雨の日にやさぐれお姉さんを拾ったと思ったら胃袋も心も掴んでくるスーパーお姉さんだった

九戸政景

第1話

「あ、あの……」

「んー……?」



 雨が降る夜、電信柱の下に落ちていたお姉さんを見つけた。こういう時の定番は段ボール箱の中の犬や猫だと思うけど、私の場合は違った。こんな雨なのに何故か傘も差さずに湿気ったタバコを右手に持ち、左手には銀色の缶のビールを持った年上の女性だった。


 雨に濡れてペシャっとしている長い栗色の髪が綺麗なその人は、白いシャツの上から青いデニムのジャケットを着ていて、下はカーキのパンツといった格好だった。せっかく決まっていたであろうメイクも雨に濡れてぐちゃぐちゃであり、その姿がなんだか痛ましく見えた。



「なんだい、アンタ」

「その……濡れませんか?」

「もうすっかり濡れてるよ。それに、空模様も気分も真っ暗。ほんとやになっちゃうよ」

「嫌なことでもあったんですか?」

「まあね」



 お姉さんはゆっくりと立ち上がる。けれど、ビールのアルコールが回ってるのかすぐにふらついた。



「おっとと……」

「だ、大丈夫ですか?」



 慌てて声をかける。お姉さんはどうにか倒れずに済んだけど、その足取りはおぼつかない様子で、お姉さんは濡れた髪を顔に張り付かせながら大きくため息をついた。



「酔いも焼きも回ったかな……アンタみたいな年下の女に心配されるなんてさ。あー、やだやだ」

「あ、やっぱりとしう……」



 すると、お姉さんはタバコを缶の中に入れ、空いた手で私の頬に手を触れた。



「えっ……?」

「たとえ同性でも女の前で年の話はするもんじゃないよ。わかった?」

「ひゃ、ひゃい……」



 お姉さんがきれいな顔をしている事から見つめられるととてもドキドキしてしまう。そしてお姉さんは私の頬から手を離したが、やがて顔をしかめ始めた。



「へ、へ……へくちゅ!」



 お姉さんのクシャミは中々可愛らしかった。どうやら怖いだけではないようだ。



「とりあえずウチに上がっていってください。ウチ、この近くなんで」

「こんな夜に見知らぬ女を家に連れ込もうなんて……アンタまだ若そうだけど、実は結構肉食系なのかい?」

「そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ。ほら、肩に掴まってください」



 お姉さんが肩に掴まった後、私は傘でお姉さんがこれ以上濡れないようにしながら家に向かって歩き始めた。気分転換のための散歩だったのだが、とんだ拾い物をしてしまった。


 そうして数分かけて歩いた後、私は家の鍵を開けて中へと入り、お姉さんを玄関の壁にもたれさせてから声をかけた。



「とりあえずタオル持ってきます。少し待っててください」

「仕方ないから待つよ。ここまで来といて嫌だとは言えないからね」



 お姉さんの言葉に嬉しさを感じた後、私は乾いた清潔なタオルを持ってきた。そしてお姉さんがタオルで頭を拭く姿に色気を感じていた時、ふと首もとに何かがあるのが目に入った。



「これって……アザ?」

「ああ、元カノにつけられたものだよ」

「元……カノ?」



 元カレではなく元カノという事を考えるに、このお姉さんは男性ではなく女性が恋愛対象なのかもしれない。そんな事を考える私の前でお姉さんは小さく頷いた。



「あの子はいわゆるメンヘラ的なとこがあってね、その上癇癪持ちだったからよく殴られたり蹴られたりしたもんだ。だから、脱いだらもっと傷があるよ」

「酷い……」

「どうにか今日別れる事は出来たんだけど、結構長い期間やられてたからかこんな暗い性格にもなって、話を聞いてくれてた友達だってさっき無くした。それで、自棄になってビール片手に酔っぱらってたら雨が降りだして、初めて吸ってたタバコも湿気ったからどうしたもんかと思ったらアンタに拾われたってわけだ」

