コウノさんと僕
田中時凪
第1話
この晴れた秋空に似合わずに、モヤモヤしていることがある。
家の目の前に住んでいるおばあちゃんのことだ。
僕のハイツの前の平屋にひとりで住んでいるおばあちゃん。コウノさんという名前。
コウノさんは
美味しいご飯を作れる。一人暮らしの僕のために、おかずをタッパにいれてお裾分けしてくれるのだ。肉じゃがとカレイの煮付けと鰻巻きが特に大好物だ。レパートリーも数えきれないほどあり、毎回感動させられる。
そして、美味しいおやつも作れる。おはぎは絶品で甘さと柔らかさが僕のために研究されたのかと思うほどだ。バスクチーズケーキも作れる。「バスチー作ったよ」とチャイムを鳴らされたときは、「バスケですか?」と返してしまい、どっちが年寄りか分からなくなったこともある。
築年数不明の平屋は、コウノさんの手入れでどうにか原型を保っている。「DIYできるとかすごいですね、コウノさん」とこの前僕が言ったとき、「セルフリノベじゃわい」と返された。ただ者じゃないと思った。家の外壁も塗れる、左官もできる。
屋根に登って、雨漏りもなおせる。
それだけではない。
スマホも使えるのだ。高校生ぐらいの速度で、文字も打てる。バスに乗る時もスマホでお金を払うらしい。
コウノさんのすごいところをいくつかあげてみる。
SDGsが説明できる。
野菜は5種類ぐらい育てている。
小さい虫の名前も知ってる。
洋服も作れる。そして、オシャレだ。
歌も上手い。コウノさんはお風呂に入るときに歌を歌うことがある。窓が開いている日は、結構聞こえるのだが、めちゃくちゃ上手い。聞き入ってしまうのだ。
なんならスキップもできる。
たまに走ってる。
年齢は82歳だ。
ダメなところが見つからない。
強いて言うなら、笑ったら前歯が3本しかないところ。でもそれが、たまらなくおちゃめなのだ。
コウノさんは毎朝庭の手入れをしている。
その時に僕は、ちょうど出社する。
朝起きるとまずおもうのは、今日もコウノさんに会うのが楽しみということ。
あの、歯のない笑顔を見たくてたまらない。
僕は28歳で、1年前にここに引っ越してきた。
ここに住み始めて半年したあたりから、コウノさんのことが気になって仕方ないようになった。
この気持ちはなんなのだろうか。
僕だって、友達はいる。
今日は金曜日。大学のときの友達2人と焼き鳥を食べにいく。
お察しの通り、彼女はいない。
仕事終わり、駅で待ち合わせた。
僕がつくと、ユウスケが先にいていた。2人でまっているとユウタも来た。ちなみに僕の名前はユウキで、頭文字のユウが3人とも「裕」というだけで、仲良くなった。大学での出会いなんてそんなものだろう。
焼き鳥屋につきビール頼む。
金曜日のビールは美味い。いや、焼き鳥屋のビールは美味い。いや、友達と飲むビールが美味い。
「ちょっと報告があって」とひとくち飲むなりユウスケが言った。
「何?」僕とユウタが言った。
「結婚します」と言ったユウスケの顔は、満足と後悔が入り混じっている顔をしていた。
「おめでとう」「おーまじで」が飛び交う。
「いやー、ついに?やっと?しちゃいますね」と言った顔は、やっぱり幸せそうだった。
「何年付き合ってたっけ?」
「4年だな。彼女一個上でさ、30見えてきた途端に、圧がすごくて」
「それはもう、仕方ないな」と言っては見たけど、上から目線なことが少し恥ずかしくなる。
「俺はまだ結婚したくないなー」とユウタが言った。ユウタは2個年下の彼女と3ヶ月前に別れた。彼女の浮気だった。
僕は、ちょうど1年前に3年付き合って彼女と別れた。転勤が決まって報告した1週間後に、突然別れようと言われた。理由はあまりにつまらなくて、覚えていない。
適当に頼んだ、焼き鳥やだし巻き、ポテトサラダなとが次々にやってきた。
だし巻きをみるとコウノさんの顔が浮かんだ。コウノさんの鰻巻きが食べたいなと思った。
「ユウスケの彼女って、どんな感じなの?」とユウタが聞く。
「年上だし、家のこととかもなんでもやってくれるし、結婚もありかなーって」「それより、お前らなんかないの?」
「俺は一旦女はいいかなー。今はあの相棒がいるし」
「バイクねーー」とユウスケと僕は目を合わせて言った。
「ユウキは?」
「僕?なんか気になってる人はいる」
