光の航路 〜君がくれた空の色〜

tommynya

第1話 憧れの空

 春の陽射しが教室を柔らかく照らす午前。高校3年C組の窓際で、和泉彩葉イズミイロハは薄いブルーのノートに英語の単語を丁寧に書き込んでいた。窓の外を飛行機雲が横切るたび、彼女の瞳は空を追いかける。隣の席に座る友人・莉緒リオが眠そうな顔で呟く。


「イロハ、また朝から勉強?すごいね、私なんて起きるのがやっとだよ。その情熱、分けてほしい」


 イロハは少し照れながら笑顔でノートを見せる。


「ねえ、昨日の『世界の空港特集』って番組見た?CAさんたちがめちゃくちゃかっこよかったよね。思わずメモしちゃった」


 小さなノートには、接客フレーズが英語と日本語でびっしり。表紙には『CA合格への道』と丁寧な文字で書かれている。空を飛び、世界中の人と出会う客室乗務員。幼い頃からの夢は、年月を経るごとに色濃くなるばかりだった。


 イロハは空の青さに心を奪われる。幼い頃の初めての飛行機で怯えるイロハに、CAが優しく微笑みかけ「空は怖くないよ。見て、あの雲の海、素敵でしょう?」と言って窓際へ導いてくれた。その時の安心感と感動が、今も胸に焼きついている。「私もあの人みたいになりたい」とその時誓ったのだ。


「見たよ!特にファーストクラスのサービスのところは必見だったね。イロハがCAになるの私も楽しみにしているからね」


「うん、ありがとう莉緒。今日も頑張るぞ」


 小さく自分に言い聞かせながら、ロングヘアの黒髪を後ろにまとめた。身長は平均的だが、姿勢の良さが彼女の凛とした、清楚な印象を強めている。空を見上げる瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


 その時、教室のドアが開き、校長が入って来る。普段は授業に来ることのない校長の姿に、静まり返る生徒達。


「皆さん、お知らせがあります」


 校長は眼鏡を直しながら、重々しい声で話し始めた。


「佐藤先生が昨日の夕方、交通事故に遭ってしまい、入院することになりました。命に別状はありませんが、しばらくの間休職されることになります」


 クラスメイトたちからどよめきが起こる。佐藤先生は担任で担当科目は英語。厳しいながらも生徒思いの先生だった。


「そこで急遽、代わりの先生を招聘することになりました。今日から皆さんの担任を務める湊先生です」


 そう言って校長が手で示す方向から、若い男性教師が現れる。まだ25歳の湊は、去年から講師として勤務しながら、正式な教員免許を取得したばかりだった。


 整った顔立ち、背が高く、凛とした姿勢。知的でクールな表情の奥に、優しさと芯の強さを感じさせる瞳。女性徒の憧れの眼差しを、一瞬で独り占めにする。


「はじめまして。湊悠真ミナトユウマと申します。英語を担当します。佐藤先生が戻られるまで、皆さんと一緒に過ごしたいと思います。英語教育の知識を活かして、頑張りますので、よろしくお願いします」


 すっと背筋の伸びた姿勢と、落ちついたトーンの声。その真摯な眼差しと優しげな表情に、イロハは思わずドキリとする。若いけれどどこか頼りがいのある雰囲気を持っていた。


「わっ、イケメン...」


 思わず小さく呟いてしまったイロハを、隣の田中蒼タナカアオイがニヤニヤしながら肘でつつく。蒼は彼女の幼馴染で子供の頃からの付き合いだ。繊細な感性と鋭い観察眼を持つ彼は、自分がゲイである事を誰にも打ち明けていない。しかし、親友のイロハだけがその秘密を知っていた。


「イロハ、顔赤いぞ?初めて見る顔だな」


 とからかわれ、慌てて手のひらで頬を覆う。


「うるさいな...」


 と小声で返しながらも、イロハの視線は自然と湊に向かう。


「俺もめっちゃタイプだわwあの冷静そうで、少し緊張している感じ、乱したくなるw」


 と蒼が小声で囁く。


「何言ってんの」


 とイロハが軽く肩をすくめる。その瞬間、湊の視線に気づき、イロハは息が一瞬止まった。湊は二人のやりとりを見て、少し眉を上げ、イロハと目が合うとかすかに微笑む。


 周囲からは、仲が良すぎる蒼とイロハの二人が、付き合っていると思われがちで、新任の湊にも同じように見えているようだった。


――✲――✲――✲――✲――✲――


 放課後、イロハがノートを片付けていると、後ろから静かな足音が近づく。


「和泉さん、CAを目指してるの?」


 振り返ると、湊が立っていた。手に持ったノートを見たらしい。イロハが慌てて頷くと、湊は穏やかな笑顔を見せる。


「夢に向かう姿、素敵だよ。努力は必ず実を結ぶから」


 単純な励ましの言葉なのに、イロハの胸が、初めて知る熱さで満たされた。窓から差し込む夕日が二人の間に淡い光の橋を架けるように見える。


 その様子を、教室の後ろからじっと見つめる視線。学年一の美人と名高い麗華だ。留学経験があり、帰国子女として流暢な英語を話すことでも有名だった。麗華はイロハを見て、こっそりと不満げな表情を浮かべる。


「湊先生は、私が絶対に落とすんだから」


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