少女は気紛れ
宇津見 那瑠
救済は突然訪れる、かもしれない。
「お前はなんでこんなことも出来ないんだ!この出来損ないが!!」
――――私の人生は惨めだ。
「え……し、しかし、そのようなことは一度もご命令されておりませんでしたので……」
「はぁ?言われなくてもこんなことくらいできるだろ?相手の気持ちくらい考えるのが、お前ら使用人の仕事だろうが。」
「で、ですが……」
「あのな、いつでも辞めていいんだぞ?」 「……」
「お前らのようなやつらなんて、俺らからしたら奴隷でしかねぇんだよ。分かったらさっさと俺のために働くことだな。」
「…………はぁ」
私のような使用人の部屋は、言葉にできないほどに汚く、そのうえ私を奴隷のように扱う御曹司の部屋からは、全ての部屋で最も遠い。部屋の中は埃まみれの壁と床、部屋の隅には蜘蛛の巣が張り巡らされている。ここにいる度に、私は憂鬱な気分になる。褒められもせず、怒鳴られてばかりの悲しみが押し寄せているにも関わらず、こうしてみすぼらしい部屋に一人ぽつんと、今にも壊れそうな椅子に座って溜息をつく。あぁ、なんて不幸なのだろう。
「私って……なんで生きてるんだろ……」
終いには生きていることすら、疑問を抱いてしまう。この部屋が少なからず、常識的な整理整頓が施された部屋であれば問題ではない 。 せんしかし、違う。
入った時の砂埃も、窓を開けた時の自動車だらけの空気も、こうして使用人として生きている自分も。
…………これは病だ。
きっと、こんな劣悪な環境で飼い慣らされたが故に、こんな気分になってしまうのだ。これからも永遠に治ることなどない。そのせいか、自虐する暇もないほどに、その病は広がっているような気がする。
「……」
もう、何も言葉が出てこない。ここまで自分が悲惨な毎日を送っていると、何も独り言を言う必要がないように思えるし、何もする気も起こらなくなってくる。気力も、精神も、意識も、ない。
「……」
それにしても、何故こうなったのだろう。 確かに、私は今、使用人だ。それは間違いない。こうして身分の高い人達の機嫌をとり、生きるための賃金を貰う。そのなけなしのお金で食べ物を買い、苦しみながら食べ、眠りにつく。そこに慈悲はない。ある種の殺意。無力感。無欲。
「……」
少しずつ目の色が無くなっていくような気がする。敷き詰められた床板が歪んでいく。幻覚なのか、または貧血なのか……。視界がぼやけていく。瞼がゆっくりと閉じると共に、身体は重りをつけたように前に屈む。
ガタ、ゴトゴト。
やがて私の身体は倒れた。きっと私の服には大量の埃、塵、虫の死骸やら何やらが付いている事だろう。あぁ、なんて汚らしいのだろうか。何故こんなことをしているのだろうか。現実は変わらないのに。目の前は塵芥のような未来しか待っていないというのに。 右耳が冷たい。床に付いている。あと数分で詰まることだろう。
「……ぇ……ぁ……う、エホッ……ぅん……」
言葉を発しようと口を開けた途端、喉にあの埃達が入り込み、ろくに話すことが出来ない。起き上がろうにも、思ったように身体が動かせなかった。
「な…………で……?」
……わからない。身体は依然として動かないまま、床に立てかけてあった時計の針が、カチ、カチ、カチ、カチ、と音を立て進む。
…………私は、死んでしまうのだろうか。
こんな所で、誰にも見られず、苦しみながら死んでいくのだろうか。
死――――――私は、何も無い世界だと思っている。これからだってそう思うだろう。だが、死にたいとは思ったことがない。決して。それだけは言える。むしろこれからも生きたい。 しかし、それは叶わないのだろうか。
神様はいつだって理不尽だ。努力を無にする時もある。才能を溝に捨ててしまう時もある。優しい人たちをいとも簡単に殺してしまう。自分勝手だ。天邪鬼だ…………気まぐれだ。
「そうね、気まぐれよ」
「………………?」
朦朧とした視界の中、一つの色が床に浮かび上がる。左耳からは少女のような幼さのある声がする。
「……」
「じゃなきゃ、面白くないじゃん。人間だって、ずっと楽しかったり、ずっとつまんなかったら、嫌じゃん」
「……」
「…………喋れないの?」
「……」
首を動かそうにも動かせない。
「…………つまんないなぁ……」
「……」
「……よいしょ……えいっ」
女の子の両足が開き、何かをしたようだった。
「お姉ちゃん、動けるよ。」
「……!」 私の身体は感覚を持ち、脳の命令が流れている感じがする。手が動く。喉、胸、肩、腕から痺れを切らしたように信号が流れる。動いた腕全体が軽い。いや、それどころか、身体全体が軽かった。跳ね上がるように立ち上がり、少女の全体が私の視界に現れる。 ……いや、それ以前に見えている。視界がはっきりとしている。立っている視点からでも床の埃一つ一つがわかる。
「……どうして……?」
……少女だ。煌びやかな金色の髪や、清潔な白いワンピースが、この部屋の状況とは逸している。
