第22話 嘘つき

「お父さんの剣に触るな!」


 激昂したアーシャが吠えるように言う。青年はまるで意に介していない様子で、フレドの短剣をアーシャに向かって投げた。


「えーと、こうかな?」


 空になった青年の両手が素早く動いた。


「あれは……忍術……? そんなバカな……あれはフレド隊長だけの……」


 信じ難い光景にリセルは目を見張っていた。

 だが、銀髪の青年の両手は、何度も見てきたフレドの動きと全く同じように印相を結んでいた。


 アーシャに向かって飛んでいたフレドの短剣が、次々と分身していく。それは、間違いなくフレドが使っていたのと同じ、影分身の術だった。


「嘘……それはお父さんの……」


 小さな声でアーシャがつぶやく。父の技を敵が繰り出してくるという悪夢のような事態に戦意は失われ、その体から力が抜けてしまっていた。


「アーシャ!」


 リセルはアーシャを助けようと走った。


 銀髪の青年がフレドの術を操る様を呆然と見つめていたアーシャを突き飛ばす。

 彼女が立っていた場所を増殖したフレドの短剣が飛び去っていったのは、その直後だった。


 なんとか避けられはしたものの、短剣の群れは旋回してアーシャとリセルを包囲した。


「影分身の術・刃界包囲、でしたよね?」


 無数の刃による囲いの外で、青年がそう言うのが聞こえた。


「くっ……」


 リセルは腰に差した二本の剣を抜いた。


 アーシャもリセルと背中合わせになって再び身構える。だがそれでも、彼女は明らかに集中を欠いていた。


「どうして……どうして、お父さんの術を使えるのよ……どうして……」


 今にも泣き出してしまいそうな声で、アーシャは「どうして」と繰り返していた。


「アーシャ! 来るよ!」


 リセルは叱咤するように言った。


 なんとかしてアーシャを立ち直らせなければならなかった。それができなければ、二人とも死ぬ。


 何百、何千という数にまで増えたフレドの剣が襲いかかってくる。

 迫り来る刃の群れを、剣を振るい、身を躱してリセルとアーシャはなんとか凌ぐ。


 剣の群れは生きた獣のように二人を襲った。左右に分かれての挟み撃ち、ひとかたまりになっての突撃など多彩な動きでアーシャとリセルを翻弄していく。


「なんでよ……! なんで、なんであんたの術の方がお父さんよりも速いのよ!」


 青年が使う父の術に苦しめられながら、アーシャは悲痛な声を上げた。


 リセルにもわかっていた。絶対に信じたくないことだったが、この青年が使う術はフレドよりも速く、精確で、強力だった。


「そう言われても」


 困ったような顔で銀髪の青年は首をかしげた。


 どこまでも穏やかなその態度に、アーシャは激高した。

 防御も回避も捨てていた。傷を負うことも構わず、雄叫びを上げながら青年に向かって突っ込む。


「あんたさえ、あんたさえいなければ!」


 飛び交う短剣の群れに切り刻まれながらも、アーシャは敵に向かって走った。死のもの狂いの動きだった。血を滴らせながら無数の刃の包囲を抜け、渾身の力を込めて、アーシャは斬りかかった。


「……いいですね」


 青年も漆黒の長剣を抜いた。その剣身よりもさらにどす黒いアニマが、青年の体からあふれ出す。


「うああああああ!」


 黒く禍々しいアニマへの、父の仇である銀髪の青年への恐怖をねじ伏せるように叫びながら、アーシャが『春雷』を振るう。


 青年の体など真っ二つに出来るだけの力を込めて放ったはずの、雷撃の如き一閃は、漆黒の長剣によって苦もなく受け止められていた。


 軽く剣を振って、銀髪の青年はアーシャの『春雷』を捌いた。

 たったそれだけの動きで、またもアーシャは吹き飛ばされていた。


「やっぱりフレドさんの方がよかったですね」


 なにかを諦めたかのように小さなため息を漏らして、青年が言った。


 地面を転がって倒れ込んだアーシャに、刃の群れが一斉に襲いかかる。

 渾身の一撃を撃った後のアーシャにはもう、迫り来る刃を凌ぐ力は残っていなかった。


「あたしもう、だめだよ……立ち上がれないよ……リセル……助けて……」


 倒れ伏したまま弱々しく、アーシャは手を伸ばした。


 だが、リセルの目は彼女を見てはいなかった。


 恐怖に震えるその瞳には、自分に向かって歩いてくる、黒いアニマを纏った銀髪の青年しか映っていなかった。


「あなたは、まだやれますよね?」


 そう言って、青年は右手に持った漆黒の剣を軽く持ち上げてみせた。


 一歩、また一歩と、青年が近づいてくる。その度に、リセルもまた一歩ずつ後ずさっていた。リセルの体は離れていった。柔和に微笑む青年からも、血塗れで倒れ伏すアーシャからも。


 勝てるわけがない。フレド隊長ですら勝てなかった相手と戦ったりしたら、絶対に殺される。


 リセルはそう思っていた。


 一歩後ろに下がるたびに、目から涙があふれた。胸は痛いほどに脈打ち、両手はがたがたと震えた。全身から力が抜ける。


 握りしめていたはずの二本の剣が、音を立てて地面に落ちた。


「い、嫌だ……僕は、嫌だ……。君と戦いたくなんて、ない」 


 リセルの口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。

 地面に膝をつき、リセルは青年に頭を下げた。


「お願いします……見逃してください……。僕を、殺さないで……」


「いいですよ。あなたは、つまらなさそうだし」


 あっさりとそう言って、青年は剣を納めた。


 リセルは信じられない思いで顔を上げた。銀髪の青年は穏やかな顔つきでリセルを見ている。その手が再び漆黒の剣にかかることはなかった。


 助かった。見逃してもらえた。殺されずに済んだ。


 自分が生き延びられたことを実感すると、リセルの胸に心地よい安堵が広がっていった。


「……嘘つき」


 小さな声だったが、その言葉はリセルの耳にはっきりと届いた。


 弾かれたようにアーシャを見た。


 アーシャもリセルを見つめていた。


 今までに見たこともないような目で。

 失望。嫌悪。怒り。そして悲しみ。


 それら全てが入り交じったアーシャの瞳は射抜くようにリセルを見ていた。


「ア、アーシャ……ぼ、僕は……」


 リセルはようやく自分がなにを得て、なにを失ったのかを悟った。


 失ったものを取り戻そうとリセルは手を伸ばす。

 しかし、なにもかもがもう遅かった。


 リセルから離れていった短剣の群れは一斉にアーシャに襲いかかる。それに対してアーシャは一切抵抗することなく、自分を蹂躙する無数の刃に身をゆだねていた。


 絶望に染まったその瞳は、ただリセルだけを見つめていた。

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