人生の感想戦
青山 翠雲
人生の感想戦 ー 序 ー
将棋というゲームは指す前は、誰もが同じ陣形から始まり、次第に駒がぶつかり合い、ある者は持ち駒を増やしていき、盤上圧倒的優勢を築く者もいれば、ある者は徐々に手駒を失っていき、手詰まりを迎える者もいるし、全てをかなぐり捨てて、なんとか入玉して命脈を保とうとするものがいるかと思えば、ギリギリの乾坤一擲の戦いを挑み、一手差を争う攻防戦を繰り広げる者など様々である。しかし、いずれにしても、やがて勝敗の雌雄に決着がつく。
囲碁は打つ前はまっさらな無の空間。そこに如何に自分の陣地を築いていくか。他人との境界線を作り、自分の陣地を少しでも広げようと他人の石を圧迫し無理矢理に陣地を広げていこうとする。戦いを避け、足早に辺や隅に陣地を確保する戦いもあれば、中央志向で盤の中央(天元)を制し、厚みで勝負するものもいる。また、敵陣地に果敢に切り込んで行って、獲るか獲られるかの一大勝負を仕掛ける者もいる。戦い方は人それぞれだ。だが、こちらも、いずれは雌雄を決する。
勝者と敗者で語られる自分の読み筋と盤上には現れなかったもう一つの指せなかった読み筋。何が敗着だったのか、手順前後の何がいけなかったのか、指せなかった手の方が勝っていたのか?
感想戦、それは敗者のためにこそある内省と受け入れの時間。
それは、人生でも同じことだと思う。
人生百年時代と言われて久しい。「友達100人できるかな?」と歌いながら入学した小学校。しかし、今や、ガブリエル・マルシア=ガルケスの『百年の孤独』の文庫が空前の売れ行きだという。人それぞれが、いかに心のうちに「孤独」をなんとか飼い慣らし乍らなんとか生きているかの証左であろう。
棋士は盤上この一手を求め呻吟苦悶し、究極の二者択一を選択し、実力伯仲する対戦相手に勝勢を築いていくべく、盤上に裂帛の気合とともに一手を放っていく。時には、手拍子で深い熟慮なく指した手が、取り返しのつかない敗着級の分岐点となっていることもある。しかし、全ては戦いが終わってこそ、勝負を分ける分岐点であったことが判るのである。
50代に入り、人生の前半戦を終えた今、我が人生の勝敗の軌跡を感想戦という形で振り返りたい。しかしながら、対局相手はそれぞれにいるものの、あくまで感想戦はもう一人の自分との対峙・対話による局後の検討となる。すなわち、自己との対話、過去の自分との邂逅、内省と受入れ、葛藤と独白による前半生の精算行為である。それは、自分の人生に対するわだかまりに対する踏ん切りでもあり、後半生の人生を力強く再び歩んでゆくためにも必要なことだと考えた。
なぜ本書を著すのかと言えば、人生、人それぞれに千差万別異なるのであるが、外見からは窺い知ることのできない葛藤の内面を曝け出すことにより、似たような境遇や本人にしか分からない小さな成功や大きな痛手となる失敗を心の裡に抱え、引き摺る思いを抱きながら人生を歩んできた人間が他にも多くいると思うからである。
今、この時点で一つだけハッキリと言えることがある。
それは---「悩みのない人生などこの世に一つもない」ということである。
人生という盤面は広いようで狭く、狭いようで広い。人生の岐路で指した手、安全志向に傾き、指さなかった乾坤一擲の勝負手、自らの棋風から選ばなかった手などを振り返ることとしたい。
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