「おーーー」今度はユウスケとユウタが目を合わせて言った。
「どんな人?」
「なんか、頭よくて、たまに作ってくれる料理も美味くて、チーズケーキとかおはぎも作れるんだよね」
「何それ、めっちゃおもしろいじゃん」
「うん、DIY女子っていうの?家とかもなおせるんだよね。あと歌も上手い。」
「すごいな、その子」少し酔いのまわったユウタが、鶏皮を食べながら言った。
「それって付き合ってないの?」ユウスケが言った。
「うん、なんかそんな気持ちにはならないんだよね」
「お前、贅沢すぎなー」ユウタの顔はまぁまぁ赤かった。
「そうなのかなー」と僕は言った。この気持ちはなんなんだろう。
2人には、1番大事なことは言わなかった。
言えなかった。いや、なんとなく言いたくなかった。
終電近くまで飲んで、2人と別れた。
「また結婚式の案内送るわー」とユウスケは言っていた。
土曜日の朝、チャイムがなった。
「おはようございます」寝起きのまま、玄関を開ける。
「おはようございます。昨日遅かったみたいね、お酒でも飲んだんじゃないかと思って、これ、ハチミツレモン」いつものタッパにたっぷりのレモンの薄切りが浮かんでいた。
「ありがとうございます、嬉しいです」身体の内側から、嬉しい気持ちが湧いてきた。
「かまわないよ、ほな」と言って目の前の家に帰っていった。
パジャマに裸足に寝癖にハチミツレモン。玄関の鏡にうつる、28歳の自分と目が合う。ため息しか出なかった。
同じような日々が流れて、清々しい秋の空は消え、どんよりとした冬の空になっていった。
街では懲りもせず、クリスマスの準備が行われ始めていた。
相変わらず僕には彼女ができずに、おばあちゃんの歯のない笑顔を求める日々が続いていた。この気持ちに名前をつけたいと思った。恋愛とは違う、この愛おしい感情に。
12月24日、仕事を終えていつも通り家に帰った。街はソワソワしていて、少し腹が立った。もうすぐ家だ、と思ったとき、目の前にコウノさんが来た。
「今日もいつも通りの時間かいね、嫌じゃなかったら、チキン食べていかんね?」
なんてスマートな誘い方なんだと感心してしまった。なんの無駄も、なんのいやらしさもない。実に自然で、優しい誘い方。
「嫌なわけないです。食べたいです。チキン」
ソワソワした街に対するイライラはどこかへ消えてしまっていた。クリスマスに食べるあのチキンのカタチだけが頭の中に浮かんだ。
コウノさんの家に初めて入った。
アンティークの家具が、収まりよく佇んでいて、とても洗練されていた。懐かしい気持ちもした。
机の上には、頭に浮かんだまんまのチキンがドンっと置かれていた。サラダや、シチュー、パンなども洒落た器に入れられており、まるで絵本に出てくるような演出だった。
「コウノさん、これ、すごいですね。僕が帰って来なかったらどうしてたんですか?」
「彼女もおらんに、帰ってくるに決まっとるよ」
歯のない笑顔で言った。それを見て、僕も笑った。
シャンパンも用意されていた。
2人で乾杯をした。
甲高い音が、聖なる夜に響き渡った。
サラダを食べ、チキンにかぶりつく。上手かった。ワインも用意されていて、結構いい感じに酔っ払ってしまった。
「コウノさんって、なんで僕に優しいしてくれるんですか?」常々思っていたのになぜか聞けなかったことが、お酒の力で半無意識的に聞けてしまった。
「推してるんよ、あんたのこと」
「はい?」
「だかや、推してるんよ。これ、推し活」
参りました、と思った。と同時に、お腹の底から笑えてきた。
そして、スッキリした。酔いも覚めた。
僕のこの気持ちは、『推し』だったんだ。あの歯のない笑顔は、ファンサービスだったんだ。僕は、82歳のおばあちゃんを推してたんだ。なんて、愛おしい世の中なんだ。
「じゃあ僕たち、推しあってますね」
「お相撲さんか」と言って、また歯のない笑顔を見せてくれた。ツッコミもできるのか、とまたポイントが上がる。
「推し活最高!」と僕は言った。
コウノさんは僕を見て、歯のない笑顔を見せてくれた。
推しからのクリスマスプレゼントは、歯のない笑顔のファンサービスだった。
コウノさんと僕 田中時凪 @tanakatokina
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