In those days, once more.

至璃依生

In those days, once more.


 

 この夢を見たのは、これで九回目だった。


 次、見ることがあれば、もう十回目。それが俺にとって、人生最後の夢となる。


 現状を端的に言おう。俺は今、「悪霊」に絶賛呪われている最中で、どうにもあと一回、その悪霊が見せる「夢」を見てしまったら、俺は殺されてしまうそうだ。


 まぁでも正直、そこら辺はどうだって良い。


 だって俺が死ぬ事に関しては、本当に思うところは何もないんだ。


 ただ俺は、最後の最後まで、悪霊――――「彼女」に、俺が伝えたいことを伝えられれば、それで良い。



                  §



 悪霊。その子は夢の中に現れる。俺にとってのそれは、一人の女の子だった。


 その子に呪われたなら、彼女は夢を見せてくる。それは決まって「その夢の中で、その子に殺される」という内容で、俺の場合の最初の夢は、時刻は夜で、高層ビルの屋上から突き落とされて、転落死する夢だった。


 眼下には、夜の街明かりが見える。一瞬、少し強い風が吹いた。男にしては目隠れできるほどに長めの俺の髪は、ばたばたと荒らされ、ちょっとくしゃくしゃになった。


 それでも俺は、そんな風に足をすくわれることもなく、柵も何も無いビルの淵に立って、愛用の眼鏡を軽くかけ直した後、ポケットに手を突っ込んで、ただ遠くを眺めていた。だけど、そこでぱっと後ろを振り返ってみる。そこには、悪霊たる彼女がいた。こっちとばっちり目があって、俺を高みから突き落とそうとして伸ばしていた片腕が、途中で止まった。


 ――――姿。冬用のもので、初夏が始まってる現在六月半ばに見るような姿ではない。特徴的な黒髪のロングヘアーは、梳ることも散髪することもなくボサボサの伸び放題で、ぎぃぃと不気味に口端を釣り上げて笑うその口元以外は、その長ったらしい髪の毛で伺うことは出来ない。


 もったいないなぁ、と思った。


 だって美人だったもん、この子。


 だから、まず第一回目は、こうした。


 俺はしばらくその子を見た後、両手で、その子の顔にかかってる長い髪の毛を、パサパサと両脇に払う。なかなか毛量があったので、悪いけど両耳に引っ掛ける形で、顔を露出してもらう。


 すれば、その髪に隠されていた場所に現れた表情は、まさに悪霊だった。典型的な、悪という悪に歪まされてしまった悪魔の笑みが、そこにあった。


 ほらやっぱり。元の顔はこんなにも美人さん。


 人間、怒っていたりすると人が変わったかのように鬼のような顔になるし、疲れているとこれまた同じく別人のような顔になるし、また何らかの怖いことしてやろうと企んでいると、当然だが「そういう怖い顔」になる。


 この子も負の感情に酷く飲まれてしまって、こんな悪霊に成ってしまった。でも、この子だって理不尽な目に遭って歪んでしまわなければ、元は色んな人に自慢できるほどすっごい美人だったんだ。その事を褒めると、馬鹿じゃないの、と照れくさそうに笑う彼女をからかうのが、俺は好きだった。


 だから。


 「もう、そんな顔しなくて良いよ。君がたくさん苦しんでたのは、嫌になるくらい知ってるから」


 また一房、髪が垂れてきてしまったので、それをもう一度直しながら、俺は言う。


「俺も殺すんだろ。大丈夫、俺は絶対に逃げないから。だから、そんなずっと辛い状態のままでなんて、いなくて良い」 


 それが俺の最初の遺言となった。その素直な想いを言い終えた直後に、彼女は俺を突き落とした。さっきまで立っていた場所が、綺麗な星空が、どんどん遠くなっていく。


 数秒後。俺の体が、音を立てて地面に叩きつけられた。意識も吹っ飛び、感覚が途絶え、視界が真っ暗になる。


 でも、そんな静寂の真っ暗闇の世界の中で、あと九回、あと九回、と、くすくすほくそ笑む、彼女の声が遠巻きに聞こえていた。



                  §



 二回目の夢、また時間は深夜帯。俺は、何処かの公園のブランコに座っていた。そこで死に方は何となく分かった。心臓発作とか、何かの突発的な病気で死ぬんだろう。


「隣、空いてるから座っていいよ」


 だから俺は、ブランコに座りながら、見上げるように後ろを振り向いた。彼女は相変わらずこっちを悪魔の笑みで見下ろしていたが、それでも俺は彼女に片方のブランコに座ることを勧めた。でも、彼女は座らなかった。


