EP 10:肩組める仲

 「ねぇ、あんた……今から私とセックスしましょ」


 椅子に座る俺を鋭い目で見下ろしながらクレンはそう、小さく呟いた。

 彼女の顔は良くも悪くも真顔だった。

 そしてその下には酷く痛々しい無数の傷が刻まれた体があった。

 彼女の体は半年前より傷が増えていた様に見える。

 ここにはクレンを傷つける人間はいない。

 つまり……彼女は彼女自身で自分を傷つけているのだろう。

 正直、見ていて気分が悪い。


 だが何故彼女は今になって俺に近づいて来たのだろうか、今のセリフにはどんな思考が含まれているか、クレンの心の中はどれだけ経っても分からない。


 「………何でだよ…?」


 この状況じゃあこの言葉しかでなかった。

 

 女性からの誘いに理由を求めるなんて野暮……というより最低だ。

 だがこんな状況だ、俺は聞かずにはいられなかった。


 あのクレンが何故捨てる程嫌いなはずの俺を誘うのか、謎過ぎたからだ。

 俺とクレンの関係は1年程度だが話しり一緒にいた時間なんてほとんど無い。

 実際、今でも俺はクレンになんの感情も持っていない。

 だから半年前にクレンの体にある無数の傷を見ても放置し続けて来たのだから。

 というかそもそもクレンとはそんな女なのだろうか、見たところ俺よりちょっと年上ってだけでまだ子供だ。

 性に興味が湧く様な歳じゃあ無いし、興味があったところで行動に普通は移さない。

 

 考えれば考える程分からないが増えてしまう。

 

 だが1つ、分かる事がある。

 彼女に手を出せば俺はゴミになるって事だ。


 「………いいから……早くしなさいよ」


 クレンは俺の疑問を流し催促してきた。

 声からも感情が汲み取れない。

 言葉を交あわせるだけ謎が多くなる。


 俺はそんなクレンから目をそらしクレンの手元に視線を移した。

 

 (カタカタ……)


 クレンの指先が微かに震えているのが見えた。

 顔や言葉には感情を出さない様にしていても指先までは隠しきれていなかった。

 

 「…………クレンお前……何あったんだよ?」


 「…あんたには関係無いわ」


 この返答をするという事は『何か』はあった様だ。

 だが、それ以上は聞かない方がお互い良さそうだ。


 「……あっそ」


 「あんた、リリスとはいっつもヤってるじゃない……嫁なの?」

  

 バレてたのか……そりゃ爺さんにあんだけ言われてんのに2人共ずっと大声出してたらいやでも耳に入るか…。


 「…いや、違うけど」


 リリスさんは嫁などではない……主人と奴隷の関係だ。

 なので当たり前……否定する。


 「じゃあ問題ないわね……早く脱ぎなさいって」


 クレンは一歩踏み出し、俺の服の胸ぐらを掴み引っ張った。

 俺の視線はまた、クレンの顔に戻った。


 「って言ってもこの状況じゃあ勃つもんも勃たねーよ」


 「……サイッテーね」


 こんなキツい性格をしていても大人っぽく振る舞っても、クレンは子供だ。

 それに体に傷が無数に刻まれているせいでエロいとかグロいより前に可哀想という気持ちが勝ってしまう。


 「……その…体は…大丈夫なのか?」


 これは傷の事を言っている。


 「……えぇ……問題ないわ…」


 問題ない訳がない。

 すでに一生残ってしまう程の深い傷だって出来ているんじゃないだろうか。

 それに体に問題はなくとも心の方はとっくに……。


 「そ、そうか……大丈夫なら……」


 「………いい加減ヤル気になったって事かしら?」


 「違ぇよ、その体中の傷の事言ってんだよ」


 クレンは俺に指摘され、自身の手首に刻まれた傷を指でなぞった。


 「あー……これね、気づいたらこんなになってたわ」

 

