クレイジー・マッドは転生しない

葉咲透織

第1話 転校したら変な美少女に目をつけられた件①

 何事もスタートが肝心だ。


 前の学校では、入学直後から失敗していたからな。登校してすぐに、自分の席から動かずに、ラノベ(しかも表紙の猫耳メイドちゃんが露になっている。俺はカバーをつけない派なのだ)を読み耽るような奴じゃ、彼女はおろか、友達すらまともにできない。


 気づけば、周りにいるのは同じオタクの男ばかり。気に入ったアニメの話をしたり、漫画やラノベを交換したりするのは、確かに楽しい。でも、それで俺の青春を使い果たして、本当にいいのか? と、疑問を抱いていた。


 父が転勤することになって、両親は「どうする?」と俺に選択を委ねた。


「学校の友達と離れたくないなら、父さんは単身赴任するけど」


 母は専業主婦だし、交友範囲も(俺に似て。いや、俺が似て、か)あまり広くない。だから、学校というコミュニティに所属していて、引っ越すことで別の集団に入らなければならない俺のことを気遣ってくれている。


「いや、俺も一緒に行くよ」


 悩む素振りも見せず、即答した。親父は、「お? おお……いいんだな?」と、パチパチ瞬きをした。いいんだよ、と重ねてプッシュすると、それ以上の念押しはなかった。


 親父。残念ながらあんたの息子は、コミュ障っていう奴なんだ。親父が思っているほど、俺はクラスの人気者ではないし、どっちかといえば空気なんだよ。……言ったら悲しくなるので言わないけど、そこは察してくれ。


 毎日毎日、これでいいのか、と悩む俺としては、転校は願ったり叶ったりだ。友人皆オタク、という状況を脱して、新たな環境で心機一転、今までの自分とは違う俺を、前面に押し出してみようと思う。


 教室の隅から見るだけだった、クラスの中心人物とも普通に喋れるようになりたいし、彼女だってほしい。そんなお年頃なのだ。


 そのためにはまず、形から。にじみ出るオタク臭を、少しでも抑えたい。


明日川あすかわたすくです。北海道から来ました。よろしくお願いします!」


 奇抜なことは言わない。あくまでも爽やかに。緊張しているけれど、頑張って笑顔を作って、自己紹介をする。ぐるっと教室内を見回して、クラスメイトたちの顔を確認するけれど、目が合わない。みんな、俺の頭を見ている。


「ああ~……明日川、とりあえず座れ」


「はい」


 担任が指したのは、廊下側の一番前の席だった。新学期の座席は出席番号順だ。「あ」すかわだから、妥当だろう。


「あとお前、始業式終わったら、生活指導室な」


 日焼けの似合うナイスミドルが、白い歯を見せてにっこり笑う。一瞬、ここだけハワイの海かと錯覚した。暑苦しさを倍増させる笑顔に、今が四月でよかったと思った。真夏にはうんざりしそうだ。


「え」


「え、じゃねぇよ。その髪で、どうしてオッケーだと思ったかな……」


 わしゃわしゃと担任は、頭を掻いた。彼の髪の毛は、俺と違って黒い。


「だって校則には何も書いてないじゃないですかぁ!」


 転校三日前に、俺は初めての美容院で髪を染めた。茶髪? いやいや、そんなんじゃない。その程度じゃ、俺のオタク感は薄まらない。まったく。気合いを入れるためにも、もっと個性的で明るい色を目指した。


「っていうか、地毛! 地毛ですぅ」


「ピンクの髪した日本人がいるかっ!」


 そりゃそうだ。アニメや漫画じゃあるまいし。しかも、美容院に行く前に挨拶に訪れているので、担任は黒髪の俺をばっちり目撃している。


「突然変異っす! 三日前の朝、起きたらこうなってたんです!」


 それでも俺は、地毛だと主張する。


 前の学校は校則が厳しかった。教室の隅にいた俺は違反したことはない。ただ、恐ろしい光景は見ていた。連れていかれた女子が、朝とはまるで違う顔になって戻ってきたのだ。室内でいったい何が行われたのかを考えると、恐ろしい。


 生徒手帳の校則が書かれたページを熟読したが、「髪をピンクに染めるべからず」という項目はなかった。クラスメイトだって、明るい茶髪の人間もいる。隣に座っている女子とか、外側は栗色だけど、内側の毛はほとんど金髪じゃないか。表に見える部分がそんなに派手じゃないから、何も言われないのか? せこい。


「ともかく! お前は放課後、生活指導室だ!」


「え~……」


 転校初日で生活指導室送りとか、まともな友達できそうにない。敬遠されるの間違いなし。ピンクの髪じゃオタク受けも悪そうだし、俺、もしかしてぼっち確定か? 


