いつかの向日葵
伏目しい
1 夏の少年たち
「学校裏の神社に、おかしなイキモノがいるらしい」
そういったのはケイゴだった。
いつものように口をいっぱいに開いてにかりと笑い、ケイゴは赤茶けた腕をぶんぶんと振り回す。
「おもしろそうだろ? な、イチロク、行ってみようぜ」
ずいと机に身を乗り出すケイゴに、イチロクは目を細めて呆れた顔をつくった。
「別に。興味ない」
「なんでだよ。〈神社〉に〈謎のイキモノ〉だぞ? これだけでもう怖くてワクワクしてくるだろ?」
「怖いならゾクゾクするだろ。なんでワクワクしてるんだよ」
ため息をつきながら、ちょこんと肩をすくめてみせる。肩が上手く動かせなくていまいち格好がつかないが、イチロクはそれを咳払いでごまかした。
「それにね、ケイゴ」
机の上のペンをそっとつまみ上げて、キラキラした目を向けてくるケイゴの頭を軽く小突く。
「今は授業中だ」
イチロクがペン先を黒板に向けると、光る目で二人をにらむ担任の姿があった。
放課後。下校の合図とともに、イチロクとケイゴは一目散に廊下へと飛び出した。教室からは担任の怒鳴り声が響いていたが、聞こえないふりをして階段を駆け下りる。
「で? 裏の神社がなんだって?」
階段を飛び下りながらたずねるイチロクに、先を行くケイゴが振り返った。
「ほら、やっぱり気になるだろ?」
してやったりといった顔でケイゴが笑う。ふんと口をとがらせて、イチロクはそっぽを向いた。
手すりに乗り上げてすべるように階段を下りながら、イチロクはケイゴの背をぱしんとたたく。
「お先に」とからかうイチロクに、ケイゴも負けじと階段を三段飛ばしで駆け下りる。競い合って転がるように校舎を飛び出し、その勢いのままに走り出した。はじけるような笑い声が、夏の光にまじって青空に響き渡る。校庭のスピーカーから流れる熱疲労注意のアナウンスを聞きながら、二人は学校の門を駆け抜けていった。
◆◆◆
神社は、街の端の丘の上にある。広い学校の敷地をぐるりとまわって、裏手の金網沿いに細い道へ入ると、そこからは長い坂道が続いていた。目指す神社は、その坂の頂上だ。
坂の手前には、立入注意をしめすロープがはられていた。
「だってさ」
イチロクがロープを指さすと、ケイゴはふんと頷いた。
「
「だな」
二人で顔を見合わせてにやりと笑う。ロープを飛び越えて先へと進むと、肩を並べて坂道を上った。
「なあイチロク、神社に行ったことあるか?」
坂の途中で、ケイゴがたずねた。
「一年の時の保全活動で一度だけ。それ以外にはないな。一応、ここは
保護指定区域は、この街のあちこちにある。史料保存と美観維持を目的としたエリアで、一般の立ち入りは推奨されていない。保護指定区域はその重要度によってランク分けされており、この学校裏のエリアは指定1に認定されていた。重要度低のランクなので、見つかっても叱られるくらいですむはずだ。
「ま、そんなもんだよなあ」
さえない顔でうなずくケイゴを、イチロクは横目でちらりと見る。
「なんだよ、神社がどうした。まさか怖いのか?」
怖いというのがどういうことかよくわからないが、とりあえず聞いてみる。ケイゴはちょっと考えるように頭をかたむけたが、やがて首をふって否定した。
「怖い……じゃないな、苦手なんだよ」
「神社が?」
「神社じゃなくて、この保護指定区域がさ」
そういって道の先を指すケイゴに、イチロクも視線を前に向ける。数百メートル先には、生い茂った緑が風にゆれていた。
「ここって保存を目的としてるから、あんまり整備されてないだろ? この先の道とか舗装されてないし」
「まあ、そうだな。建物だけじゃなくて、土地全体が保全対象だからね」
イチロクがそういうと、ケイゴはうなずきを返す。
「一年の保全活動でさ、おれ、土壌調査の担当だったんだけど、前日に散水があったらしくて泥だらけになったんだ」
いいながら、ケイゴはすねた顔をつくって見せた。
「泥は、まあいいんだけど。調査が終わった後、汚れを落とすために洗い場へ行ったら、メンテナンス中かなにかで水圧がおかしくなっててさ。頭から水をかぶってショートしかけたんだよ。だからさ、なんか苦手なんだよな、この場所」
不満そうに口をとがらせるケイゴを見て、イチロクはつい笑ってしまった。
「それって保護指定区域のせいか? ただの防水事故だろ。変なやつだな」
「仕方ないだろ。嫌な記憶と結びついて覚えちゃったんだから。今さら上書きできねえよ」
「ま、失敗の記録が増えるのはいいんじゃないか? ぼくたちはそのために学校へ行ってるんだからさ。経験値が上がったと思いなよ」
「そりゃそうだけどさあ」