 クレンのセリフは軽かった。

 祭りで取った金魚じゃねぇーんだよ。


 「死にたいのか……?」


 「…な訳ないでしょう」


 クレンは少し強めの口調でそう言った。

 初めてクレンと話していて感情が理解できた気がする。


 「……そっ、そうか」


 そういえば自傷行為って死ぬ為じゃなく生きる為にやってるんだっけな…。

 よくわかんねぇけど。


 「あんたこそ死にたいの?」


 「へ?」


 お前が言うなよ…。

 死にたい訳が無いだろう。

 

 「……なんでそこまで頑張れるのよ?」


 あー、そういう事ね……。

 クレンは俺の首元にある大きな痣を見てそう思ったんだろう。

 そう考えると俺も同じなのかもしれないな。


 「あー俺は……たしか前にクレンに言ったよな、『一緒に衛兵になりたい奴がいる』って」


 これはクレン達に捨てられる前に馬車で話した事だ。


 「………覚えて無いわ」


 クレンは少し間を開けてそう言った。


 「まぁ普通、そんな前の事覚えて無いよな………でも俺は言ったんだよ、で その『一緒になりたい奴』ってのは俺にとって希望なんだ。

 俺はそいつの為に頑張るならどんな事だろうと幸せに感じれるんだ」


 「ハッ………バッカみたい」


 クレンは俺の話を聞いて少し口角を上げて罵った。

 ニヘラ顔の彼女は少し面白い表情をしていた。


 「……バカになんねぇと人生楽しくねぇからな」


 この考えはリリスさんに諭されたものだ。

 今となっては自分でもしっくりくる考えだ。

 

 「……………あそっ」


 短い相槌をするとクレンはベットに潜り込んだ。

 彼女は布団を被り、布団を調整しながら俺に背を向けて寝始めた。


 ……どうやらもう用は無いらしい。


 「………じゃ…じゃあ俺は戻るわ」


 「えぇ、さっさと帰って」


 「っお前から誘ったんだろ…」


 俺がそう言って振り返り、ドアノブに手をかけた時。


 「…………本当に何もしないで帰るの?」


 「えっ!?」


 俺は思わずまた振り返ってしまった。

 襲っちゃって良いんですか!

 と、一瞬思ってしまった自分を殴りたい。

 俺はアイルの事を思い出し気持ちを落ち着かせた。


 そして案の定、クレンにそんな気は無かった。


 「……冗談よ…ヴァーカ」


 そう言いながら彼女は寝たまま中指を立ててきた。

 

 「はっ」


 なんだその口調、最後の最後まで意味わからん奴だな。


 「おやすみー……」


 俺はそう言いながらドアを閉めた。



――



 次の日。


 (ドタドタ!)


 部屋の外が騒がしかった。

 廊下に出てみるとそこには顔面蒼白で滝の様な汗をかいた爺さんがいた。


 「どうしたんですか?」


 俺は爺さんの様子があまりにも可笑しかったので聞かずにはいられなかった。

 俺の言葉に反応した爺さんは俺の方に駆け足で寄ってくると、俺を強引にどかし俺が今まで寝ていた部屋に入り何かを探し始めた。


 「ちょっクァイさん、本当にどうしたんですか?」


 「ッ……セ、セント様……クレン様を見ませんでしたか?」


 「クレン?………クレンなら自分の部屋にいるんじゃ………」


 そうだ、クレンは俺と昨日の晩話をしていて、その時にはベットの中にいたじゃないか。

 

