めっちゃおもろくて敵わんわ

紫鳥コウ

めっちゃおもろくて敵わんわ

「コイツ、タダハルノ・ユキドケちゃんの幼馴染おさななじみなんすよ。いまめっちゃ人気のアイドルの……」

 逆又さかまたは、一通りの説教を終えて黙ってしまった岐津家きつけ先輩に、ぼくのことを売りつけた。どんよりとした空気を晴らすために、こういう話題を持ち出したのだろう。

 そういう逆又の気持ちは分からなくもないが、ぼくとタダハルノ・ユキドケ――多田ハルノとの関係性を、こういう風に暴露されるのは気分がよくない。それに、面倒なのだ。そのことを知ったひとはみな、ハルノに会わせてほしいと、興奮した様子で迫ってくるから。

 ハルノとは連絡を取れないこともないけれど、呼び出したりするのは、ハルノにとって迷惑だろうし、週刊誌に適当なことを書かれるリスクもある。なにより、その場の盛り上がりのためにハルノを利用するというマネは、ぼくにはできない。

 岐津家先輩は、逆又が話題をお笑いのことかららしたことで、またもや怒りが再燃したらしい。しかしその怒りは、逆又のみに向けられたので、ぼくはすっかり蚊帳かやの外になってしまった。

 賞レースで結果を残せないのは、ぼくの書くネタがおもしろくないからだという理由に尽きる。それなのに、相方の逆又が全力で漫才に取り組んでいないからだと、先輩は説教を続けていく。


 この「ぼくたちに説教をするための飲み会」から解放されたのは、もうすぐ日をまたごうとするころだった。

「おもんないねん!」――酔いが入っていたとはいえ、それは先輩の本心だったと思う。

ネタを書けたらいいんやけど……)

 実家のある雪国を出て、「西のお笑い」の文化圏に入ってからは、それっぽい関西弁を話すようになった。ぼくは、周りからの影響を受けやすい。それはぼくの弱点であり、そのことが原因で、「おもろい」ネタを書くことができないのだと自覚している。言ってしまえば、しんのようなものがないのだ。

 みんなが「おもろい」と言うものに合わせようとしてしまう。でも、そんなんじゃダメなのだ。ぼくたちだけの「色」がないといけない。

 ハルノは、唯一無二の「キャラクター」を作り上げている。バラエティ番組で発言したことが、毎回のようにネットニュースになり、SNSでの投稿もエッジがいていて、賛否両論が吹き荒れる。

《アイドルなのに、こんなことをするなんて!》という賞賛もあれば、《アイドルなんだから、ちゃんとアイドルらしくあれよ》という批判もある。

 当時はそんな子じゃなかった。全然ひとと打ち解けられない大人しい子だった。むかしのハルノを知っているひとは、いまのハルノの姿にびっくりしているけれど、ぼくはそうでもない。

「こんなことをするなんて!」と言いたくなることを、あの日のハルノはしでかした。そして、あれ以上に「おもろい」ことには、まだ出会えていない。


 コンビニで買ったツナのおにぎりを食べてしまうと、今度のライブで披露ひろうする新ネタを考えるために、ちゃぶ台の上にノートを広げた。

 広げたはいいけれど、なにも「おもろい」ことは思いつかなかった。叱られたあとだから仕方ないと言い聞かせて、腕を後ろで組んで寝転んだ。顔をちょっと横に向けたとき、今日は燃えるごみの日だったということに気付いた。

 ハルノはさぞかし立派な家に住んでいることだろう。こんな、いるものもいらないものも、ごっちゃくたになって散らかった、くつろぎも安らぎもない、隣の住人の生活音に悩まされる部屋とは無縁なところで、悠々と暮らしているに違いない。

 ティッシュ箱の上に置いてあるリモコンに手を伸ばしたとき、脇腹の筋が違えて、悶絶もんぜつするほどの痛みに襲われた。すっかり身体もよくない。もうすぐ三十なのだ。このまま売れない芸人であり続けてたまるものかという気持ちと、芸人を辞めてしまいたいという感情がせめぎ合っている。

 脇腹をさすりながらチャンネルを回していると、の音楽番組でハルノが新曲を披露するという番宣が流れた。

「ぼくはいつまでも新ネタを作れんのになあ」

 もう深夜一時だ。ひとり暮らしをはじめてから、夜更かしをする機会は増えて、日付を跨いでも起きているなんて珍しくもなくなった。だけど、日付を越えて間もなくの「今日の夜7時!」という番宣文句には、いまだに慣れない。

「もう夜の7時を過ぎてるけど?……あっ、日を跨いでるんだった。今日は始まったばかりだ」――と、一度は思ってしまう。

 小学生のときは、九時には寝かせられていた。よくあんな時間に寝られたものだ。いまでは考えられない。

 でも、ハルノと遊ぶ約束をした前日だけは、すんなりと眠れなかったのを思い出す。当時はお笑いブームだったからか、羊を数えるんじゃなくて、お笑いコンビの名前を思いつく限り小さく口にする……みたいなことをして、なんとか眠ろうとしていた。