「小さい頃、二人乗りとかしたっけね。君が勢いつけすぎて、俺達ひっくり返りそうだったよな」


 じゃあ、と思って、俺は少し体をずらした。小さい頃、俺が前に座って、彼女が後ろに立って乗って。二人だけだったけど、凄い楽しかったのを覚えてる。 


「――――うん、俺、覚えてるよ。楽しかった」


 瞬間、心臓が激しく高鳴った。一回だけの、爆発したような鼓動。


 俺はそのままブランコから崩れ落ち、一切の痙攣も起こさず、そのまま死に絶えた。


 すれば、またしても静寂の世界の中で、あと八回、あと八回、と、くすくすほくそ笑む彼女の声が、今度は俺の耳元で囁かれた。



                 §



 それで、三回目の夢。時刻は言わずもがな深夜。俺は踏切の中に立っていた。もちろん、今は終電の時間帯だから、電車など来るわけ無い。でもそれは、現実世界でならの話。


「なぁ。君がもう、俺の事とか全部忘れてしまったことは、分かっちゃいるんだ。そんな姿になっちゃったからだろ?」


 あぁ、よく分かる。今度は電車で轢死かな。カンカンカンと、あの踏切の音が鳴り、赤いランプが点く。ゆっくりと遮断機が降りてくる。


「でも言わせてくれよ。今から言うこともさ、君には何を言ってるのかさっぱり分からないと思うけど――――俺な。実は前にも言ったことあるんだけどさ、俺は人生の中で、君と出逢えた事は、本当に良かったって思ってるよ。それは、今でもずっと同じだ」


 遠くから、速度を落とさず、この駅を通過しようとする電車の走る音が聞こえてくる。


「それが例え、他の奴らが全員、君のことを理不尽に虐めるくらい嫌っても、俺の心は変わらない」


 そして、完全に降りきった遮断機の向こう。あの子はいつの間にか、いつものように笑いながら、そこに立っていた。


「出逢ってくれて、ありがとう」


 しかし次の瞬間には、俺の意識が途絶えていた。あぁ、けたたましい音が側まで聞こえてきたなぁと思ったら、もう視界は暗闇だった。

 

 電車が、踏切を最後まで走り去っただろう頃合いに、またあの声がする。


 あと七回。あと七回。


 彼女の仄かに愉快げな声が、暗闇の中にひそひそと聞こえる。

                


                  §



 この夢が残り四回目になったあたりのころだった。


 ここまでずっと悪霊として呪い殺してきた彼女に、俺は、思いの丈をぶつけた。


「大好きです。君が生きてたときにも言ったけど覚えてないよね。うん、だからもう一度言うと、やっぱり俺は――――貴方のことが、心の底から大好きです」


 端的に伝えた。彼女の見せる夢は、大体が俺をすぐ殺して終わりなものだから、こっちも効率的に、自分の気持ちを最大限かつ、時間内に伝えられるよう、まさにシンプルイズベストで、彼女にもう一度、愛の告白をした。この時、彼女にはちゃんと面と向かって伝えた。


 すれば、次の瞬間には俺は死んでいた。この頃あたりになると、死に方が突飛になっていた。


 今日の俺の死に方は、夜の暗闇の中、俺は閉園した遊園地に居たのだが、その時、側に観覧車があった。そのゴンドラの一つが、何故か頭上から降ってきた。それに潰された形になる。圧死だった。