「うーん。暇だったから」
「……神様……?」
「うん。そうそう」
「……その見た目で?」
「まぁ……見た目なんて、そういうものよ。 」
私は何故だかこの少女に、何か親しいものを感じた。というよりも、これは自分の心の隅にあった好奇心かもしれない。
「…………さてと、行こっか」
「え、どこに?」
「お花畑」
「お花畑……行くの?」
「うん。行こっ」
少女は私の埃まみれの右腕を引っ張り、どこかへ走る。部屋を飛び出し、長い廊下を通り、すれ違った給仕係に見られながらも、足を止めない。ただ、走る。やがて、シャンデリアがいくつも吊り下げられた玄関にたどり着くも、少女は両開きのドアに突進するかのように走る。
「待って、危ない危ない」
「大丈夫。神様だから」
そう言うと、少女とドアがぶつかりそうになった瞬間、ドアがバタンッと音を立てて開いた。
「私、まだ裸足」
「そんなこと言ったら、私も裸足なのよ?」
少女の活発な足取りは止まらない。
家を飛び出し、道路を渡り、細い路地裏を抜ける。まるで、どこかを目指しているかのように、少女は私の右腕を引っ張ったまま、抜けた先の坂道を駆け下りていく。
「待って……こんな坂、転んでしまうから……一回止まりましょう?ね?」
「大丈夫。神様だから」
「それ、理由になってないってば」
「大丈夫。いいからそのまま引っ張られて」
よく分からないまま、私は少女に引っ張られていく。
坂道を抜けると、大きな青銅の門が見える。この門は、外から違う国の人が来た場合のためにあるものなのだが、少女の活発な足取りは止まらない。むしろ、さっきよりも早くなっている気がした。
「おい!なんだお前たちは!」
門番たちが私達を見るや否や、マスケット銃をこちらに向け、撃とうとしている。しかし、
「兵隊さんじゃま。どいてっ」
「なっ……あぁ!!?」 そう言うと、門番たちはいとも簡単に吹き飛び、壁に叩きつけられた。そして、青銅の門はさっきのドアのようにバタンッと開き、一本道を示した。
「ね、ねぇ」
「…………」
「ねぇ!!」
「んー?」
「どこまで行くのーー!?」
「だから、お花畑だってば!もうちょっと先!」
少女の活発な足取りは、どんどんと速くなり、大きな声でないと聞こえなくなってしまう。風が右耳に詰まっていたであろう埃を吹き飛ばし、今では両方の耳が風を切る音を聴いている。
「ねぇ!転んでしまうから!」
「だいじょぉぶ!!神様だからぁ!!」
「あのさ!!ずっとそう言うけどさ!なんでもできるの!?」
「できる!!だからお姉ちゃん浮いてるじゃん!!」
「え!!??」
そういえばよくよく考えてみるに、路地裏を抜けた時から、足の感覚が無かった。下を見ると、少女の言う通り浮いていた。
今……私は片腕を引っ張られたまま浮いている……?
そう思っていると、突然少女の活発な足取りが止まる。その反動で、私は前に投げ出される。 その直後で少女が「あ、ごめん」と呟いたのが聞こえた。間もなくして、私は何かに叩きつけられる。しかしそれは、地面でも道路でもない。
「……白百合?」
「うん。そう」
「……ここに連れてきたかったの?」
「そうよ。そのために私は走ったの」
「……どうして」
「うーん……神様だから」
「またそれなの……?」
私はゆっくりと起き上がると、辺りを見回した。
……一面に白百合が咲いていた。他の植物は一切ない。私の視界には白百合の花が広がっていた。
「こんなところが……存在していたの……?」
「どう?凄いでしょ」
「……ええ、まぁ」
「………………なんか、可哀想だなって」
「……何が?」
「お姉ちゃん、あそこで怒られて、疲れすぎて動かないまま死ぬの、嫌かなって。それだけ」
「…………ふふ」
「変?」
「あはっはっは!あなた、私をそれだけの理由で連れてきたの?」
「うん。そうよ、だって私は」
「神様だから?」
「そうよ」
この少女は、私が惨めに死んでいくのを察して、私が全く知る由もない白百合の花畑に連れてきた。そのうえ、自分のことを神様なんだと言う。そんなことをずっと言われていたら、自分が死について考えていたのが、とても馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「……ありがとう、神様」
「ううん。じゃあ、帰るね」
「え?帰るの?」
「うん、帰るね。バイバーイ」
そう言って、私に背を向けると、少女は舞い上がった白百合の花弁を影に、消えていった。 「はっはっは…………ほんと、気まぐれなのね。神様って」 白百合は私に、その凛々しい顔を見せている。その姿は前を向き、必死に生きているような生命力を、私に振りまいた。
少女は気紛れ 宇津見 那瑠 @utum1narunaru
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