鳥よ。灰よ。

肋骨伊右衛門

鳥よ。灰よ。

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。もしかすると10、いや11回目かもしれない。夢を見た回数なんて正確に数えたことなんてないからはっきりとはしていない。

 先の世界大戦に続く恐慌により、僕は働いていた保険会社に解雇を余儀なくされ、失業者という地位に落ちてしまった。役所に社会保障による生活援助の申請を出したが、僕のような立場の人間は腐るほどいるらしく、援助費用が支給されるには1ヶ月半ほど待たされるらしい。

 果たしてこんなこと許され、世の常識になっていいのかと憤りを覚える。だが僕一人が半狂乱になって目の前の役所の職員に怒鳴り散らかしても何も変わらないので、せめてもの現代人としての尊厳を守るべく役所を後にした。

 役所から出て少し経てばストリートにはホームレスが、おそらく身なりの汚れ具合から見て僕のように最近失業した者たちが溢れかえっていた。建物の壁に横たわっていたり、様子がおかしいものが大半で正気を保っているような目をしている者はほとんどいなかった。

 それもそうだ。僕含めこの国にいる人間の大半は5年前の凄惨な戦時を経験したのだ。「祖国ケルネ万歳‼︎」という文言に服従し、身を粉にして、身を焦がした結果がこれなのだから自信の現状を、運命を疑いたくなるのもわかる。

 家に帰って暖房を炊くために蒸気バルブを捻った。ボロアパートの一室の配管は脆く、轟音を響かせている。

 あ、と僕は思い出す。もしかしたら何かしら求人のチラシが届いているかもしれないと郵便受けへ向かった。

 淡い期待を胸に郵便受けの取手を引くと3枚紙が入っていた。僕は心をときめかせながら椅子に腰掛けた。

 1枚目は家賃滞納に関する催促の手紙だった。どうやら今日から一週間以内に滞納していた家賃を払えないと退去させられるらしい。今は11月下旬で、雪が降るまで待ったなしの時期だというのに情勢も情勢だ。そんな時に退去させられるなんてあまりにも酷ではないか。絶対に退去する訳にはいかない。

 2枚目は友人からの手紙だった。最近調子はどうだとか、飯は食えていうかだとか、そんな感じの手紙だった。食えてる訳ねえだろ失業してんだぞこっちは。

 ここまでで求人に関することは一切なかった。改めて自分の余裕の無さを痛感させられた時間だった。やはりこんなご時世のこんな街じゃ誰もが自信を食わせるのに精一杯なのだろう。

 とっとと目を通して配給のシチューを貰いに行こうと3枚目のチラシを見た。どうやら治験の求人らしい。内容は特定の薬品を見て1週間経過を見て効果を調べるというものだった。最初の3日間は入院し、後の4日間は家に健診しに来るらしく、仕事としては苦になるようなものじゃなかった。おまけに報酬額は今の生活水準であれば1ヶ月半は生活できる値段だった。

 一つ引っかかるとすれば治験そのものだろう。飲まされる薬によっては生死を彷徨うかもしれない。何が起こるかは、誰も決められない。

 僕は少し悩み、テーブルに置いた催促の手紙を見て、心を決めた。


 街に出て、配給の列に並び、シチューを食べた後にチラシに書いてあるサンダンス市立病院に向かった。

  受付の女性に求人の申し込みをしたいと話すとすぐに診察室に案内された。

 しばらく待機するように言われ、5分ほど待つと奥から誰もが医者だと言える見た目の男が出てきた。褐色肌の医者は自身の特徴的な鼻を摩りながら話し始めた。

「えー。ファボウスキさん、まずは治験の求人の応じてくれた事に感謝します」

 形式的な風に言うと医者は手元のバインダーの紙をめくり淡々と話し始めた。

「私はここの医院長をしております。サンダンスと申します。まず初めに、この仕事で死ぬことはまずないです。それは確約しましょう」

「ええ、そうなのですか。薬を飲まされるのだからてっきりそう言う可能性もあるのかと」

「いやいや、そもそも我々があなたに依頼する薬は初めの段階で小動物に試験的に飲ませてるんですよ。なので人間で死ぬことはまずあり得ません」

「ではどのようなリスクがあるのですか」

 サンダンス医院長はまた鼻を摩りながら話を始めた。どうやらそれが彼の癖らしい。

「まぁ人によって異なりますが…見た目に変化が出る場合があります。禿げたりとか」

「な、なるほど」

「体に異常があった場合はすぐに治験を中断しますのでそこは安心を」

 体に異常が出た時点で駄目だろうがと言ってしまえば本末転倒なので言わない事にした。そこから先はチラシに書いてあったような内容と、入院期間の細かいスケジュールを教えられた。そして最後に誓約書へのサイン。これで僕はある種の地獄の門に3回ノックした。

 

 治験生活の最初の3日間は体調に何の支障も無く、無事に退院することができた。サンダンス医師曰く、今まで通り体を動かしても問題無いらしい。

 ただ1つ、気になることがあった。それは夢だ。毎夜見る夢。私は鳥になって、大火に炙られている街を空から眺めている。やがてその視点は神の視点となり、ツバメの形をした私を見つめている。しばらくすると、その光景は一つの塊になり大きな箱に入れられてしまう。これが私が見る夢の一部始終。

「はあ、そうですか。その夢を毎日見るのですね」

 おそらくサンダンス医院長から派遣されて来たのだろう。退院の翌日、昼に丸い眼鏡をかけた細身の白衣を着た男が訪問してきた。僕が同じ夢を見続けている報告を半信半疑に聞いている。

