彼方より星を想う

三津名ぱか

彼方より星を想う

 とてもきれいで、豪華で、なんだかきらきらしている。大きな部屋の中をぽかんと見まわしていた。自分の家とは大違いだ。


 清楚な白い壁に、調度品の彩りや装飾がよく映えている。床には細やかな幾何学模様の絨毯が敷き詰められて、お尻の下が赤ちゃんヤクの毛並みくらいふかふかだ。


 すぐ外に雅な中庭があって、手入れの行き届いた庭木が誇らしげに花を咲かせている。陽が差すだけではない明るさ。現人神様の館に並び立つほどの、立派なお家だった。


「珍しい?」


 含み笑いが混じる女性の声で、はっと我に返る。


「失礼しました!」


「気にしなくていいのに。シェカルさんから聞いたとおり、ラケくんはお利口さんだね」


「えっと……ありがとうございます」


 嬉しさよりもむず痒さが優って、きゅっと肩をすくめる。それでも好奇心は抑えきれず、視線をあちこちへ彷徨わせてしまうのだった。相手は変わらず微笑ましげに目尻を下げている。


(お父さんお願い。早く帰ってきて)


 最近のラケは、完璧にお上りさんだった。言い訳じみてしまうが、こうならない方が無理というものだ。集落とはまったく違う。何もかもが目新しいのだから。


 商都から北のさらに奥、山々に閉ざされた蛇神様のおす天険。それがラケのふるさとイェンダだ。


 雨季は災いが多いため、乾季の間のみ道が開かれる。十歳を迎えた今年、行商人の父に付いて初めて平原に降りてきた。山の景色に親しんできたから、本当に真っ平らな土地があるなんて未だに信じがたい。


 商都に着いてからも興奮しっぱなしで、疲れることすら忘れてしまった。この世は見える以上に、そして思うよりも遥かに広かった。


 イェンダの民はもちろん、商都の人でさえ天のもとに在るほんの一部でしかない。だからこそ人々はそれぞれの違いに心を惹かれ、似ているところを喜びあう。開けた雰囲気こそが、街を沸き立たせる活気の源だ。


 はじめは集落を離れるのが心苦しかった。幼い妹や弟の世話を、身重の母に託してしまったから。それでも時が流れるにつれ、他の物事に関心が移るようになっていった。


 生かじりの知識で、都市の暮らしを頭に描く。災いに怯えることも、うっかり足を滑らせて崖から落ちることもない。整った街道が敷かれ、食べ物だってすぐ手に入る。すべてが叶う豊かな楽園――そんなあいまいな憧れが、胸の中でもくもくと膨らんだ。


 名が表すとおり、商都には各地から物売りが集まる。ラケたちが持ってきたのは、故郷で作られた珠玉の逸品。世に誉高きイェンダの織り物だ。


 今日お伺いしたお得意様とは、世代を超える長い付き合いがある。仲が良くて、家族の話もよくするらしい。ラケが行商に加わった折には、是非とも顔を見せてほしいと、兼ねてよりお望みだったそうだ。


 だが少し前、父とご主人は奥の部屋へ行ってしまった。込み入った話があるらしい。残されたのはラケと夫人の二人。母よりも少し若そうな、明るくも落ち着いたお方だった。


 さりげなくまとう装身具やお召し物は、きっと高価に違いない。佇まいによく馴染んで、いかにも都人といった上品さが漂う。優しそうだけど、知らない人と一緒だと居心地が悪い。狭い集落ではみんな顔見知りだったから。


「お父さんのお手伝いだなんて、大したものよ。私がとおの時なんか、なんにも知らないただの田舎娘だったもの」


「あれ……? 商都の生まれではないんですか?」


「他所から嫁いできたの。君たちほど離れた場所じゃないけれど。のんびりしてちょっと奥まった、しがない農村」


 意外だ。すっかりここに染まっていたから、ずっと煌びやかな世界に身を置いてきたのだとばっかり。


「街は面白いでしょ? 分かるなぁ。私もそうだったから。なんでも手に入るし、素敵な出会いもある。夫も善い人だしね。……時々、昔を思い出すこともあるけど」


 夫人は少し顔を上げて遠い目をした。


「幼馴染と駆け回ったこととか、掘り起こした土の香りとか、牛のあったかい寝藁とか。そんな取り止めのないことばかり。あれはあれで、特別だったんでしょうね」


「…………きっと良い所だからだと思います」


 聞きながら胸がぎゅっとなった。挙げられた情景は、ラケにも覚えがあるものばかり。そういえば、近頃よく眠れない。朝日が煩わしい。慣れない物事に溺れる息苦しさを、知らず知らずのうちに隠していた。隅っこで押しひしがれていた寂しさが、少しずつ外へ滲み出てくる。


