球界の夢

大河井あき

球界の夢

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 今日、正夢となる。根拠はないが強い確信があった。

 気を抜かず、早朝のルーティーン、ランニングを1時間、素振りを100回、ストレッチを30分おこなってから身支度を整える。宿泊施設にいてもこれは欠かさない。

 9回。

 この数字以上の験担げんかつぎは他にない。



 初めて見たのは小学1年生のとき。春だったはずだ。

 知らない場所、土の上に立っていて、周囲からは歓声のような怒声のような声がしている。

 自分が見つめているのはつば付き帽子を被ったお兄さん。

 しかし、その表情は無口な鬼のようだった。

 起きたとき、おもらしをしていたのは無理もない。



 2回目。小学3年生のときで、夏休みが終わろうとしているころ。

 最初は、昼に見ていた影響だと思った。

 ――高校野球。

 何とはなしに見ていた光景が打者目線で目に映る。

 応援で包まれた球場。20メートルほど先には投手。

 その真剣な形相ぎょうそうを見て、いつか見たことがあると思い出した。

 これは、デジャヴュだ。



 3回目。小学6年生になる直前の3月下旬。

 2回目の夢の影響で、俺はクラブチームに入った。

 そのおかげで、より鮮明に夢の内容が分かるようになった。

 場所は甲子園。お互いのユニフォームには高校名が刺繍されている。

 マウンドに立つ投手は背丈が高い。きっと角度の付いたえげつない球を放るだろう。

 俺もまた背丈があることに安心した。目線がだいぶ高いところにある。良質な筋肉も付いているようだ。

 声援は大きく、吹奏楽部の曲もまた闘志を震わせる。

 もう、投手の表情は怖くない。

 野球に対する誇りの顔だと分かるからだ。



 4回目、5回目、6回目とる中で、俺は実力を磨いた。

 夢のおかげでビジョンが明確なのも大きな助けとなった。

 中学時代に所属していたチームではエースで4番を担っていた。

 高校で野球部に入り、ユニフォームが夢の中で着ていたものと同じだと分かったとき、少々の安堵と多大な興奮を覚えた。



 7回目、8回目を見るころには、俺はチームの主砲となっていた。

 エースは同輩に譲ることとなったが、自分としても投げるより打つほうが得意だというのは理解していた。

 それは何より、夢の中で打者として立っていたことが物語っていた。



 そして9回目を見たのが今朝。

 回想しながら、タイムをかけて一度バッターボックスから出て、汗をぬぐい、呼吸を整える。キャッチャーと審判に礼を言い、再び打席に立つ。


 9回裏。2対5。2死満塁。フルカウント。

 双方からの声援が甲子園を震わせる。

 マウンドにはドラ1候補、マスコミも追いかける絶対的エース。

 打席に立つのは、俺。


 夢の内容はそこまでだった。

 それでいい。

 その続きがあったとしたら、どんな結果になろうとも、夢のせいにしてしまう。

 この続きを描くのはこの俺だ。

 優勝ゆめへ導くのはこの俺だ。

 さあ、投げろ。お前の投球ゆめと俺の打撃ゆめをぶつけ合おう。

 投げるサインが決まった頷きが、俺の言葉への呼応に思えた。

 マウンドの足が上がり、腕が力強く振り下ろされる。

 伸びてきた白い一直線に向けて、フルスイングした。



 時は過ぎて、10月。俺は校長室にいた。

 もうすぐお別れとなるユニフォーム姿。座っているのは少し高そうな掛け椅子。隣には顧問と校長先生。周りにはスーツを着たメンバーがいる。

 場には試合中とは異なる重苦しい熱気と緊迫感が漂っていた。


 あの日、バットは芯からわずかに外れたところでボールを捉え、フェンス直撃走者一掃の二塁打となった。

 これで同点となったが後続が続かず、延長戦にて敗北を喫した。

 悔いはないが悔しくはあった。あと幾分かの努力があれば、フェンスの向こうへ入っていたかもしれないとは思う。だが、その幾分かを捻り出せないくらいの積み重ねをしてきたのだ。やはり、悔いはない。

 甲子園優勝という夢は断たれた。だが、俺は次の夢へ足を運ぼうとしている。


 ドラフト会議。

 11球団がすでに選択終了。

 残り1球団、9巡目。

 球団名が読み上げられ、名前が呼ばれて、


 ――俺の描く新たな夢が決まった。

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球界の夢 大河井あき @Sabikabuto

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