第6話 火曜日の幸福



とある家庭の夕食の時間。


火野カケルはダイニングテーブルに座り、妻アケミと娘たちの賑やかな声を聞きながら、静かに食事をしていた。

彼は普通の飲食店に勤める普通の男だが、可愛らしい娘2人に囲まれて順風満帆な生活を送っていた。


「パパ、今日ね、学校で百点取ったの!」


元気いっぱいな長女のヒナ(12歳)が、テストの答案を誇らしげに掲げる。


「おお、すごいな! ヒナは頑張り屋さんだからなあ。」


カケルは笑顔で娘の頭を撫でる。


「私も、漢字の小テスト、全部書けたよ!」


続いて次女のミユ(10歳)も、小さな手でプリントを差し出した。


「ミユもすごいな! パパはミユが漢字を頑張ってるの、ちゃんと知ってるぞ。」


二人の娘がキャッキャと笑いながら、カケルに褒められるのを楽しんでいる。

こうして娘達と語り合うのは彼の何より幸福な時間だった。

そんな光景を、妻アケミは穏やかな目で見つめていた。


「パパは本当に、二人のことをよく見てるわね。」


「そりゃそうさ。俺たちの大事な娘たちだもんな。」


カケルは満面の笑みを浮かべながら、料理に手をつける。

今夜のメニューは、アケミの手作りの煮込みハンバーグ。ジューシーな肉汁が溢れ、食欲をそそる香りが広がっている。


「うん、やっぱりアケミの料理は最高だな!」


「もう、大げさなんだから。」


アケミは照れくさそうに微笑む。

妊娠中の体で家事をこなすのは決して楽ではないはずなのに、彼女はいつも家族のために最善を尽くしてくれる。

カケルはふと、アケミのお腹に目をやる。


「……調子はどうだ? 無理してないか?」


「大丈夫よ。最近はちょっと疲れやすいけど、お医者さんも順調だって言ってたし。」


「そっか……無理だけはするなよ。俺もできるだけ早く帰るようにするからさ。」


「うん、ありがとう。」


アケミは優しく微笑む。

彼女のお腹には三人目の新しい命が宿っていた。

家族の温かさに包まれるこの幸福な時間。

これ以上の幸せはない。

カケルは今人生の喜びを感じていた。


だが——


「ピンポーン」


突然、インターホンが鳴った。

カケルは手を止め、妻と娘たちが不思議そうに顔を見合わせる。


「こんな時間に誰だろう……?」


リビングのモニターを覗く。

そこには見知らぬ男が立っていた。

カケルは眉をひそめ、モニター越しに男を見つめた。


「誰だ……?」


「パパ、誰か来たの?」


娘のミユが首を傾げる。


「さあ……ちょっと見てくる。」


カケルは立ち上がり、玄関へ向かった。

ドアを開けると、男は無言のまま静かに微笑んでいた。


「火野カケルさんですね?」


「……あんた、誰だ?」


「初めまして。宝立マモルと申します。」


宝立という名字を聞いた瞬間、カケルの脳裏に嫌な予感が走った。非常に珍しい名字だ。誰の関係者なんてのは明らかである。


「弁護士ですよ。少々お話がありまして。」


「……悪いが、今は家族と食事中なんだ。後にしてくれないか。」


「いえ、ご家族にも関係のある話ですので、できれば皆さんがいる今、お話をさせていただきたいのですが。」


「は……?」


「お邪魔してもよろしいですか?」


マモルは淡々とした口調で問いかける。

一瞬、追い返そうかと思ったカケルだが、マモルの表情に一切の感情がないことに気づき、不気味な気配を感じた。


「……わかった、上がれ。」


カケルはしぶしぶ家の中へ招き入れた。

まさかナナミのことだろうか?