 助けてくれよ。派手頭仲間だろ。


 隣の女子に情けない視線を送ってみるが、彼女は俺の頭を凝視するばかり。はっはっは。そんなにピンク頭が珍しいか? ……珍しいか。


 今日は始業式だけで、午前中で帰れるのに。生活指導室に連れていかれたら、腹が減るじゃないかぁ……ぐうう。


 誰も助けてくれないので、うなだれて着席した。ここは一度、受け入れて、放課後ダッシュで逃げることにしよう。そうしよう。


 ……なんて、俺の計画は担任に見透かされていた。つか、そもそも座席の位置が最悪だった。通路側なのはいいけど、一番前って。スポーツとは縁遠いオタクが、どう見てもスポーツマンのマッチョ中年(担当教科は体育じゃなくて、英語だ)の瞬発力から、逃げ切れるわけがなかった。


 二秒で捕まって、抵抗むなしく廊下を引きずられる。


「痛い! 痛い痛い痛い! 離して!」


「離したら逃げるだろうが」


 せめて耳じゃなくて、腕とかにしてほしい。馬鹿力で引っ張られたら、耳がもげちゃう。


「逃げないから~……!」


 情けない俺の悲鳴が、廊下に響き渡った。始業式後のホームルームが終わるのは、どこのクラスも似たり寄ったりの時間で、喚き声に「なんだなんだ」と教室の内外からぶしつけな視線を向けられる。そして俺のピンク頭を見て、どこに連れていかれるのかすぐに理解し、道を開けるのだった。


 抵抗すればするほど、被害を受けるのは俺なので、黙って付き従うつもりなのに、担任が離してくれない。どうしてこんなに信用がないんだ。髪の色のせいなのか。


 耳の痛みがいよいよヤバイ。そのとき、初めて俺の姿を見咎めた人物が現れた。


「先生。明日川くんの耳が、取れてしまいますよ」


 優しい声での忠告に、ようやく耳が解放された。痺れて聞こえが悪くなっている耳の付け根をほぐし、ぽんぽんとタップする。


 その声の主を、最初、教師だと思っていた。保健室の先生あたりがとりなしてくれたのだろう、と。落ち着いたしっとりした声には、清楚ながらも大人の色気が潜んでいる。そう感じたからだった。


 しかし、担任の前に立ちふさがったのは、セーラー服姿の女子生徒だった。彼女のあまりの美貌に、息を飲む。


 自分の周りにいる可愛い女の子のことを形容するときに、「○○みたいな」とテレビでよく見るアイドルを例に出す。有名アイドルを思い浮かべて、そこから推測するのだ。


 目の前に現れた少女は、とてもじゃないが、芸能人なんかに例えることができなかった。自己顕示する必要すらないから、アイドルになる理由もない。


 きれいに切りそろえられた前髪を揺らし、少女は微笑んだ。俺に。そう、この俺に対して。


「転校初日ですもの。校則のこともよく知らなくて、当たり前じゃありませんか?」


「あ、あぁ……まぁ、そうかもしれんが」


 マッチョ担任の歯切れが悪い。誰にも負けない筋肉に見えるが、美少女には弱いらしい。教師に対して物怖じせずに述べる少女を、俺はしげしげと観察した。


 そういえば、クラスで見た顔だった。どうしてすぐに思い出せなかったんだろうか。これだけ可愛い子だ。一瞬で脳裏に焼きついても、不思議ではない。


 彼女は胸に手をやって、首を傾げた。見ようによっては媚びているようにも見えるが、彼女の表情から、素であることがわかる。


「明日川くんには、わたくしからお話しいたしますので……どうか、今回は」


 見逃してやってほしい、という彼女の願いに、担任は渋々ながら折れた。腕時計を気にしていたので、本当は俺なんかに構っている暇がないのかもしれない。そこに現れた彼女に、体よく押しつけた、ということか。


「そうだな……今年も学級委員は呉井くれいになりそうだし……頼むぞ」


「ええ」


 呉井さん、というのか。


 俺はその名前を刻みつけた。転校して最初に覚えたのが、彼女の名前であることがなんとなく嬉しい。


 担任は、「いいか。今週中にその頭、どうにかしてこいよ」と念押しをして、職員室へと去って行った。


「……」


 廊下の真ん中で、美少女の呉井さんと二人。なんて話しかけたらいいのかわからない。ありがとう、というのも変だし、よろしくね、というのは馴れ馴れしすぎる気がする。沈黙するしかない俺に、呉井さんは微笑んだ。


「明日川くん。今日はもう時間がないので……明日の放課後、私に付き合ってくれますか?」


 その笑顔は、「付き合う」の意味を誤解しそうになるほど、可愛らしく無邪気なもので。


「ひゃ、ひゃい!」


 俺はうっかり、返事を噛んでしまったのだった。

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