【KAC20254】満月の日、10度目の明晰夢の先で。

こよい はるか @PLEC所属

満月の日。

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


『ねぇ、十月とつきくん! あと1回で会えるね~』


 彼女は僕に向かって、そんなことを言った。この明晰夢を見る度に減っていく回数。

 僕はその日を心待ちにしていた。君と一度、会ってみたかった。


 夢の中だけじゃ嫌だった。君の存在を肌で感じたかった。


『じゃあまた、来月の満月の日にね~!』


 君のその元気な声に合わせたように、ハッと目を覚ます。

 目の前は、見慣れた自分の部屋の天井。


 ——あと、一回か。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして迎えた、満月の日。早めに夜ご飯を食べて、すぐに布団に入る。

 早く君に会いたいはずなのに、どうしても眠りにつけない。


 眠れば、彼女に会える。彼女は僕にとって大切な存在になっていた。


 学校に行っても友達は居ないし、家に居ても親と話さないし、人の温かみを感じることのできなかった日々。

 そんな中、僕が自然体で僕に対しても優しく、明るく接してくれたのは……ただ、君一人だった。


 君とは話していて楽しかった。まるで夢じゃないように、今其処そこに居る様に、君は明晰夢の中でさえ存在感を放っていた。


 君の夢以外は、明晰夢ではなかった。君の夢だけが、明晰夢だった。

 その意味が分かるのは、もっと先だけれど。


 窓の外の満月を見上げる。あぁ、今日会えるんだな、君に。


 神秘的な光を放った満月を見ている間に、いつの間にか眠りについていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あの夢を見たのは、これで10回目だった。


『月が綺麗だね、十月くん』

『それ、どういう意味?』

『さぁ、どういう意味でしょう? 当ててみて!』

『絶対無理でしょ』


 あともう少しで、君に会える——。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「……くん。十月くん!」


 近くで自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、重い瞼を開けようとするけど、諦める。寝ていたいよ……朝じゃないでしょ。


