とある騎士の夢
紫月音湖*コミカライズ・電子書籍配信中
10回目の求婚
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
はじめて夢を見たのは今から9年前の春。何のしがらみもなく、また恥じらいや躊躇すらなく純粋に好意だけを伝えられたのは、私が子供だったからなのだろう。
私の家は代々王家に仕える騎士の家系だ。父は3番隊の隊長であり、その跡を継げるよう、私も日々鍛錬に勤しんでいた。しかし肉体は鍛えられども、心のほうはそう簡単にはいかなかった。
私は屋敷に勤める年近いメイドに、幼少期から心奪われてしまったのだ。
身寄りのない孤児だった彼女が、父に拾われて家に来たのは今から9年前。当時私は10歳で、彼女は私より2歳年下だったと聞く。けれど8歳の少女にしては体つきも細く、最初に見た時は5、6歳かと思ったほどだ。
はじめは興味本位だったと思う。弱い立場の人間を、騎士の家系である私が支え、導いてやるのだと意気込んでいたのかもしれない。
歳が近いということもあり、彼女は私付きのメイドのひとりとなった。先輩のメイドたちに仕事を教わりながら、徐々に成長していく彼女を見ているのは微笑ましかった。その思いが確固たる形を伴って芽吹いたのは、気まぐれに渡した一輪の花に彼女がはにかむその顔を見た時だ。
衝撃だった。控えめに微笑む彼女のほうが、楚々とした白い花に見えたのだ。
それから私は毎年春になると彼女に一輪の花を渡し、そのたびに「結婚しよう」と求婚を繰り返すようになってしまった。我ながら幼い行為だったとも思う。けれども生涯を共にするなら彼女がいいと、私は今年も一輪の花に思いを託す。
彼女と添い遂げ、幸せな家庭を築き、騎士としてこの国を守り続ける。
そんな淡い夢を懲りずに見続けるのは、これが9回目だ。
9回目の求婚に、彼女が笑う。恥ずかしそうに。さみしそうに。
その顔があまりに美しくて、私は愚かにも彼女の抱える闇に最後まで気付くことができなかった。
翌日、彼女は私が手渡した白い花を残して屋敷から姿を消してしまった。
はじめての求婚をした時、私はまだ10歳で、それは周りから見れば幼いままごと同然だったのだろう。けれど歳を重ねるごとに思いは確実に膨れ上がり、身分の差ゆえに私の求婚はいつしか背徳的な甘さを孕んで、二人だけの秘密となっていった。
けれどそう感じていたのは私だけだったのだ。なぜなら、私は未だ彼女からの返事をもらえていない。彼女が成人になる18歳まで待つつもりだったのに……私の恋心を置いて、彼女は目の前から消えてしまった。
それからは彼女を忘れるように鍛錬に励んだ。隣国との戦争が勃発したことも、恋に破れた私にとっては僥倖だった。
何も考えずに剣を振るうだけでいい。かなしみも苦しみも、彼女の微笑みひとつに胸を高鳴らせたあの喜びもすべて忘れて敵を屠る。私はさながら悪魔のように剣を振るい、全身に返り血を浴びながら敵陣を突き進んでいった。
剣の擦れる金属音や、肉を裂く音。悲鳴に怒号が飛び交う戦場はまさに地獄絵図。鎧の
ふと――視界に白い花が映ったような気がして振り返る。こんな戦場に清らかな物などあるはずもないのに、私の目にはその敵が一輪の白い花に見えてしかたがなかった。
私と同じように泥と鮮血にまみれた鎧を身に纏っているというのに、敵から感じる気配が忘れられない花の記憶を呼び起こして私の体を硬直させる。顔を隠した無骨な兜には敵国の奴隷兵の印が刻まれていて、そこで私は愚かにも初恋に心躍らせたこの9年間が作られた虚像だったことを、知った。
剣を構え、飛びかかった。
それは敵に心奪われた自分との決別ように。
それは知らずと国の情報を渡していた自分への贖罪のように。
叫び、吠える声が慟哭なのか、それとも憤怒なのかは、もうわからなかった。
鈍色の兜の奥。
いつか彼女と結ばれ、幸せな家庭を築き、騎士として国を守る。
白い花に乗せて捧げた私の幼く甘い夢。
10度目の、その夢を見ることは――もう二度と訪れない。
とある騎士の夢 紫月音湖*コミカライズ・電子書籍配信中 @lastmoon
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