第31話 市長閣下
アルヴァンは手を止めてそちらを向いた。
「貴様、そこでなにをやっている!」
「聖女様から離れろ!」
剣を持った二人の男が鋭い声で言った。どちらも昼間見た塔の見張りたちと同じ紅い上着を着ている。そして、彼らの後ろにはもう一人男がいた。
「まさかここに侵入してくる輩がいるとはな……」
後ろに控えていた男が言った。彼の服装はほかの二人とは違っていた。紫色のダブレットを身につけていて、頭には宝石で装飾されたベレー帽が乗っている。そして、紅い服の二人よりも遙かに強いアニマを纏っていた。
「……ここからがいいところでしたのに……」
大層不満げな顔でバルドヒルデが言った。
「こんな夜更けに何のご用ですの、ラングレイ市長閣下?」
「不穏な情報を耳にしましたのでね。我が市の至宝たる聖女様の身を案じて馳せ参じたのでございます」
紫のダブレットの男が一歩前に出た。大柄な男だった。磨き上げられた彼のブーツが床を打つと重い音がした。金属で補強してあるようだ。
「さて、君は昼間からこの街のことをいろいろとかぎ回っていたようだが、どこの手の者だ?」
市長は観察するようにアルヴァンを見ながら言った。紅い服の二人組も険しい表情で剣を構えている。
「ええと、僕はただバルドヒルデさんに会ってみたくてここまで来たんですが」
「会ってみたかった? 誰かに命じられた訳ではないというのか?」
ラングレイはわずかに眉をつり上げた。
「そうですね。別に誰かに頼まれてここに来たわけではないです」
「ふふん、聞いて驚きなさい、ラングレイ! こちらのアルヴァン様は、わたくしを救い出すためにやって来た、王子様ですのよ!」
うなずくアルヴァンにバルドヒルデが得意満面で加勢する。
「……このクレモア大陸の国に君くらいの年頃の男子がいる王家は存在しないはずだが」
ラングレイは淡々と言った。剣を手にした二人組も怪訝そうな顔でアルヴァンを見ていた。
「……どうしましょう、アルヴァン様、真正面から全否定されてしまいましたわ」
「僕に言われても……実際、僕は王子様じゃないし……」
「そうは言いましても、わたくしにとっては紛れもない王子様ですわ。なんとかして身分をでっち上げられませんこと?」
「さすがに無理だよ……」
声を潜めて聞いてくるバルドヒルデにアルヴァンは困り果てた顔で言った。
「アルヴァン君というのかな。君の素性はよくわからないが、とにかく君は聖女様をここから連れ出すのが目的なのだね?」
ラングレイがアルヴァンを見て言った。
「そうですね。封印を解いてから、一緒に海を見に行こうって話をしていて――」
アルヴァンがうなずいた直後、ラングレイのアニマが膨れあがった。直後、紫色のダブレットを着た市長の姿が消える。それとほぼ同時に、アルヴァンは鋼鉄で強化されたラングレイのブーツで蹴り飛ばされていた。
銀髪の青年は轟音とともに塔の壁を突き破って飛んでいき、その姿を消した。
「それだけ聞ければ十分だよ」
市長が振り抜いた足を下ろすと、鉄が木の床を打つ重い音がした。
「ここはしばらく使えないな。聖女様にはひとまず私の屋敷にとどまっていただくとしよう。お前たち、移送の手配をしてくれ」
「かしこまりました」
壁に空いた大穴を眺めながらラングレイが指示を出すと、紅い服の二人組はうなずいた。
「それと、警備隊員全員を招集し、あの黒い剣を持った銀髪の青年を追え」
「先ほどの侵入者ですか? お言葉ですが、生きているとは思えませんが……」
二人はちらりと壁の大穴に目を向ける。この二人も聖女の血から作った薬によって力を得ているが、それでも先ほどの市長の攻撃は目で追えないほどだったのだ。あれをまともに食らった青年がまだ生きているとはとても信じられなかった。
「いや、彼は私の蹴りを剣で受けた。生きているはずだ。そして、また聖女様を狙ってくる」
「そんな……」
「とにかく、指示に従ってくれ。この街の未来がかかっている」
「か、かしこまりました!」
ラングレイの険しい表情を見て、彼らは慌ててそう答えた。
走って部屋を出て行った二人の足音が聞こえなくなると、ラングレイは燃えるような紅い髪の少女に向き直った。市長は冷たく、蔑みきった目で聖女を見た。
「あの青年が何者なのかは知らんが、貴様の思い通りにはさせんぞ、化け物」
「あら? わたくし、化け物だったのですの? どなたもみな『聖女様』『聖女様』と呼ぶものですからてっきり聖女なのだと思っていたのですが……」
上品にくすりと笑ってバルドヒルデが言う。
「戯言を……。あの青年、腕は立つようだが生きてこの街を出ることはない。貴様を救い出しに来た者が、貴様の力を得た我々の手で葬られるのを指をくわえて待っているといい」
ラングレイは吐き捨てるように言った。
「そうですわね。わたくしは落ち着いて待つことにいたしますわ。あなた方がアルヴァン様に倒されていくのを」
「……ずいぶん信頼しているのだな」
「当然ですわ。あのお方こそ、わたくしがずっと待っていた、運命の王子様ですもの」
壁に開いた大穴の方に目を向ける聖女バルドヒルデは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「市長閣下、聖女様護送の任を受けて参りました!」
塔の階段を上って五人の男女が現れた。全員が紅い上着に胸当てをつけていて、武器を帯びている。
「ご苦労。聖女様を私の邸までお連れしてくれ」
「はっ!」
ラングレイが命じると五人の男女はバルドヒルデを先導して部屋を出て行った。聖女は何も言うことなく、素直に指示に従って塔を降りていった。
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