「私だよ!」


 その透き通った声にパチッと目を開いた。僕の足元には、君のくっきりとした姿。


「——きみ……」


 君がいることを、夢の中じゃなく現実で其処に存在していることを喜びたかったけれど、やっぱり寝不足の瞼は重くて大欠伸をしてしまう。


「ふふっ、可愛い!」

「お世辞とか言わない方がいいよ。あとで後悔するから」


 僕は布団から出て足を出す。夜中の地面は冷たかった。


「あれ……これ、十月くんの漫画?」

「そう。君をモデルに描いたんだ」

「えっ、私モデルになれるかな?」

「そんなことないと思うよ」

「ひっど!」


 君となら素直に話せる。本音だって冗談だって言い合える。

 こんな人と出会ったのは初めてだったんだよ。


「ええっ、絵うまい! 最初の展開めっちゃ良くない……?」

「ありがとう……」


 人に漫画を見せたのは初めてだ。だから、こんな風に褒められることだってもちろん初めて。

 くすぐったい幸せを感じて、僕は少しだけ唇の端を持ち上げる。


「ああっ、十月くんが笑った!」

「しっ、いま夜中よなか……! 親もいるんだから声は小さめでね」

「あ、ごめん!」


 全く僕の話なんか聞いてもいないようにすぐにノートに視線を戻す彼女。

 ——一体何なんだろう、この人は。


「——君は、何者?」


 その屈託のない笑顔の源。コミュ力の塊。

 僕には無いものを、君は全て持ち合わせている。


 だからこそ知りたかった。どう生きてきたら、君のようになったのか。

 いつしか僕は、君に憧れていた。


「ふふっ。私は、この後死ぬ人だよ」

「……は?」


 今まで出したことのないような間抜けな声が出た。


 そんな。死んでしまうって。そんなの嘘だろう? やっと今日、君と初めて会えたのに。


「君は覚えてないんだろうけど、ね。君は前、私を救けてくれたんだよ」


 何の話だ。君の顔を記憶から呼び起こそうとするほど、頭の芯からあり得ないほどの頭痛がする。

 何だよ、僕は君を思い出してはいけないのか。これは——運命さだめ


「飛び降り自殺しようとした私を身体を張って救けようとしてくれたけど、私は死んで、君は頭を打って記憶喪失。本当にごめんね、私が自殺なんかしなければ良かったのにな」


 君が、自殺? そんなの知らない。いつも笑顔な君が自殺なんかする訳がない。


 もしかしてこれも夢なのか? いや、違う。君に夢の中で会う時はいつも明晰夢だ。そうじゃないことなんてあり得ない。ベッドのくっきりとした感触が、それを思い知らせる。


「私は、十月くんに会う為に今まで君の夢に居たんだ。今日、きちんと会うことが出来た」


 頭の奥がぐわんぐわんと動く。平衡感覚を保つことが出来ない。

 それでも君の声を絶対に一言も聞き逃さないように、聴力だけに全力を集中させた。


「救けてくれて、本当にありがとう。記憶喪失にさせちゃってごめんね……」


 そんなこと、言わなくて良い。僕がまだ思い出せなかったとしても、君を救けたのは僕の選択だ。君が謝る必要はない。


「……あ、トリの降臨だ」


 それは何だ。君の後ろには白鳥のような大きな鳥がいつの間にか居た。君を招くように真っ白い羽で彼女を抱き寄せようとしている。


 待ってくれ、僕はまだ思い出せていないんだよ。せめて、せめて、僕が全てを思い出した状態で本当のことを伝えられるまで——。


「じゃあ、お別れだね、十月くん」


 お別れだなんて。今日初めて会ったばかりじゃないか。

 もっと話したいことがある。聞きたいことがある。


 僕が初めて、本音で話せる君。

 そんな君が居なくなってしまったら、いつもの僕に戻ってしまうじゃないか。


「君は覚えてないけどさ」


 場にそぐわない伸びをしながら、君は満面の笑みを咲かせて言った。


「君には友達がいっぱい居たんだよ?」


 ——君にとってそれが真実だとしたって、僕は憶えていない。だったらそれは真実じゃない。僕が話せるのは、今でも君だけ。


 だから、行かないでくれ。


 そう言いたかったのに。


「本当にありがとう。これからも幸せに生きてね」


 嫌だ。別れたくない。君とまだ、居たい。

 そんな無謀な願いはトリに届くはずもなく、彼は彼女をぎゅっと抱き寄せた。


「君も、笑顔で!」


 無理。無理だ。笑顔で居るだなんて出来ない。

 視界がぼやけ始める。君の声が、耳鳴りに遮られて聞こえない。君がどんどん遠くなっていく。存在が無くなっていく。

 消えていく。


 でもそれが、笑顔で居ることが君の最後の願いなんだとしたら。

 例え不器用だとしたって、やるしかないだろ。


 何の感覚もない世界の中で、僕は笑顔を浮かべた。


「……新湖にこ、ありがとう」


 僕のその言葉が彼女に届いたかは、未だ分からない。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 僕はあの日、夢を見た。

 あの夢を見なければ、君は消えなかった。

 君と会わなければ、君は消えなかった。


 一夜の過ち。


 あの日眠らなければ、君は今も存在した。


 あの日から明晰夢は見なくなった。その代わりに記憶を失くす前の映像が夢の中でフラッシュバックする。


 君が教室で浮かべた笑顔。屋上で飛び降りようとしていても尚崩れない笑顔。

 あの日、空には満月が輝いていた。


 君は変わらなかった。この世界に存在している間も、僕にしか見えない存在となっても、君は少しも変わらなかった。


 あの日、僕がもっと強く引き戻して居れば。もっと早く屋上に居れば。

 君は死ななかったし、僕も記憶を失くすことはなかった。

 君が消えることはなかったのに。


 記憶を掴む度に泣いた。今までの自分の行動を後悔した。


 でもこれは明晰夢じゃない。ただの現実だ。

 だから変えることはできない。


 それでも、僕は君を憶えている。憶え続ける。

 僕がこの世に存在しなくなる、その時まで。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あの夢を見たのは、これで11回目だった。


『十月くん!』


 僕はあの日に比べて慣れた笑顔で、その声に向かって振り向いた。


 あのノートに綴られる物語の続きが、今、始まる。


 空には満月が輝いていた。

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