「実は俺も結構イェンダが好きなのかもって、今のお話でちょっと思いました。今までよく分からなかったけど……」


 口にしたら余計に心細くなってしまった。みんな元気で変わりないだろうか。集落だって乾季は忙しい。慌ただしくて、あっという間に押し流されるような日々。大変だったはずなのに、今はそれさえ懐かしい。このまま商人として生きるなら、もう味わえないかもしれない。しゅんとするラケの頭を、温かい手が撫でてくれる。


「その気持ちを大切にね。生まれた場所って一つしかないから」


 口を引き結んで、うんと頷くしかできなかった。


「ごめん、ほんとはちょっと怖かったのかな。でもね私、こうも考えてるの。たとえ離れていても、ふるさとが心の支えになってくれるって。どうしても悲しい時、私は乾季の夜をまぶたの裏に呼ぶの。小さい頃は、空一面に瞬くお星さまが、眠れない夜もそばにいてくれた。街明かりも好きだけど、あの心強さは見た人にしか分からない」


 目を閉じてみる。星ならイェンダもきれいだった。天に近いし、澄んだ山の空気が星々を大きく近く感じさせる。そうしているうちに、気持ちがたしかに落ちついていく。でも今度は、あの空をこのお方に見てもらえたら、なんて願ってしまう。


 ふと、ある物が頭をよぎった。思い立つと同時に立ち上がって、荷物の包みを解く。中をしばらく探ってお目当てを取り出した。


「あった!」


 勢いよく目の前に広げる。災除けの旗くらいしかない、小ぶりの織絵巻タペストリーだ。イェンダの作にしては珍しく暗い色調。記憶どおりの色合いだ。


「どうしたの?」


 えへん、と自信たっぷりに胸を張る。


「これ、夜空なんです」


 地の色から浮かび上がるように、銀糸と金糸で満天の星々が織り込まれている。大きな星は長い光芒を放ち、小さな星はささやかに。背景は黒から濃紺、そして藍へと絶妙な濃淡が付いている。全体を遠目で眺めれば、空を堂々と流れる天の川が浮かび上がっていた。


「これを作った人は『イェンダはいい所だって都会の人に自慢したい』って言ってたんです。でも色は暗いし柄としても素朴だから、他の作品と並ぶと地味に見えちゃうみたい。貴女になら、この素晴らしさが伝わりそうな気がします」


「まあ……」


 織絵巻タペストリーを見つめる瞳が、子供のような光を灯す。ラケもつられて口元を緩めた。二人して束の間の里帰りに浸る。懐かしい山が、そして家や人が、すぐそばにいるみたい――。


「やあ、待たせたね。良い子にしてたかい?」

 いつのまにか、家のご主人がすぐそばに佇んでいる。父もその後ろに立っていて、しばらくラケたちの様子を観察していたらしかった。


「すごいのよ。あの頃の風景とそっくり」


 夫人は興奮に頬を染めて、切り取られた星空を夫に手渡す。


「ああ……きれいだね。商都生まれの僕には珍しいよ。今日は他所に卸すものを選ばせてもらったけど、せっかくだ。シェカルさえ良ければ、こちらも頂きたい。妻がたいそう気に入ったようだし」


「まあ、良いんです?」


「僕たちで、ラケくんの素晴らしい初仕事に花を添えてやろうじゃないか」


 そこでようやく、あっとなる。自分の言葉を添えながら品物を勧め、それが受け入れられようとしている。父は不躾な振る舞いを咎めたいような、喜びたいような、なんとも言えない顔をしていた。


「それにシェカルときたら、家族が増えるってのに、どうしても祝いを受け取ってくれないしなー」


 わざとらしくニヤつくご主人に小突かれて、父の表情がどんどん苦々しい方に寄っていく。


「またそんな戯れを……」


 大きなため息をついても、押され気味な風向きは少しも変わらなかった。







 結局、星空の織絵巻タペストリーはあの夫婦の手に渡った。寝室に飾るのだという。ふるさとに似た景色に見守られて、心やすく夢へと誘われたなら。自分の行いが、誰かの笑顔に繋がったことが誇らしい。父には少し叱られたけど、最後はよくやったと褒めてくれた。

 見送りの時、おなかに手を添えていた母を想う。弟か妹かは分からないけど、次に会う時は六人家族になっているかもしれない。平原で得たことを早くみんなに語りたい。イェンダをもっと好きになった話を――離れて初めて分かったことを。

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