 「それがいないのです」


 「え?」


 「自室にいなかったのでお花を積みに行ったのではないかとずっと自室の前で待っていたのですが一向に現れず……宿中探し回ったのですが何処にも……」


 「………修練場は探しましたか?」


 「そうでした!そこもありました!」


 爺さんはすぐさま修練場に走って行った。

 修練場の扉を開けるとそこにはいつも通りキリコさんがいた。


 「やぁクァイ、どうたんだい?」


 「キリコ師匠!クレンを見ませんでしたか?!」


 「えぇ見ましたよ」


 キリコさんは笑顔でそう答えた。

 キリコさんの言葉に安心したのか爺さんは深く安堵していた。


 「よ、良かったです……それで何処に?」


 「彼女ならここから出て行きました、ヴァンパイアとなって……」


 「「ハ?」」


 俺と爺さん、2人共声が裏返った。

 それほどまでに突然で謎だったからだ。


 「クク クレン様が、ヴァ ヴァンパイアになって出て行った??」  


 「えぇ」


 「本当ですか?」


 「えぇ」


 「嘘……」


 「ではないですよ」


 「キリコ師匠……何故止めなかったんですか?」


 「その方が面白そうだったからです」


 キリコさんは冗談を言ったのだろうか、それとも本気で……だが、どっちにしてもクレンがいない事実は変わらない。


 「師匠ォ!」


 爺さんはキリコさんに殴りかかった。

 老人だというのに無駄の無い、綺麗な動きだった。


 (パシッ)

 

 「クァイ、私は彼女から頼まれたからやったんです。怒るなら仕事をミスした自分の不出来さに…」


 キリコさんは爺さんの拳を軽々と受け止めながら淡々と話していた。

 

 「ぐっ……」


 何も言い返せ無いだろう。

 それもそうだ、爺さんがここにいる理由はクレンの護衛。

 その護衛対象に逃げられてしまっては仕事は成立しない。

 爺さんは力づくでもクレンを止めなければならなかったのだ。

 残念だがこうなってしまった以上、爺さんは何も出来ない。

 爺さんもヴァンパイアの身体能力は嫌というほど分かっている、今頃追いつこうとして追いつけるものでは無い。


 「キリコさん、クレンは何か言ってましたか?」


 「『ヴァンパイアにしてくれ』とだけ」


 クレンらしいな……。


 「理由は聞かなかったんですか?」


 「えぇ、聞いてませんよ」


 「何処に向かうとかも…」


 「えぇ何も…」


 「そうですか……」


 クレンがこれまでの間、何を考えてどういう結論に至ったかは知るよしも無い。

 だが彼女が自分で決断して行動したんだ、俺がどうこうする話じゃない。


 「嗚呼、どうすればっ…なんて、なんて報告すればいいんだっ……」


 爺さんは頭を抱え込み蹲っていた。

 でも…そうは言っても爺さんには同情するな。

 クレンに従い俺を捨て、そのクレンに捨てられた。

 自業自得とまではいかなくとも因果は回ってくるものなんだな。


 「………クァイさん」


 かける言葉が見つからなかった。

 爺さんにはこれまで身の回りの事でよくお世話になった。

 俺を捨てたとはいえ、気の毒だ。


 「…………くっ」


 「クァイ、貴方はとりあえず城に戻ってこの事を言うといいですよ……あっ、でも彼女がヴァンパイアになった事は言わない方が良いですよ。最悪、国が終わりますから」


 「………わかってます。では私は帰らせてもらいます。キリコ師匠、今までありがとうございました」


 爺さんは立ち上がりといつも通りの口調で礼を言い、俺達に背を向けた。


 「えぇ…」


 「クァイさん、お世話になりました」


 「………セント様。そういえば修行の手伝い……出来ずに申し訳ありませんでした」


 爺さんは背を向けたままそう言い残すと修練場から出て行った。

 その後ろ姿はまるで、ただの老人の様だった。


 ……爺さんが出て行ってすぐ、リリスさんが入れ違う形で修練場に入ってきた。


 「なー師匠、クァイの奴どうしたんだ?めっちゃ不機嫌だったぞ」


 「クァイは仕事の報告の為帰るんですよ」


 「ふーん、仕事ってなんだ?」


 「クレンの護衛です。クレンが出て行ったので失敗の報告になりますね」


 「………えー!クレン出たったの!?」


 リリスさんは驚いていた。

 リリスさんなら何か聞いてるかと思ったが、この反応だと何も心当たりはなさそうだ。


 「……………キリコさん、今日は何をしますか?」


 「……そうですね…ではステイにはコレを着けて修行してもらいましょう。コレはですね………」

 

 そして今日も、いつも通りの1日が始まった。



 あーあ。

 結局、ぶん殴れなかったなー……。

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