「拾えてよかったですよ、本当に」

「それで、何かお望みなのかい?」

「え?」



 お姉さんはまだ髪が濡れた状態で顔を近づけてくる。その姿だけでも色っぽかったが、濡れたシャツが体に張り付いて細身だけど出るとこは出ているスタイルのよさが際立ち、誘惑するように舌で唇を舐める姿に私はドキドキした。



「な、何か……って?」

「こんな夜中にアタシを連れ込んだんだ。ただおねんねさせたいってわけじゃないだろ?」

「お、お姉さん……」

「もうわかってると思うけど、アタシはオトコよりもオンナの方が好きなタチだ。よく見ればアンタもいい顔してるし、一宿の恩義として一晩くらいなら可愛がっても……」



 そこで言葉が途切れると、お姉さんは私に体を預けるようにして倒れこんできた。



「お、お姉さん!?」



 具合を悪くしたのだろうか。そう考えて私は驚いたが、お姉さんはどうやら寝てしまったらしく、すうすうという寝息を立てていた。



「ね、寝たのか……」



 安心したような残念なような気持ちで息をついた後、私はお姉さんを客間に運んだ。そして着替えさせるために濡れた服を脱がせていると、お姉さんは下着姿になった。たしかに身体には幾つもの傷があったが、それ以上に大人の色気がむんむんなその姿に私は思わず喉をゴクリと鳴らしてしまった。



「……は、早く着替えさせないと。今のはたぶん冗談だろうし」



 私の部屋から運んできた少し大きめの服やズボンを着せた後、私はお姉さんをベッドに寝かせて、自分の部屋に戻った。



「はあ……気分転換のはずが、思わぬ展開になっちゃったよ。まあでもこれでまた書けそうだし、少しでも進めないと」



 机に向かい、パソコンの画面をつける。そして小説家としていま抱えていた仕事に手をつけ始めたが、やがて私も眠くなっていき、いつしか意識を手放した。





「……い、おき……」

「んー……?」

「起きなよ、アンタ」

「……んえ?」



 変な声を出しながら私は目を覚ます。目を擦りながら声がした方を見ると、そこには昨晩のお姉さんがいた。



「あ、れ……もう朝……?」

「そうだよ。パソコンをつけたまんま寝落ちしてたんだよ、アンタは」

「そういえば、仕事をしてたんだった……」

「仕事って……ああ、もしかしてアンタは小説家なのかい?」



 パソコンの画面を見ながらお姉さんが聞いてくる。



「はい。といっても、まだ新人ですけど」

「ふーん、そう。とりあえず飯作ったから食いな。食材とかは勝手に使わせてもらったけど」

「あ、はい……」



 お姉さんと一緒にリビングに行くと、そこにはとても美味そうな朝食が並んでいた。



「す、スゴい……!」

「これでも料理人をしてるから料理は得意なんだ。味も保証するよ」

「い、いただきます!」



 私は作ってもらった朝食を食べ始める。料理人というだけあってその腕はたしかなのかどれも絶品だった。



「お、美味しいです!」

「それならよかった。これから毎日食わせてやるからね」

「は、はい……え?」



 突然の事に私は驚いてしまった。毎日と聞こえた気がするけど、たぶん気のせいだと思う。



「なんだ、嫌なのか?」

「そうじゃないですけど……え、もしかしてここに住むんですか?」

「元カノの家で同棲してたからね。アンタも中々いい顔や身体つきしてそうだし、色々満たしてやるよ。腹もその中にありそうなオンナとしての欲求も、ね」



 お姉さんはクスクス笑う。お姉さんの言葉に驚き続ける中、お姉さんは私の頬に手を触れた。



「アンタの名前は?」

「ゆ、由利ゆり美音みおんです……」

「アタシは太刀川たちかわ凛莉りりさ。よろしくな、美音」



 お姉さんは少しかすれたハスキーボイスで言う。どうやら私はとんだ拾い物をしたようだ。私の胃袋も心も掴む不思議なお姉さんを。

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