いやまさかバレているはずはない。

逢瀬の時はいつも遠くのホテルで絶対にバレないように慎重に会っていた。

ぬかりはない。

きっと証拠もないがとりあえず文句を言いに来た、そんなところだろう。

リビングへ入ると、アケミと娘たちが不思議そうにマモルを見つめている。


「パパ、この人誰?」


「弁護士の宝立マモルさんだってさ」


「弁護士って・・・」


妻のアケミが心配そうにつぶやく。


「それで用件はなんだろうか?もう夕飯の時間だというのに非常識でしょう?」


「ええ。それではまずこちらをご覧ください。説明するよりその方が早いので」


マモルはカバンからタブレットを取り出し、テーブルに置いた。


「なお、映像には配慮を加えました。」


「……は?」


カケルが困惑する中、タブレットの画面が映し出された。

画面には、カケルとナナミが親密に絡み合うシルエットが映し出されていた。

局部だけをうまく隠す緻密なモザイク処理が施され、妖艶なBGMが流れ、まるで日活ポルノのような編集が施されていた。

字幕には、「妻が妊娠中で相手をしてくれないので不倫しました」と淡々とした文字が表示されている。


「……!!?」


「……!!?」


カケルの顔が真っ青になった。


「ちょっ……やめろ!!!」


慌ててタブレットを掴もうとするが——


「人の手から無理矢理物を奪うのは窃盗・及び暴行の罪に問われることがありますよ。それにこれは違法な証拠ではありません。配慮しましたから」


いや配慮って。

このAVまがいの編集がか?

マモルの冷静な一言で、動きが止まる。

その場が凍りついた。

タブレットの中では男女が激しく性交する姿が映し出されている。

タブレットから流れる音声がやたらと大きく感じる。


『どうだ!?俺の気持ちいいだろ!』パンパンパンパン


『うん!とっても!私の身体はどう!?』パンパンパンパン


『ああ!妻の何百倍も気持ちいいよ!あいつはもう2人も産みやがったからな!ゆるゆるで抱いててもつまらねえ!』パンパンパンパン


『そうでしょう!?あん♡あん♡あん♡』パンパンパンパン


しばし茫然と映像を見送る。

最後にカケルが『うっ!!』といったと同時に大きく震えて停止した。

画面下には『ただいま射精中』と大きく書かれている。

どうやら子供に分かりやすいように配慮したようだ。

ブルブル震える火野の様子をしばらく映していたが、やがて暗転してエンドロールが流れる。


主演:火野カケル 宝立ナナミ 

撮影協力:宝立法律事務所


そしてエンディングが終わると同時にいたたまれない空気がリビングに流れる。

娘2人は可哀想に茫然と画面のTHE ENDの文字を眺めていた。


しばしの沈黙の後、


「……へえええええええええええ!!!!」


静寂を破るのは、アケミの怒声だった。


「カケル……あんた……何、してんの?」


「ち、違うんだアケミ!! これは……これは……!!!」


アケミの声は震えていた。


「……へえ、違うんだ?」


アケミはニコリと笑った。


「じゃあ……これは?」


映像を巻き戻す。

タブレットに映る映像は、カケルがナナミの体にしゃぶりつく姿、悦に浸った表情、そして——


『ああ!妻の何百倍も気持ちいいよ!あいつはもう2人も産みやがったからな!ゆるゆるで抱いててもつまらねえ!』パンパンパンパン


カケルは全身の血の気が引くのを感じた。


そして次の瞬間——


「ふざけんな、ボケェ!!」


アケミは実は元ヤンだった。

アケミの強烈な拳が炸裂した。

先ほどまでのおしとやかな妊婦はどこに消えたのか。

そこに立っていたのは般若の形相をした悪鬼だった。


まともに食らったカケルはバランスを崩し、背後の棚に激突。


ガシャアアアアン!!!


食器棚が大きく揺れ、収納されていた食器の全てがカケルの上へ降り注ぐ。


「ぎゃあああああ!!!!!」


カケルは悲鳴を上げながら、砕けた皿やコップに埋もれた。

娘たちは固まったまま言葉を失っていた。

マモルはその様子を見ると満足そうに頷き、タブレットを閉じた。


「では、これで私の用件は以上です。また後日慰謝料を請求致しますので」


「え!!?」


人の家庭をこれだけぶち壊しておいて!?

カケルは信じられないといった顔でマモルを見た。

静かに席を立ち、マモルはリビングの出口へ向かった。


「パパ……」


ヒナが震える声でつぶやく。


「……嘘、だよね?」


ミユの目には涙が溜まっていた。


カケルは答えられなかった。

ただ食器の破片にまみれ、震えながら座り込むことしかできなかった。


その姿を見てマモルは淡々と呟いた。


「ああ奥様最後に。私は弁護士で離婚関係にも慣れております。もしご用命がございましたらこちらの名刺までご連絡ください。それでは失礼します。」


彼は静かに玄関の扉を閉めた。

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