おっさんの独り言~毒にも薬にもならない~
たらふくごん
第1話 取り敢えず浮かんだ過去の事
団塊ジュニアの私はまるでイモの煮っころがしのような雑多な価値観が醸成される昭和後期の生まれだ。
今のご時世、日本は出生率が低下し遂に70万人を切ったようだが…
私が生まれた1970年初頭は200万人を超える同胞が産声を上げていたものだ。
兄弟姉妹は当たり前。
むしろ一人っ子など、探す方が難しい時代。
私はそんな中けっこうなハードモードの家庭に生れ落ちていた。
父親は一応会社員。
あの当時手取りで40万ほどあったらしかったので、社会的な信用は高かったのだろう。
我が家の父親はきっと精神的におかしかったに違いない。
まるで何かに唆されるように愚かにも転居を繰り返していた。
信用はあるから銀行はお金を貸してくれる。
それをいいことに我が父親はどんどんと住宅ローンを組み購入。
そして数か月で売却をし、その価格差で我が家の家計は火の車となっていた。
父と母は文通で知り合ったらしい。
何しろ信州の片田舎で暮らしていた母。
酒癖の悪い祖父から逃れるように、文通で知り合いろくに会ったこともない我が父親と婚姻を結んでいた。
いくら昔とはいえそんな結婚。
当然うまくいくわけもなく、母は当時から精神を病んでいた。
何よりも父親の姑、いわゆる老害だった。
息子にたかる母親。
まあ、あり得ないがけっこうそういう問題は多かったらしい。
何はともあれそんな状況、そして多くの借金を抱える父親。
給料は高いが家に入るお金は雀の涙。
生活の苦しかった母は「話が違う!!」と宣い。
『内職』と言う地獄に、我が家は突入していた。
今の時代の内職事情は私にはわからない。
でも当時の内職、それはあまりにも率の悪い、そして頭の悪いものが多かった。
幼かった私の記憶にある悍ましい内職。
それはガムを噛み、うま味のみを抽出するという、今思えば在り得ないものまであった。
食品衛生法?
コンプライアンス?
あの当時そんなものは存在しない。
母はひたすら業務用の恐ろしい大きさのガムを噛み、うま味をつばと一緒に瓶にためるという恐ろしい内職を行っていた。
大体から今思えば怪しさ満点だ。
おかげで私は大人になってもガムを嚙むことに忌避感を感じていたくらいだ。
…いったいあれをどうしたのだろう?
余りの悍ましさに、子供ながらに思考を放棄するすべを私は会得できたのだから。
結果我が母は味覚をほとんど失った。
今思えば母の作る料理、味がおかしかったと今更ながらに思い出せてしまう。
何はともあれ我が家はお金がなかった。
破局は近づいていく。
※※※※※
私には5歳年上の兄がいたのだが、ずる賢い私と違い真直ぐな兄はちょくちょく母に怒られていたものだ。
掃除機の長い部位。
それでひっぱたかれていた兄。
今のご時世なら児童相談所が駆け込むレベルだが…
あの当時、いわゆる折檻は当たり前の時代だった。
思えばあれはきっと。
心優しい兄のせめてもの抵抗だったのだろう。
日に日に人相の悪くなっていく母親をどうにかしたかったのだと思う。
私は冷めた目でそれを見ていたものだ。
きっと私は地獄に落ちることだろう。
コホン。
そして限界を迎えた我が家は破局を迎える。
私がまだ10歳のころ、お金を入れることの無くなった父が脳梗塞で倒れた。
後でわかったことだが父は友人の保証人になっていたらしく、その借金の返済すらままならなくなり怪しい仕事に手を出し、あまりのハードワークで体を壊した。
既に愛の無かった我が両親。
母は私を連れ、家を飛び出した。
始まる極貧生活。
まあ今と違い、あの当時お金のない家庭は結構あったものだ。
だからぼろきれ同然の服を身に包む私もそこまでは目立たなかったが…
やがて困窮する生活から母は怪しい宗教にはまっていく。
宗教とは怖いものだ。
もちろん個々人で信じることはむしろ崇高な行いだと私は思う。
そしてそれで一応救われる人がいることも否定できない。
だけど。
歴史を振り返れば『残念な事実』の方が多いのは明白だった。
結果として我が母も、壊れかけていた精神を崩壊させ、怪しさ満点なふるまいをするようになる。
最終的に母の妹、私から見て叔母の勧めにより『違う宗教』に落ち着いたが。
私の思春期の始まりは毎朝耳に入ってくる意味の分からないお経によって歪められていく。
とある有名な宗教。
当然のように私も入信させられた。
だが恐ろしいと今ならわかる。
まだ判断のできていない子供に対し、多くの大人が『法話』と題した悍ましい話を教え込み精神を誘導する行為。
あれは普通に抗えない。
そして出来上がる狂信者。
とある国で爆弾を抱え、自爆する気持ち。
少なからずわかってしまう。
私も今思えば在り得ないことを学校で行っていた。
だれかれ構わずその宗教のすばらしさを話して聞かせる中学生。
友達なぞ出来るわけがない。
まあ私は実は腹黒い。
だから信じるふりをわずかながらにできていた。
そしてなにより私が暮らしていた長屋。
その隣に若くそして狂信的な信者が暮らしていた。
まあ見た目はドヤンキー。
何しろあの当時とはいえ、旦那は確か16歳、そして妻は14歳。
何故かフレンドリーなその奥様は、夏休み一人でいた私を誘いソーメンを振舞ってくれた。
「たくさん作っちゃったから」
そう言いはにかむ奥様。
私は当時中学1年生。
13歳だったのだが。
何故か薄着、しかもノーブラのその奥様。
壁の薄い長屋、思春期突入間もない私は夜な夜な聞こえる『その声』に、悶絶していた。
その女性のあれられもない姿。
ツンと上を向く胸の先端。
届く甘い女の匂い。
私は自分の度胸の無さに心から感謝していたものだ。
もちろん何も起こるわけがない。
でもあの時の興奮、私の性癖はきっとあのことが原因なのだろう。
コホン。
まあそんなこんながあった中学時代だが。
おかしかった私はなぜか冷めていたことを思い出していた。
そう。
まるでリアルではない、熱が伴う事はなかったんだ。
何よりこの国では宗教団体は非課税だ。
資本主義の世界観において課税されない団体。
当然のごとくそれは政治との癒着が始まる。
我が国の教育レベル。
かつてそれはかなり高い所にあったと思う。
でもその内容、今思えば権力者の思惑が透けて見えてしまう。
権力者の願い、きっと一部の成功者を支える従順な労働力を量産する事。
そしてそれはある程度目論見通りに進んでいた。
倫理観や道徳はともかく、この世界モノを言うのは財力だ。
生きていくには必ずついて回る事実。
だがそんな一番大切なこと、恐ろしい事に義務教育下では学ぶ機会がない事実。
そしてそれに対し誰も不思議に思わない程度には、すでに大衆のコントロールは成功していた。
まるで真綿で締め付けるような、生かさず殺さず、そして情報のコントロールと扇動。
あの当時、情報と言えばテレビと新聞が主だった。
ましてやネットなどない時代。
愚かな大衆は少しの褒美によって権力者の思うがまま操られていた。
何より恐ろしいのは。
そういう世界が当たり前だと刷り込まれていた事だ。
歴史は繰り返す。
なぜか私はそう思い、だらだらとこんなものを書くのだが…
気が向いたら続き、書くとしよう。
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