情けない声を出すケイゴの肩をたたいて、イチロクはにこりと笑う。励ますつもりの笑顔だったが、ケイゴはますます大きなため息をついた。
しばらく進むと、道の色が変わった。舗装された平らな道から、小石の多いでこぼこ道へと変化する。とがった石を踏み付けそうになって、イチロクはあわてて足元に視線を向けた。注意して歩かないと、ひっくり返ってしまうかもしれない。
アスファルトが砂利道に変わる境目でケイゴは少し嫌そうな顔をしたが、イチロクは気付かないふりをして足を進めた。苦手を誰かに指摘されるのは、あまり気分のいいものじゃない。
やがて砂利道は土に変わり、道はさらに細くなる。左右には大木が並び、あふれる葉や草でなかなか先へ進めなかった。
「なんでこんなに草があるんだ」
目の前の草をかき分けながら、ケイゴがわめいた。草を引き抜かないように気をつけながら、イチロクも大声で返す。
「保護指定区域だからだろ」
「これじゃあ保護っていうか放置だろ。ギョーセー担当部はなにやってんだよ」
ぼやくケイゴの背を、大きな葉がばさりとなでる。とがった枝を器用によけながら、イチロクは声をはり上げた。
「それで、どんな生き物なんだ? その謎の生き物ってやつ」
「知らない」
「はあ?」
思わず開いた口に草が入り込んで、あわててはき出す。ぶあつい草を押しのけてすき間に身体をねじ込むと、草の壁の向こうに細い道が現れた。少し先には、赤い鳥居があるのが見える。どうやら参道までたどり着いたらしい。
道の端でひと息つくと、イチロクは眉をよせて振り返った。
「知らないってどういうことだよ。〈謎の生き物〉の情報を持ってきたのはお前だろ?」
イチロクのしかめっ面に、ケイゴはけろりとした顔で答えた。
「正体がわかったら謎でもなんでもないじゃないか」
「そりゃそうだけど。なんだよ、そんな不確定情報のためにここまで来たってのか?」
「いや、イキモノがいるのは間違いない。昨日は毎月の設備メンテナンスがある日だったろ?」
「うん」
「そのメンテナンス中にさ、保護指定区域の管理映像に熱反応があったんだよ。このあたりに放飼動物はいないはずだから、こりゃなんかあるぞってさ」
身体についた草を払いながら得意げな顔で笑うケイゴに、イチロクは呆れた目を向けた。
「ケイゴ、また管理システムを勝手にのぞいたのか?」
「のぞけるようになってるのが悪い。あれじゃあハッキングしてくださいっていってるようなもんだ」
大きくため息をつくイチロクに、ケイゴはぺろりと舌を出す。
「別にいいけど、足つけられるなよ」
「おれを誰だと思ってるんだ、そんなヘマはしないよ」
鳥居の前で一礼して、参道を進む。道の真ん中をあけて左右を歩きながら、イチロクは隣を歩くケイゴにたずねた。
「つまり、普段はあるはずない熱反応を見つけて、生き物がいるに違いないと思ったわけだな?」
「イエス」
楽しそうにケイゴがうなずく。
「それで、おもしろそうだから探しに行こうと考えた」
「イエス、イエス」
「で、ついでにぼくを巻き込んだわけだ」
「イエス、イエス、イエス。その通りだよ、イチロクくん」
「まあ、ヒマだからいいけどさ」
大袈裟に肩をすくめて見せて、イチロクはため息をついた。
こんなふうに、ケイゴはよく思い付きで行動することがある。好奇心旺盛なのは結構だが、事前準備や情報の精査をおろそかにするので、トラブルに巻き込まれることもしばしばだ。そのことについてイチロクが文句をいっても、「データをどれだけ確かめようと、実地調査にはおよばない。行動あるのみ」と聞く耳を持たない。そのせいで危険な目にあったり、無駄足を踏まされたりすることもあるが、ケイゴはそれすらも楽しんでいるらしかった。
「その熱反応だけど、点検機器か何かの誤作動ってことはないのか?」
神社へ続く石段を上りながら、イチロクがたずねる。
「定期点検の予定は半年先だし、しばらくは誰も立ち入ってない。定点観測用のカメラ以外は、機械類も設置されてないはずだ」
慎重に足を進めながら、ケイゴが答える。古い造りの石段は、幅がせまくて歩きづらかった。所々に苔が生えていて、うっかりすると足をすべらせてしまいそうだ。
「それじゃ、どこかの家のペットが逃げたとか」
「可能性はゼロじゃないけど、イヌやネコじゃないのは間違いない。かなり大きな熱だったから」
「大きいって、どれくらい?」
「そうだなあ」
そういって、ケイゴはイチロクをちらりと見る。
「イチロクとか、おれくらいはあったかな」
「なんだって?」
思わず足を止めて、イチロクが聞き返す。
「それってかなり大型の生き物じゃないか? そんなやつがうろついてて、なんでニュースになってないんだよ?」