 遊ぶことが楽しかったから。それに、ハルノのことが好きだったから。

 かわいかったし、笑顔が素敵だったし、そぶりにドキッとしたし、不機嫌な表情は見たくなかったし……。

 しかし、あの雪の日。そんなハルノのイメージは裏切られた。あのことを思い出すと、いまでも笑ってしまう。


 あの日の前日――いや、おそらく日付が変わってからだろう。だから当日の深夜と言うべきか。ともかくぼくは、パッと目が覚めてしまった。こういうことは、珍しい。だけど、ハルノと遊ぶ約束をしているときは、珍しいことではない。わくわくから目が覚めたのだ。尿意があったわけではないけれど、トイレに行くことにした。

 ぼくの家には、二階にもトイレがあって、階段を上った先の踊り場――というのだろうか、小さなスペースの一隅いちぐうにそれはある。その「スペース」には窓があり、道路と面している。家並みの中を走る道路だから、大きくはない。だけど、ここら一帯のひとたちのライフラインとなっている。

 トイレに行くついでに、窓の外をちらりと見たぼくは、ぎょっとした。雪が降っていたのだ。もちろん、雪国なのだから、雪が降るのは珍しいことではない。だけど、その年の降雪の早さにはびっくりした。大雪は、夜闇の中を真っ白に埋め尽くしていた。朝になれば積もっているかもしれない。心配でたまらなかった。

 ぼくとハルノは、ぼくの家の中庭で遊ぶのが常だった。引っ込み思案で友達も少ないぼくたちは、同級生たちの輪の中に入れなかったし、男女で遊んでいるというだけの理由で、からかわれていた。

 身体が弱いハルノは、運動をしたがらなかったから、ぼくたちは、こけを掘り返して小さな川を作り、水の抜いた小さな池から、きらきらした石を集めて、デコレートしたりしていた。

 苔を掘り返すと、元に戻すように叱られたけれど、ぼくたちはりずに川を作った。むかしから、なにかを「作る」ということに、熱中する性格だったのだ。そしてその性格は、いまの仕事に結びついている。

 だけど、雪が積もってしまえば、ぼくたちはなにもすることがなくなる。風邪をひいたら困るから、外で遊ぶことは禁じられる。となると、家の中で遊ぶしかない。でも、家の中でできる遊びはひとつもなかった。ぼくたちは部屋に閉じ込められると、したいことが一致しなかったから。

 庭で遊ぶことができなければ、ぼくはハルノを遊びに誘うことができなくなるし、ハルノも遊びたがらなくなる。だから、雪は降ってほしくないというのが、ぼくの――おそらく、素直な願いだった。


 心配からなかなか眠れなかった。それでも、お笑い芸人のコンビの名前を数え続けて、なんとか少しは眠ることができた。起きるなりふとんを飛び出て、窓から道路の様子をうかがった。雪はやっぱり積もってしまっていて、大人たちが雪のけをしていた。

 ハルノとは午後から遊ぶ約束をしていた。ぼくはずっと、雪のけの様子を見ていた。ぼくの家の中庭を、真っ先に手を付けることはない。当然だけれど、まずは家の前からはじめる。ぼくは、道路の雪が消えるのを待ち続けた。

 折角雪が減ってきたのに、除雪車がやってきて、またもや雪を家々の玄関の方へと残していくこともあった。ぼくの家の前の道をちょっと行くと、雪を捨てるところがあるらしく、だから、向こうの方で集めてきた雪が、雪捨て場に近付くにつれて、こぼれていくのだ。ぼくは、やきもきしながら午前中を過ごした。

 昼前になり父さんと母さんが家に戻ってくると、「もう今日は終わりだよ」と言われた。とりあえず、車が通れるようになったのだ。

「じゃあ、これから中庭をするの?」

「これからは昼ごはんの支度したく」――母さんは、ぼくのことを見ずに言った。

「父さんは?」

「いろいろあるんだよ」――なく父さんは言った。

「いろいろって?」

 父さんはなにも答えずに、着替えるとすぐに電話帳を持ってきて、どこかへ電話をかけはじめた。待てども、待てども、父さんは電話をしている。

 ずっとずっと、誰かと話をしている。「水がれてて……」「修理にこれるのは、いつ頃で……」「いや、昨日の夜です。朝になったら、おかしくなってて……」と、真剣に話しているから、そばに近付くことができず、隣の部屋のこたつに入って、電話が終わるのをやきもきしながら待っていた。

 それなのに父さんは、携帯電話を耳に当てながら、二階に上がってしまった。今日は中庭の雪のけはしないのだ。ぼくはそのとき、ようやく理解した。悲しくなったし、イライラもした。ぼくも手伝っていれば、もっとはやく家の前の雪のけは終わっていたのかもしれない。そう考えたりもして、しゅんとなってしまった。


