14 憂いの瞳
『信じられないほど出来が悪いよなあ、お前はさあ』
心底蔑む声音に、何度身を竦ませたことだろう。
兄はいかにもこちらを哀れんでいそうな表情を貼り付け、そして口でも可哀想に、と言った。――可哀想に。落ちこぼれの出来損ないに生まれてしまって。
『魔法がほっとんど使えない公爵令嬢なんて、世界中探したってお前以外にはいないだろうよ』
『――申し訳ございません、お兄様』
『別に謝って欲しいんじゃないんだよ』
顔を俯けて、絞り出すようにして謝罪の言葉を述べると、兄は不自然なほど優しく笑ってみせた。『お前が出来損ないなのは、お前だけが悪い訳じゃあないしな』
『ただ……どうせ政略結婚の駒くらいにしかなれないどころか、一生魔法もろくに使えない劣等人類のままであることを思うと、我が家にこのままお前を置いておいてやるか否かも、まあそろそろ考えなければと思ってな』
その言葉に、ぶる、と恐怖に震えた。
家督を継ぐのは兄だ。もしも結婚してこの家を出ることが出来ていなければ、俺が当主になった暁にはお前をここから追い出すと、今、兄はそう言ったのだ。
――わたしに魔法が才能がないのは事実だった。
わたしを見下し蔑む兄だけではない。父は『魔法が使えなくとも、よい貴族に嫁がせてやる』とよく言っている。私には何も期待していないということだ。弟も、口に出さないがその点を見限っているのは明らかだ。
……わたしには、どれだけ努力しようが、魔法は使えない。
生まれた時からの、出来損ないの落ちこぼれ。それを覆すことは一生、できない。
『まあせいぜい、生き残る道でも模索するんだな』
……ただ、兄も、焦っているのかもしれない。
頻りに当主となった後のことを話して人を怯えさせるのは、不安の裏返しかもしれない。
優秀な次兄ユルゲン。長男ジークフリートよりも聡く、そして強い次男。
家督を譲られるのは自分でなく弟かもしれないという不安が、ずっと兄の後ろに付きまとっている――。
『お前ごとき、一人で生きていくなんて無理に決まっているだろうがなあ』
ただ。
何かを求めて不安になれるという点で、兄は既に自分よりは恵まれているのだろう。
――だって、わたしには、欲しいものすらないから。
何かを本気で追い求めようとしたことも、ないから。
*
ジークフリート・エルメンライヒ。
それがエルメンライヒ公爵家の世継ぎの公子の名前であり、公城で死んでいたというアイリス公女の兄だった。聡明さと魔法の才能は次男のユルゲンの方が評判だったが、ジークフリートは生まれ持った魔力量が大変多かったと聞いている。
「ジークフリートは公城で死んだ。しかも、【
「――公城まで【黑妖】が入り込んでる」
「それかもしくは、【黑妖】を公城に入れようと手引きしている者がいる」
まさか、と思った。「そ……それはさすがにないでしょう。【黑妖】は人類の天敵ですよ? そんなことをして得をする人間がどこにいると言うんですか」
「さあな。俺はただ可能性の話をしているだけだし」クラスが冷めた口調で言った。「……ただ、高位の【黑妖】ともなれば人語を解す奴もいるし、知恵も相当なモンになる。誰ぞがそういう黑妖に脅されて城に入れたのかもしれないし、あるいは【黑妖】と手を組んで旨味がある奴が何かしたのかもしれない」
何せ【黑妖】は未だその全容について把握されていない正体不明の怪物なのだから――と、そう言われてしまえば、否定できる材料はない。
……確かに人類はまだ、【黑妖】について殆ど何も知らないのだ。
脅しすかし宥め操る、そうして人類を懐柔せんとする【黑妖】がいてもおかしくはないのかもしれない。
(でも……あんまり現実的じゃないような気もする)
そこまで考えて、ふと、嫌な可能性が頭に過ぎった。
いわく。――本当にジークフリート公子は呪いのせいで亡くなったのか。
(エルメンライヒ公には、ジークフリート公子の他に、ユルゲン公子がいたはず)
歳も近く、能力も高い。世継ぎ争いの対抗馬としてはこれ以上の存在はあるまい。
……あの、と言ってリリオはクラスを見た。
「ジークフリート様の検死をなさったのは師父様ですか?」
「いや、城の医官だ。……ただ、アイリスと公爵も遺体の様子を確認してる。俺は公爵にも多少医療知識を教えたことがあるけど、公爵によれば死因を偽装してるようには見えなかったと。……そうだったな?」
「……ええ。わたしには……【黑妖】の仕業に思えました。全身に黒い斑点が見えたので」
「そうですか」
黒い斑点が全身に広がるのは不運にも【黑妖】の呪いに侵された者の特徴である。
――つまりは世継ぎ争いの果ての、暗殺ではないということか。
ユルゲン公子を疑ってしまったことを見抜かれたようで居た堪れない。……ただ、アイリスと公爵が暗殺ではないだろうと証言しているのなら、それは間違いないはずだ。
となると、やはり城内に【黑妖】が潜伏している可能性が俄然高くなってくる。
「だから師父様はアイリス様を城からお連れしたんですね」
「ああ、公爵の頼みを受けてな」
城内に【黑妖】がいる可能性があるのならば、その危険から娘を逃がそうとするのは父親として自然な行動だろう。
【黑妖】の異常発生。そして公爵子息の死。
……本当に、公都エルメルで、何が起きているというのだろう。
「さて、そろそろ寝室に戻るか」
食事を終える挨拶もそこそこに、クラスがそう言って席を立つ。
「おじい様、もうお休みですか」
「ああ。アイリス、お前も今日は早く寝るんだぞ。色々あって疲れているだろうし、お前の見目を狙った人攫いが出るなら、下町を出るにも頃合いだ。明日朝にはここを発つぞ」
「は、はい。……あの、今日は私のせいでご迷惑をおかけしてしまって」
「……別に迷惑だなんて思ってねーよ」
呆れたような、そして同時に労るような目をしたクラスが、諭すような口調で言う。
「卑屈になるな。お前は自分から自分を下げて見るところがある」
「……はい」
アイリスが小さな声で頷くのを聞くと、クラスはとっとと個室を出ていった。
「……あ、お金!」
はっとしたところで、既にクラスは給仕にチップの銅貨を渡し、そのまま三人分の支払いを済ませたところだった。彼は食事処を出ると、さっさと寝室のある二階へと消える。
――伝説の偉人に奢られてしまった。
チップを渡し会計を終えるまでの一連の流れがあまりにも無造作だったため、その事実に気がつくのに数瞬遅れた。……というか、これ、店員側からすると、年上の男女が年端も行かない少年に奢らせたように見えないだろうか。
(う、うわあ……)
失態に頭を抱えたところで、リリオはふと気づいた。
クラスの背中を見送るアイリスが、ひどく悲しげで、昏い目をしていたことに。
(アイリス様……?)
……様変わりをした公都か、あるいは死んだ兄か。
果たして何を憂いているのか定かではなかったが――ひどく靉靆とした蒼の瞳が、リリオの印象に強く残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます