勇者、剣をおろす

此花寧依子

1.

 ――あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 隣の席に現れた彼は開口一番そう呟いた。私に向けて言っているのなら返事をした方がいいのだろうけれど、判断が難しい。一旦、聞こえないフリをした。


「後少しだったのに。しつこく同じ夢を見ても辿り着けないなんて……呆れるよね?」


 そう言われても何のことかさっぱりわからない。ただ、真っ直ぐ私に向けられた視線があまりにも悲し気だったので、戸惑いながら「どんな夢だったの?」と尋ねた。


「目的を果たすまで、誰にどう話しかけられても無視しなければいけないんだ。ようやく姿が見えかけたのに……」


「え! 夢の中とはいえ、あなたにそんな事ができるの? いつも誰にも優しくて公平なんだから、仕方ないよ。落ち込むことなんてないよ」


 彼は最近悩み事があるのか元気がない。だから繰り返し同じ夢を見ているのかもしれない。励ましになればと思ってそう言ったのに、彼は悲しそうに「はは……『勇者』なのにらしくないって言いたいの?」と笑った。

 誰にでも優しい親切心を揶揄やゆされて「勇者」とあだ名がつけられてしまうほどの彼が、夢の中とはいえ誰かの声を無視するとは信じられなくて、思わずそう言ってしまったけれど、その表情を見て、当たり前のことをしているだけなのにバカにされているようだ、と苦々しく彼が言っていたことを思い出した。 


「嫌な風に感じたならごめん。でも、私はいつもあなたのことを誇らしいと思っているよ。当たり前のことを当たり前にできない人が圧倒的に多い世の中で、あなたは輝いているよ。そんな風に自分を卑下ひげするような言い方しないで」


 彼は驚いたように目を丸くした後、うっすらと涙を浮かべた。


「ありがとう。笑っちゃうけどね、夢の中で僕は本当に勇者なんだ。救いを求めたり、親しげに話しかけてくれる人達をことごとく無視しながら旅をする勇者。どっちが本当の自分かわからなくなるよ」


「生きづらさを感じるくらいなら、嫌な人には優しくしなくていいんだよ。あ、勿論こちらの世界での話ね」


 わざとおどけたように言ったけれど、彼はそれには答えず、代わりに「もう少し夢の話を聞いてくれる?」と微笑んできたので「うん」と頷く。


「旅の目的は、心優しい眠り姫を目覚めさせることなんだ。僕が辿り着かないと、もうすぐ他の男のモノになってしまうんだ。でも、ようやくわかったよ。こちらの世界で救えばいいんだ」


 そう言って『勇者』は私につるぎを振り下ろした。




 

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勇者、剣をおろす 此花寧依子 @momo_ume_

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