 もう、ハルノは来ないだろう。

 ぼくは、中庭を見下ろせる自分の部屋に閉じこもって、冬休みの宿題をした。宿題を終わらせれば、思う存分遊ぶことができる。きっと、雪がなくなる日があるはずだ。ちょっと暖かい日があるはずだ。その可能性にけていた。

 すると、三時頃だっただろうか。ドン、ドンと、窓になにかがぶつかる音がした。それは、続けざまではなくて、不規則に鳴っていた。それだけでなく、「それっ」「うりゃっ」という、吐息のような声が――ハルノの声がした。

 カーテンを開けると、ぼくの目の前に雪玉が迫ってきた。のけぞって、よろけてしまう。ハルノが来たのだ。遊びに来たのだ。ぼくはカーテンを開けたまま、急いで階段を下りて、長靴を左右反対にいて、中庭へとでていった。

 飛び石も、その周りを囲むようにはえていた苔も、水が抜けた小さな池も、どこにも見えなかった。真っさらな雪景色のなかに、沈んでしまっていた。危ないから近付くなと言われていた、ちょっと傾いている石灯籠いしどうろうだけは、少し頭を出して雪をかぶっていた。

 ハルノの投げた雪玉が、新雪のなかに、小さな穴をあけていた。雪玉を作るために掘り返したところは、雨後の水たまりのように見えた。

 ハルノの足跡あしあとが、妙に生々しくされているのは、どこか美しく感じられた。雲間から陽の光が届いていても、冬の厳しい寒さが、この庭の雰囲気を寒々さむざむしいものへと変えていた。

 そして、ぼくはびっくりしてしまった。足跡が続いていく先に、ハルノがしゃがみこんでいたのだ。体調が悪くなったのかと思って、急いで近付こうとすると、ハルノは背中越しにぼくを見て、ニッと笑った。

 そして、「ねえ、なにしてるか分かる?」と、笑いをこらえた様子で問いかけてきた。だけどぼくは、その問いには答えなかった。

「お腹が痛いの?」

「痛くないよ」

「じゃあ、なんでしゃがんでいるのさ」

 そのとき、ぼくは気付いた。しゃがんでいるハルノの下から湯気のようなものが、かすかに昇っているのを。

「しょんべん。しょんべんをしてるの」

 思いがけない答えだった。ぼくは口を半分あけたまま、黙ってしまった。

「しょんべんをして、雪を溶かしているの」

「そんなんで、溶けるわけがないだろ」

 ぼくは笑った。腹をかかえて笑った。ぼくが笑っているのを見て、ハルノも笑い出した。しょんべんをしているのもおもしろかったし、「おしっこ」でも「小便」でもなく、「しょんべん」という言葉を使ったのも、すごくおかしかった。

 下品な行為の上に、下品な言葉が重なって、芸術的ともいえるような「ボケ」になっていた。そしてあのハルノの「ボケ」が、ぼくにとっての「おもしろさ」の基準になってしまった。


 ができるハルノだからこそ、「タダハルノ・ユキドケ」という、その存在がひとつのブランドになっているようなアイドルになれたのだと思う。

 中学生になってからは、ハルノとは、ちょっと距離を取るようになってしまった。友達という枠内わくないには収まらない、特別な感情を強く抱くようになってしまったからだ。そしてそのことが、ぼくたちの性格をがらりと変えてしまった。

 周りの同級生に心を開くようになったのだ。それは、ひとりきりでいることのリスク……というべきか、中学生ともなれば、自分の身を守るには、群れるしかないと考えたからだろう。ハルノもそうだったに違いない。ぼくたちは、それぞれ、別の小学校から上がってきた同級生たちとグループを作って、一緒にいるようになった。

 いま思えば、ぼくがハルノを独占しているというイメージが、男子たちがぼくをいじめる要因になっていたのだろう。女子たちがなぜハルノを良く思っていなかったのかは、いまでもよく分からないけれど、ぼくの方に原因があったのかもしれない。

 ハルノの中学・高校での人気ぶりはすさまじかった。そのことが、ぼくたちの距離をよりいっそう遠くしてしまった。

 すっかり明るくなり、自分に自信がついたハルノが、アイドルを目指すようになったのは、そんなに不自然なことではなかった。一方、ぼくが芸人になったのは、大学でお笑いサークルに無理やり入れられたことがきっかけだ。いまの相方の強引な誘いを振り切れなかったことが、「運の尽き」だった。

 ところで、ハルノと肩を並べたと堂々と言えるくらい人気の芸人になったら、ハルノに告白をするというのが、売れなくてもめげずに芸人をしている動機になっている。

 もしうまくいったら、「アイドルと芸人の熱愛」のような構図で、週刊誌に書かれるかもしれない。だけど、ぼくにとってハルノは、「師匠」という漢字の上に「アイドル」というフリガナを振ったような、ちょっと変わった存在でもある。

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