友達以上、春未満
はむん hamun
ルーレットが選んだ、君との距離
「よし、行き先決めるか」
スマホのルーレットアプリを開き、駅名をランダムにセットする。
「ほんとにやるん?」
「今さら何言ってんの、やるって決めたの君でしょ。」
「いや、まあ、そうなんやけどさ。」
画面上の針が回転し、ゆっくりと減速していく。俺と
——知ってはいるけれど、降りたことのない駅。
スマホに表示された駅名を見て、花菜が「おぉ!」と声を上げた。
「なんか、ちょうどいい感じのとこじゃん!」
「まあ、そうやな」
「どんな駅か分かる?」
「いや、名前は知ってるくらいで、その駅で降りたことはないな。」
「私も! じゃあさ、今日のテーマは"初めて降りる駅"ってことで」
花菜はそう言って、迷いもなく改札へ向かう。その後ろ姿を見ながら、俺は少し遅れて歩き出した。
友達でもなく、恋人でもない。
二度付き合い、二度別れた俺たちは、互いの心に薄い膜を張るように、慎重に歩く。少しでも力を加えれば、簡単に崩れてしまう脆い硝子細工のような距離感。
それでもこうして二人で出かけるのは、まだ俺たちの間に"何か"が残っているからだろうか。
◇
電車に揺られながら、窓の外を眺める。
花菜は「お、海だ!」と指を差し、また「畑だ!」と興奮気味に呟く。車窓に映る景色はどんどん変わっていくが、花菜の反応は変わらない。
「なんか、小学生の遠足みたいなテンションやな」
「えー、楽しくない? こういうの」
「いや、楽しそうで何よりです」
「でしょ?」
言葉の端々に、付き合っていた頃の空気が残っているような気がする。でも、決定的に違うのは、その空気を"過去"として処理するためのフィルターが、互いにかかっていること。
電車が目的の駅に滑り込み、ゆっくりと停車する。
「さて、のんびり行きますか」
◇
駅を出ると、潮の香りを含んだ風が頬を撫でた。
「おぉ、海の匂いがする!」
「って言うほど、すぐそこにあるわけじゃないやろ」
「別にいいんよ、雰囲気が大事だから!」
のんびりと歩きながら、閑静な街並みを横目に見ながら、ひっそりと佇むカフェに足を踏み入れる。
「……思ったより可愛いとこ来ちゃったけど、大丈夫?笑」
花菜が俺を見て、少し意地悪そうに笑う。店内は淡いパステルカラーの内装で、ふわふわのソファが並んでおり、小さなクマのぬいぐるみがあちらこちらに、ちょこんと大人しく座っている。明らかに女性向けの雰囲気だ。
「別に可愛い店でええけど」
「ふふ、ちょっと違和感あるけど、似合ってるんじゃない?笑」
「ほっとけ」
ランチプレートが運ばれてくると、俺はスマホを取り出して写真を撮った。
「あ、待って、もう食べちゃった! まだセーフかな?」
花菜が慌ててフォークを戻す。付き合っていた頃から何も変わらない癖。俺が写真を撮るのを忘れないのを知っているから、こうして毎回「あっ」となっては、ぎりぎりセーフかどうかを確認する。
この何気ないやりとりすら、思い出として残しておきたいと思うのは、未練があるからなのか。
◇
公園に着くと、目の前に広がる海に花菜が「わぁ!」と声を上げる。
「ちょっと行ってくる!」
そう言うや否や、防波堤の近くまで駆けていく。
「おーい、転ぶなよ」
「子ども扱いしないでくださーい!」
笑いながら、風に髪をなびかせて無邪気にはしゃぐ。
防波堤に登って両手を広げたり、砂浜の端で小さな貝殻を見つけてはしゃいだり、波の来るギリギリを歩いたり。
「ねえ、あれやろ!」
そう言って突然手を広げたかと思えば、くるくると回りながら「Titanic〜!」と叫ぶ。
「やめとけ、見てるこっちが恥ずかしいわ」
「えー、楽しいのに!」
こんなふうに屈託なく笑う彼女を、俺はずっと知っていたはずだった。それでも、今目の前にいる彼女は、少しだけ違う気がする。
俺の知っている花菜と、目の前の花菜は、地続きのようでいて、どこかが切れている。
それを思うと、なんとなく胸の奥が痛くなった。
◇
帰りの電車は、夕陽に満ちていた。
西の空は燃えるような橙色に染まり、街の影を長く引き伸ばす。車内の光がオレンジに染まり、電車の窓が淡く輝いている。
花菜は、座席にもたれて目を閉じていた。
無防備な寝顔に、電車の揺れが心地よさを添えて、時間がゆっくりと溶けていくようだった。
今この瞬間、俺は誰よりも彼女の近くにいる。それなのに、触れることはできない。
夕陽がまつげの影を長く落とし、頬に柔らかな光を滑らせる。まるで、ひどく大切なものに触れるのをためらうように、光はそっと彼女を包み込んでいた。
——かわいい。
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
春になれば、花菜は遠くへ行く。
俺は、この気持ちをもう抱いてはいけないのだろう。
だから、友達以上恋人未満。
それが、俺たちの今の距離だった。
友達以上、春未満 はむん hamun @hamun
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