第2話 幼少期の不思議な体験
私が生まれたのは昭和46年の5月。
いわゆる団塊ジュニア世代の真っただ中だった。
多くの子供が生まれるあの時代。
私も例にもれず、多くの同級生がいる世代だった。
生まれたのは神奈川県横浜の金沢文庫と言う場所らしい。
今おっさんの私はすっかり信州人ではあるが。
第1話でも触れたが私の父親は引っ越し魔。
どうやらそこには数か月しか滞在していなかったらしい。
もちろん記憶など存在しません。
そして私の中にある遠い記憶。
恐らく2歳のころ、私は横浜市戸塚区で暮らしていた。
『通信帯』と言う、米軍の施設?いわゆる広大な原っぱ?
とにかくそこに近い場所に私の家はあった。
今思えばあそこは横浜とはいえかなり田舎だった。
まだまだ開発の手が入りきらず、近くには戦争時に掘られた防空壕があったはずだし、いくつもの雑木林があった記憶がある。
子供心にバス停までやたら遠く感じていたものだ。
そういえば女子大生が米兵に殺害されたとかなんとか…
物騒なニュースがあった場所でもあったみたいだ。
もちろんうる覚え。
違ったならご勘弁を。
そして途中の記憶は年齢とともに消えたものの、一つだけ不可思議な記憶が私の中に残されていた。
2歳になったばかりの夏の日。
その日私は迷子になっていた。
一緒に遊んでいたはずの5歳年上の兄が泣きながら母親に告げていたらしい。
まだ2歳の幼児。
一人でそう遠くには行けないはずだった。
しかも生前の母曰く『あんたサンダル履きだった』らしい。
なのに私は自宅から10キロ以上離れた国道沿いの酒屋に保護されていた。
そして。
私の脳裏には確かに、凄まじく美しい、着物を着た2人の女性と手をつなぎ、歩いていた情景がこびりついていた。
実は私が迷子になった場所。
『禿げ山』と言われる、子供たちの遊び場となっていた、伐採をした後放置されていた低い山なのだが。
そこから私が発見された国道沿いの酒屋まで。
途中に大きな川があり、直接通れる道はなかった。
正直たどり着くことは不可能だ。
兄の記憶が確かなら、私が居なくなったのは午前11時。
そして私が発見され、家へ電話が来たのが午後1時。
2歳児がたどり着ける道でも距離でもない。
さらにはきっと名前を聞かれたのだろうが。
そんな幼子、家の電話番号など覚えていたのだろうか?
本当に不思議な話だ。
しかも私は裸足だったらしい。
何故かほとんど汚れていなかったそうだ。
とりとめのない話。
もしかしたら全部夢なのかもしれない。
でも。
あの手をつないでくれた、何故か美しい着物の二人の女性。
すでに50年以上たった今でも彼女たちの手の感触、何故かそれは鮮明に私の脳裏に刻まれている。
一体彼女たちは何だったのだろう?
幽霊?
精霊?
何はともあれ、きっと私はあの時死んでいたのかもしれない。
たいした人生ではない我が人生。
それでも感謝の念は確かにあるのですよ。
ありがとう。
キレイなお姉さんたち。
※※※※※
ああ、それといくつか残っている記憶。
と言うか普通皆さんは子供のころの記憶、あるのだろうか?
印象に残っているのは『コヌキくん』『カズくん』の二人。
コヌキ君には保育園で、肩に嚙みつかれ大泣きしたことを覚えている。
カズ君は確か私よりも小さな隣に住んでいた男の子。
もうおっさんだとは思うけど。
元気にしているかなあ?
うん?
スマンが顔などは、全く覚えていませんよ?
因みに私が戸塚に滞在していたのは小学校1年生まででした。
白梅保育園?
葛野小学校?
確かそんな名前の場所に通っていたようですが…
何はともあれ。
父の悪癖と言うか病気?
2年生になるタイミングで、私は同じ神奈川県の寒川町、倉見と言う場所へと引っ越したのでした。
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