 細身の男は眼鏡を外し診察結果を書いた紙を鞄に戻してはそそくさと僕の

部屋を去ってしまった。

 鳥、大火、閉じる箱。何かが引っかかる。何かが。でも分からない。きっとあの箱は開けちゃいけないんだろう。そう考えた後、僕は今日の朝刊を開き記事に気ままに目を通した。


 おそらく7回目のあの夢を見て翌日、またあの眼鏡の細身の男がやってきた。いつも通り体温を測り、身体の異常が無いか聞かれた。そしてあの夢を見たと再度伝える。いつも通りなら興味が無さそうに聞いているのだが、今日の眼鏡の男はいつもと違う表情をしていた。具体的に述べられるものでは無いが、どこか憐れみに近い表情を浮かべ僕の方を見ていたのだ。

 あまりにも気になってしょうがないので僕は質問した。

「あの、どこか体に異常でもあるんでしょうか」

「いえ、どこにも異常はありません」

「そうなんですか。いつもと違う表情をしているのでどこか悪い所があるのかと思ったのですが」

「いや、そんなことはないですよ。では私は失礼させていただきますね。一週間ご苦労様でした」

 そう言って彼は部屋を後にした。どうやら彼は真面目そうな反面、嘘をつくのが下手なようだった。声の調子が明らかに何かある時のそれだったのだ。

 

 治験の期間は確かに一週間のはずなのだが、8日目の昼に玄関のドアを叩く音が聞こえた。開けると訪問してきたのは眼鏡のあの男ではなくサンダンス医院長だった。

「サンダンスさん。どうかされたのですか。治験の期間はもう終わったはずですが」

「いや、今日は診察で来た訳じゃないんです。ある種好奇心と言いますか」

「はあ」

「それでですよ。ファボウスキさん。いくつか話したいことがあるので中でお話しさせていただくことはできますかな」

 僕はサンダンス医院長を部屋に上げ、互いに向き合う形で椅子に座った。

「ファボウスキさん。今回伺ったのはあなたが見ている夢についてなんです。これは治験の調査ではないので答えたくない場合は答えたくないとはっきり言ってくださいね」

「分かりました」

「ええと、それでですね。一応求人ですので我々の関係は雇用という形になるんです。その過程であなたの経歴を調べさせていただきました。」

 そう言ってサンダンス委員長は一枚の紙を出してきた1番下の方には役所の名前が書いてあった。

「8年前の戦争の際、あなたはケルネ空軍第四空挺師団の一員だった。第四空挺師団といえば我が祖国ケルネとカバネ国の間にあるフォウヌ川での戦闘で大量の死者が出たことで有名だ。実はね、私は当時フォウヌ川の基地で軍医として派遣されたんですよ。あの頃の痛ましい惨状は今でも夢に出てくる。それは別としてあなたがこの仕事を受けた際、どこか引っかかっていたんですよ。おそらくあなたを見ていたんです。運ばれてきた患者の中に紛れていたんだと思います」

「いや、そんなはずはない。僕にはそんな記憶はありません」

「ではどんな記憶があるというのですか」

「僕は徴兵されて結局戦地に行かぬままここ5年は保険会社に勤めていたんです」

「なんという名の会社ですか」

「ストロンボリス保険会社という名の会社です」

「その会社は3年前に潰れましたよ」

「いや…そんなはずは…あれ?」

 僕はここ数年の記憶を思い出そうとした。が、どうにも働いていた時の記憶がない。

「恐らくですがね。戦時中に見たものに対するショックが強すぎて一時的に記憶がないんでしょう」

 思い出そうと考えを巡らせるうちに一つの記憶が湧き上がる。最近見るあの夢だ。あの鳥にあの燃える街は過去の記憶をぼかしたものだったのではないのかという一つの仮説が僕の頭によぎった。

「サンダンスさん。あの薬は何の薬として開発されたのですか」

 サンダンス医院長はポケットからタバコを取り出し、火をつけた。

「あの薬は元々ご老人の記憶力向上のために開発されていたのです。研究を行った部署は私の病院ではありませんが求人する以上事情は知らされていました」

「そうなると結果的に薬の効果が夢に反映されたのですか。かけた記憶の代わりとして」

「そうなりますな。ですがあなたのような少し問題を抱えたケースは初めてでこの薬の効果を断定するのは早計だ」

「仮に僕に徴兵された経験があるとして、なぜ僕は今まで生活できていたのでしょう」

「ふむ、そうですな食料は配給のものを?」

「ええ、はい。それはいいとして家賃の金はどこから来たのでしょうか」

「ここに家賃を?」

「ええ、はい」

「納金した記憶は?」

「記憶は…ありません」

「でしょう。現実を突きつけるべきではないと思いますが…あたりをよく見てみなさい」

 見回してみたがあたりは確かに僕の部屋だ。それに変わりはない。僕はその旨をサンダンス医院長に伝えた。

「そうですか…まあいいでしょう。これは知り合いの意見として言わせていただきますがね。あなたは今すぐ引越しをすべきです。支払われた金があるでしょう。それを使いなさい」

「…分かりました。考えてみます。」

「うむ。よろしい。では私は失礼するよ。色々突きつけてすまなかったね」

 そう言ってサンダンス医院長は部屋を出て行ってしまった。

 僕は…僕の視界に映っているものは本物なのか?今までの記憶は自身の脳が勝手に偽っていたものだったのだろうか。だとしたら僕は…僕はどうすべきなのだろうか。

 鳥よ。灰よ。答えておくれ。教えておくれ。僕の身に起きた真実を。悲劇でも喜劇でも受け入れよう。そう誓って僕はベッドの上で目を瞑った。

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鳥よ。灰よ。 肋骨伊右衛門 @Jack_hogan_88

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