「そりゃ、発見記録がないからだろ」
あっさりといい返すケイゴに、イチロクは目を丸くする。瞬きを二回繰り返して、その目は、やがてだんだんと細くなった。
「ケイゴ、お前まさか……」
イチロクが大きく息をはいた。
「管理システムから熱反応の記録を消したな? いくらお飾りの防犯装置だからって、それは懲罰対象だぞ」
「大丈夫だよ。履歴も消したし、編集も完璧だ。バレやしないって」
「そういう問題じゃないだろ。そんなことして、肝心な時に
「そんなに心配しなくても、なんも起きねえよ。防犯も防災も、この街には必要ない。完璧な社会統制システム下の完全管理都市だ。これっぽっちのイタズラじゃ、びくともしないって」
「それはそうだろうけど」
盛大なため息とともに、イチロクは天を仰ぐ。木の葉のすき間からこぼれる光が、イチロクの顔を照らしていた。遠く木々の向こうには、雲ひとつない空が広がっている。天気予報通りの見事な青空だ。
本日は、晴天なり。
胸の内でそうつぶやいて、イチロクは頭をかいた。
イチロクが知る限り、この街の天気予報がはずれたことはない。ケイゴのいう通り、ここは完璧に管理された街なのだ。
そのことを、ケイゴが窮屈に思っていることも知っている。けれど、それだって――
ふと、イチロクは気付いた。
「ケイゴ、まさかぼくをシステムデータ改竄の共犯にするために、声をかけたんじゃないだろうな?」
「あ、バレた?」
「冗談じゃない、今月すでに罰点二つだぞ。いい加減にしないと処分されるって。二年足らずで〈ひまわり〉を拝むのはごめんだからな」
詰め寄るイチロクに、ケイゴは両手を向けてへらりと笑う。
「まあまあ、そんな怒るなよ、バレなきゃいいんだ、大丈夫だって」
「お前の大丈夫は確率が三割以下なんだよ、信用できるか。だいたい――」
続けようとしたイチロクの口を、ケイゴが右手でふさいだ。
「なんらよ」
「しっ」
口を押さえられたまま文句をいうイチロクに、ケイゴは人差し指を立てて静かにするようにという仕草をする。
「なにかいる」
その声の鋭さに、イチロクも口を閉ざす。
境内には草木の揺れる音だけが響いていた。耳をすませて、周囲の気配を探る。
イチロクが参道を振り返ろうとしたその時、社殿の方からなにかが落ちるような音がした。顔を見合わせてうなずくと、二人は社殿へと駆け寄る。
御扉に手をかけたところで動きを止めたイチロクに、ケイゴが怪訝な顔をした。
「なんだよ」
「いや、社殿って神様以外は入っちゃいけないんじゃなかったっけ?」
拳を額にあてて考え込むイチロクに、ケイゴは呆れた顔を見せた。
「そんなわけないだろ、カミサマ以外入れないなら、誰がこの中を掃除するんだよ」
「それは、あれだよ、神父とか牧師とか……。あ、違うや、神主だ」
イチロクがパチンと指を鳴らす。
「誰でもいいよ。それよりさっさと開けようぜ」
イチロクを押しのけて、ケイゴが御扉に手を伸ばした。
「あ、おい」
「立入禁止の
そういって扉を左右に大きく開いたケイゴの後ろで、イチロクはぼそりとつぶやいた。
「ぼくたちも侵入者なんだけどね」
社殿の中は真っ暗だった。
ひやりとした空気の奥から、かすかな物音が聞こえてくる。
「ほら、ゾクゾクしてくるだろ」
嬉しそうに笑うケイゴに、イチロクはそっけなく返す。
「外気温度に比べて室温が低いからね。温度差疲労には注意しろよ」
「そっちのゾクゾクじゃねえよ」
小声で話をしながら、物音が聞こえる方へと進む。せまい社殿のすみで、黒い影がむくりと動いた。
「わ」
ケイゴの声に、そろってぴたりと足を止める。顔を見合わせて、二人はそろそろと影に近付いた。
「なんだよ、あれ、まっくろだ」
ケイゴがつぶやくと、影がごろりとこっちを向いた。長い黒髪が、社殿の床に広がって豊かに波打つ。
「イチロク、これって――」
「女の子……?」
そこにいたのは、十三、四歳くらいの女の子だった。黒いワンピース姿の少女が、社殿のすみですやすやと寝息をたてて眠っている。
「ヒトガタか? 色も形も、ずいぶんと旧式みたいだけど」
ささやくようなケイゴの声に、イチロクは首を振って答えた。
「違う、ホンモノだ」
「ホンモノ?」
「ヒトガタの元になったものだよ。三十年前に、一度絶滅しかけた」
イチロクの言葉に、ケイゴの目が驚きで大きく見開かれる。
「まさか」
「ああ、でも、間違いない」
眠る少女を見下ろして、イチロクはうなずいた。
「絶滅危惧Ⅰ類。哺乳類霊長目ヒト科、つまり――ニンゲンだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます