れた枯葉にマッチを投げ入れる。乾いた枯葉はあっという間に燃え上がり、周りの細い薪に燃え移った。
目を瞬かせる――まさか、クラスがマッチを持っているとは。
火の魔法適正を持っているはずのアイリスが同行しているのだから、てっきりそんなものはないと思っていたのに。
(魔法ばかりに頼るな、ってことなのか?)
やっぱり、クラスの考えていることはよく分からない。
子どもに見えるとはいえ彼は偉大な医者なのだから、その思考回路を読もうとする方が失礼なのかもしれないが――。
「さて、夕食にしようぜ」
不可解を残しながらも、旅の夜は更けていく。
*
クラス・リリオらの目的地である集落のごく近くの村までゆくから、と送ってくれた荷馬車の御者は、一つ前の分かれ道で別れた。
荷馬車を降り、暫く歩けば開けた道に出る。真っ直ぐ進むと目的地に着くはずだった。
「……あれか、南の集落」
足を止め、クラスが誰にともなく呟く。流離の医者にとっても、初めて訪れた場所であったらしい。
――風の街リーゼラ。
それが今日、リリオらが訪れた集落の名前だ。
「集落……というよりは小さな町のようですね」
石造りの建物が並ぶ家々の他に、そこそこの大きさの集合住宅も見える。風車が風に吹かれて回る様子はいかにも穏やかで牧歌的だが、集落を囲むように立っている木の柵はやや物々しい。高い建物もあるようだが、あれは矢倉だろうか。
「集落というので、小さな村のようなものを想像していました」
「アイリスも来たことがないのか? エルメンライヒ公の領内だろ?」
「あの……はい。おじい様が連れて行って下さった場所以外は、あまり……。私、公的にはあまり城を出なかったものですから」
「……それもそうだよな」
よく考えれば、それが普通だろう。
貴族の令嬢は社交以外ではあまり外出をしないものだ。
お忍びで城下に行って攫われかけたり、荷馬車で移動をしたり、薪を共に集めたりしていて忘れかけていたが、彼女はあくまで公女。アイリス自身も平民の暮らしに慣れているようだが、彼女がお転婆というよりは、クラスがあちこちに連れ出しているのだろう。
「おいコラちょっと待てお前」
すると、少年らしく高い、しかしひどく冷たい声がリリオの隣から聞こえてきた。
「……はい?」
「いつからうちのイリーを呼び捨てるようになった?」
……まずい、爺馬鹿名医の存在をすっかり忘れていた。
リリオはにこ! と笑ってごまかすと、「さて、早速集落の中に入ってみましょう!」とずんずん足を進める。後ろからおいコラ逃げるな、とお怒りの声が飛んでくるが無視だ。
――と、その刹那。
右前方から敵意を感じて、リリオは反射で一歩後退した。
次の瞬間、とす、と軽い音がして、少し前までリリオが立っていた場所――そこから僅か前方に矢が刺さる。……後ろに立っていたクラスとアイリスが目を剥く気配がした。
「おいそれ、矢か……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます