臆病勇者の行く末は

薄井氷(旧名:雨野愁也)

臆病勇者の行く末は

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


「……はっ……はっ……」


 オーガは飛び起きた。背中にじっとりと嫌な汗をかいている。自らの両手が小刻みに震えているのが分かる。


「……畜生、また、あの夢か……」


 オーガは舌打ちした。明日は魔王との最終決戦だ。それに備えてよく寝ておかなければならないというのに、これでは全く疲れが取れない。時計を見れば、まだ深夜である。ともかく眠ろうと、オーガは布団に潜った。しかし、先程見た夢がフラッシュバックして、目が冴えてしまっている。


 夢というのは、オーガが初めて魔物をその手にかけた時のことだ。数年前、彼が最初に殺した魔物は小さなスライムであった。内心恐ろしくて仕方がなかったが、村の安寧を守るためと自分に言い聞かせ、オーガは覚悟を決めて剣を振り下ろした。スライムはスパッと両断され、ドロドロの液体を残してそのまま消えていった。はたから見れば、ただ魔物を退治したという、どうということはない光景だったかもしれない。しかし、オーガの手には、魔物を斬った感覚、生命が自分の手によって消えていく感覚が、いつまでも残っていた。しばらくは思い出しただけで吐き気を催したものだ。


 オーガは生来、勇敢な性格ではない。むしろ臆病な方だった。だというのに、なぜか勇者に選ばれてしまったのである。オーガは何かの間違いだと思った。彼の性格をよく知る、彼が育った村の人々も皆、オーガが勇者なんてとんでもないと考えていた。だが、彼の幼馴染である村娘のマチルダは、


「あんたにしかできないことがあるから、神様はあんたを勇者に選んだんじゃない?」


と言ってきた。そう言われても、オーガには全く心当たりがない。断るべきかどうか悩んでいるうちに、事件は起きた。


 マチルダが魔王に攫われたのである。


 いつものように羊の世話をしていたマチルダは、突如としてやってきた魔王軍の連中にかどわかされた。あまりに一瞬の出来事で、周囲にいた人々も止める手立てがなかったのだという。


 幼馴染を奪われたオーガは、その日から人が変わったように鍛練に励んだ。勇者として魔王を倒すという使命を果たすため、そしてマチルダを取り戻すため、オーガは剣を振るうようになった。成長した彼は魔王討伐のための旅に出て、仲間たちとともに、たくさんの魔物を倒した。やがて、魔物を殺すことに対して罪悪感を感じなくなった……とオーガは思っていた。


 しかし、ここ数日、初めてスライムを殺した時の夢ばかり見るのである。そのことを仲間の魔導士に相談したが、「緊張してるだけでしょ」と軽くあしらわれてしまった。


 よく眠れないでいるうちに夜は明け、決戦の日を迎えてしまった。オーガは眠い目を擦りながら、身支度を整え、魔王のアジトを目指した。


 アジトは、魔王の住処に相応しく、禍々しい雰囲気を醸し出していた。本拠地は山の上にあるが、オーガたち一行はそこに辿り着くまでに多くの骸骨を目にした。これまで魔王に挑んで敗れ去っていった人々のものであるらしい。オーガは肝を潰したが、そのことが顔に出ないよう必死で取り繕った。


 道中の雑魚敵を蹴散らし、オーガたちは魔王の住む宮殿に到着した。重い扉を力ずくでこじ開け、広間に控えていた衛兵や廊下に配備されていた精鋭を倒し、宮殿の最奥部に辿り着いた。


「魔王、今日こそ貴様の息の根を止めてやるぞ! 覚悟しろ……っ!?」


 ……部屋の中心にある玉座に座っていたのは、成長して姿や着ているものこそ変わっていたが、紛れもないマチルダその人であった。黒と赤のドレスに身を包み、見違える程美しくなっていたが、確かにかつての面影を湛えている。てっきり囚われの身として牢屋か何かに入れられていると思っていたオーガは、その光景を見て唖然とした。


「マチルダ、お前、無事だったのか! さあ、一緒に帰るぞ! ところで魔王はどこだ……?」


 戦わずに済むのであればその方が望ましい、と無意識のうちに思ってしまっていたオーガは、マチルダに駆け寄った。


 しかし。


 次の瞬間、オーガは彼女によって弾き飛ばされた。壁に激突し、口から血が溢れた。とてもか弱い女子の力とは思えなかった。


「がはっ……」

「……魔王はこの私よ。随分と遅かったじゃない、オーガ」

「なっ……どういうことだ!?」


 状況が理解できず、オーガは目を見開いて問うた。


「元々私を連れていった魔王は、もう既にこの世にいないわ。あの人は病気で余命いくばくもなかったのよ」

「そ、そうだったのか!? じゃあ、どうしてお前が……」

「……あの人は、ただ人間と共存したかっただけだったの。やり方は少し乱暴だったけどね。私を人質にして、対話しようとしたんだから。でも、魔王は私にとても良くしてくれたわ。だから私、あの人の最期の願いを叶えてあげたくて、魔王の力を全て受け継いだの。機会が来たら、人間たちと『交渉』しようと思ってね」


 マチルダは手を軽く握ったり開いたりした。その度に魔力が溢れ出てくるのが感じられ、オーガはごくりと唾を飲んだ。


「ちょっと待て、そんな、魔王が人間と共存しようとしてたなんて話、聞いたことないぞ! そんな嘘を吐いてどうする!?」

「嘘なんて吐いてないわ。あんたたちの王が、都合が悪いから隠していたんでしょう。自分たちより強い力を持ってる奴らと共存するなんて、とんでもないって思ったんじゃない? とにかく人類にとって脅威となる存在は抹消したいって考えてるんでしょ。全く、思考が本当に野蛮よね」


 目の前にいるのは間違いなく本物のマチルダだが、すっかり魔王陣営の考え方に染まってしまっているようだ。彼女の言うことも一理あると一瞬思ったが、オーガはゆるく頭を振り、すぐに考えを改める。


「……いや、俺は、勇者として魔王を倒さなければならないんだ……」

「ははっ、まだそんなこと言ってるの? どう、ここで話し合って解決っていうのは。あんただって、本当は怖いんでしょ? 戦うのが」

「そんなことは……ないっ!」


 そう言ってオーガは、震える手で剣を抜いてマチルダに斬りかかった。彼女はそれを難なく躱し、自らの手から生み出した魔力の塊を、オーガの仲間の僧侶に向かって投げつける。それを間一髪で魔導士が止めたが、勢いを殺しきれず、魔導士の持つ杖が砕け散った。


「なっ……!」


 オーガはすぐさま仲間の元に向かった。一瞬背中を見せたその隙を逃すことなく、マチルダはものすごい勢いでオーガに突進し、魔法で作り出した巨大な剣を彼に振り下ろした。


 魔導士が身を挺してオーガを庇ったことにより、彼はかすり傷で済んだが、魔導士は致命傷を負った。「必ず……魔王を……倒して」と言葉を残し、彼女は事切れた。僧侶が魔導士を蘇生させようと呪文を唱え始めたが、その試みはマチルダが放った大量の魔法の矢によって防がれてしまった。僧侶は断末魔を上げることもなく、その場にくずおれた。


「さあ、これで残りはあんただけね。どうする? 大人しく降参する?」


 歪んだ笑いを浮かべる幼馴染に対し、オーガは口をぎゅっと結んだ。しばしの間ののち、オーガはおもむろに口を開いた。


「……お前の言うことが本当なら、こんな風に人間をいたぶることは魔王だって望んじゃいないだろう?」

「何言ってるの。そっちが先に手を出してきたのが悪いんじゃない。魔王が人間と交戦した理由は、人間が魔王を滅ぼそうとしてきたからよ。今までずっとそうだったって聞いてるわ」

「いや、挑発してきたのはそっちだろうが……!」

「それに乗らなければ良かった話じゃない」

「くっ……ならば、どちらかが倒れるまで戦うのみだ!」


 再び戦闘が始まった。二人は互いに激しく剣をぶつけ合う。マチルダの剣がオーガの左頰を掠り、ブシュッと音を立てて血が吹き出た。オーガの剣もマチルダの肩や足など露出している部分を傷つけた。その度に、オーガはドクンと心臓が跳ねるのを自覚した。マチルダの傷は一つ、二つと増えていく。もう昔の優しい微笑みは浮かんでいないが、それでも、幼馴染の顔が、自分の振るう刃によって傷だらけにされていく光景に耐えられなくなり、オーガはついに悲鳴を上げた。


「……うああああああっ!!」


 オーガは剣を取り落とし、がくりと膝をついた。敵前でそのようなことをするなど、勇者としては決して許されない行為だとわかっていたが、オーガの精神はとっくに限界を迎えていたのだ。


 次の瞬間。


 ——マチルダの剣が、深々とオーガの胸を貫いた。鮮血が迸る。マチルダの美しい顔が、彼女のドレスと同じくらい深い紅色に染まった。オーガは苦悶の表情を浮かべながら、ゆっくりと倒れた。剣が抜け、再び血が噴き出て、床を汚した。


「……」


 マチルダの顔から笑みが消え、能面のように無表情になった。彼女の視線は自らの手元に向かった。その手にはしっかりと剣のつかが握られている。


「……オーガ……」


 途端にマチルダは糸の切れた操り人形のように、その場に座り込んだ。


「……あんた、やっぱり、所謂『勇者』には向いてなかったみたいね」

「……どう、やら、その、通り……みたいだ」


 息も絶え絶えにオーガは答える。


「……確かに、俺は負けた。だが……必ず、次の、勇者が、お前を……たおす」

「……」


 マチルダは傍に倒れ臥すオーガに目をやった。


「私、昔言ったわよね。あんたにしかできないことがあるから、あんたは勇者に選ばれたんじゃないかって」

「……ああ」

「それは、きっと、持ち前の臆病さを生かして、戦わない道を探ることだったんじゃないかって思うの」

「……」

「その気になれば王を説得することだってできたはずよ。『勇気』を持ってね。それも一つの勇者のあり方だったんじゃないかって、私は思う。……でも、あんたはそうしなかった。型にはまった、勇者は魔王を倒さなければならないっていう考えに囚われてしまった」

「……」

「だから当然、魔王に抵抗された。でも、途中で怖くなったんでしょ? それで、この体たらくよ。本当に、無様ね」

「……」

「……オーガ」


 マチルダはもう息をしていないオーガの傍に寄り、そっとその頰に触れた。


「分かってるわよ。あんた、勇者っていうのは魔王を倒すものだって教わって育ってきたんだから。私だってそうよ。でも……魔王に捕まってみて、初めて分かったこともあった」


 マチルダの独白は続く。


「……知ってる? 私、実はあんたのこと、ちょっと好きだったのよ。あんた、確かに臆病で気弱だったけど、誰かを傷つけることだけは絶対しなかったじゃない。でも……私がいなくなった後、別人みたいに魔物を狩ってたって、魔王に聞いたわ。それで私、幻滅しちゃった」


 誰もいない部屋に、マチルダの声だけが響いていた。


「本当は、無理してたんでしょう。もうこれで、誰も傷つけなくて済むわ。……おやすみ、オーガ」


 マチルダはオーガの瞼をそっと閉じてやった。


 その後、新たな勇者が生まれては倒され、また生まれては倒された。


 魔王は今でも、山の上にひっそりと佇む宮殿の最奥部で、剣を持たない勇者の来訪を待ち望んでいる。

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