混線
@mikimiya
プロローグ
「キケン!ここでおぼれたひとがいます。あぶないよ!」
赤い文字で大きくそう書かれた金属製の看板には、子どもが溺れているイラストが描かれている。
少女は、学校からの帰り道、鏡池の前に立てられたその看板を見るたびに、言いようのない不安にかられるのだった。
その立て看板は長年放置され、錆びついておどろおどろしい血のような文字が書かれている……わけではない。そんなベタなやつではなく、むしろ真新しい、最近設置されたごく普通の立て看板だ。
全て平仮名で書かれた注意書きはポップなフォントで、添えられたイラストもかわいらしい。
けれど、少女は、その立て看板が怖かった。
ここで誰かが溺れたんだ。こんな、真っ黒な水の中で。その人は溺れたあと、どうなったのだろう。
頭の中には恐ろしい想像が広がる。とても怖いのに、つい見てしまう。吸い寄せられるようにその看板の文字、イラストから目が離せなくなる。気がつくと、池のほとりまで近づいていたことが何度かあった。
鏡池は、通学路途中にある溜池である。転落防止のフェンスはなく、ガードレールが道側にあるだけなので、誰でもすぐに中に入ることが出来た。
とはいえその水は常にどんよりとした暗い色を湛えており、とても中に入りたいと思えるような場所ではなかった。
ただ、決して水が腐って悪臭を放っているということはない。見た目に濁っているのが不思議なほど、水鳥や亀に魚等様々な生き物が生息しているので、観察しようと中を覗き込む人が時々立ち止まることもあった。いずれにせよ、誰も水の中にまで入ろうとはしなかった。
その日、少女は、いつものように鏡池の脇を通って下校していると、池の畔に見知らぬ老婆がいるのに気がついた。あんなところに人がいる、それだけでも十分不審ではあったのだが、それよりも異様だったのは、老婆の行動だった。どす黒い池の水の中に手を伸ばし、何かを洗っているのだ。いや、洗っているのではない。よく見ると、手に持たれていたのは、何か文字が書かれた赤い紙だった。
見てはいけない、見てはいけない、絶対見てはだめ。
少女はあまりにも恐ろしく、泣き出しそうだった、しかしその恐怖心とは裏腹に、いつも看板を凝視してしまっている時のように、目が、離せない。それどころか、どんどん池の方に吸い寄せられてしまう。
どうしよう。リュックの肩紐を、ぎゅっと握り締める手に汗が滲む。そうこうしているうちに、その老婆と少女の距離は近づいていた。
白髪の長い髪をバサバサと束ねたその老婆は、少女に気付くと何かをぼそぼそと話し始めた。
……ケタ、……ツ、……ツツ、トツ、ケタ……
嫌だ怖い、誰か、助けて。怖いよ、誰か来て、お願い!少女は声にならない声で祈り続けながらも、気がつけばもう、靴の先は池の水に踏み入っていた。
ヒ……ケタ……
ヒトツカケタラ、モドリャセヌ
そうはっきりと聞こえた次の瞬間、老婆は耳元で囁く。
「あんたもここに、名前流しに、きたんやろ」
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