 そして始まる。通例の、彼女のカウントダウン。


 あと三回、あと三回。


 そうか。数えれば、あと彼女と逢えるのは、もう残り三回か。


 もうそれだけしかないのか。俺の最愛の人と逢える時は。


 あぁ。あんまり意識しないよう頑張ってたけど、でもやっぱり無理だなこれ。


 なんでだよ。こんなのってないだろう。大好きな人とこんな形で別れるしかないって、嘘だろう。それ以外に何か出来ないのかよ、なぁ。


 ずっと逢いたいよ。いつもみたいに、ずっとそばに居たかったよ。


 さよならなんて、したくないよ、俺は。



                  §

 


 彼女の言う通り、残り三回。もうそろそろ、俺は本当に死ぬ。


 俺は、なんとなしに歩いていた。夢に出てきた景色が、自分の家の近くだったからだ。だから、家にでも帰ろうか。どうせその途中で彼女が待っているに違いないから。と、帰路についていた。


 すれば曲がり角の先に、彼女が立っていた。伸び放題の長髪、それに隠された表情。だけど少しだけ垣間見える、あの口元。間違いなく、彼女だった。


 俺は、足が止まってしまった。だけど、彼女は歩き出す。靴音を鳴らしながら、こちらに近づいてくる。


 今日の俺は、もうこれ以上のことが出来なかった。もちろん言いたいこと、伝えたいことは、数え切れないほど沢山あった。でも、あと彼女と話せるのは三回だけ、もうそれだけしか無理なんだと意識してしまった瞬間、俺は、こうも何もできなくなってしまった。


 それを、眼の前までやってきた彼女は。


 あと一回。


 と、俯きながら、どこかいつもより嬉しさを抑えきれてない声でそう呟くと、俺を、夢の中で呪い殺した。


 単純に、脳髄を破裂させただけだ。でももちろん、これは夢の中での殺害。俺の本当の死は、十回目の夢の後に待っている。


 そうか。もう次が最後なんだよな。


 ひどい話だね。なんでただ大好きな彼女と出逢うだけなのに、もうすぐ最後なんてものが待っているのかな。


 時間なんて、明日なんて言葉があるくらいだから、ずっと続いていくものだろうに。俺達はもう、残されたものとしか用意されていない。おかしな話だ、俺はそんな明日に、もっと続いてほしいと願っていた。何でこんな事を願わなきゃいけないんだ。明日はいつでもやってくるものだろうが。


 いやぁ、どう考えてもおかしいよなぁ。片手の指を折っていけば簡単に数え切れるものじゃないくらい、あの子への到底計り知れない想いが、俺の中には沢山あるんだよ。でも夢から目を覚ました俺は、「あと一回」なんて言葉が、他の想いを押しのけては、何度も一番上に出てきてしまう。


 それは何の繋がりもない言葉。文字通りの意味しか持たない、意味のない一言。


 だったら、これは違う。俺は何度も頭を振って、大事にしたいのはそんな「今」じゃなくて、残されたそんな「あと一回」だと言い聞かせる。そうだ、そんな残された日を大事にしなきゃいけない。俺は大切に言葉を探しては、選んでいった。


 でも皮肉かな。そんな言葉を探していけば探していくほど、俺は結果的に、大切な言葉達を捨てていっていた。あぁ見つけた、じゃあ選んで、と選別していく中で、なんでこれを全部あの子に渡せないんだと、自分の身体の小ささに思い知るものがあった。もっと色んなものを持てるような大きな身体だったら、何か違ったのかもな。


 あぁ。今も、大事な想いを手に取ってみて、でもこれは置いていこうとして。それを「だって、しょうがないじゃないか」と自分に言い聞かせて、でもそんな言葉で諦めなきゃいけないことに惨めさを感じて。 

 

 俺は、それでも最後にふさわしい一言を探していく。もうすぐお別れなんだからと、そんな気持ちで探し続ける。


 見つけたくないけど、見つけなきゃ。あの子との夜は、あと一度。

 

 さぁ最後だ。俺はあの子に、なにを言おうか。 



                   §



 十一月某日。A県▓▓市▓▓町、県立▓▓▓▓高等学校に通う女子生徒が、一方的な虐めを苦に自殺。


 その後、当該の高等学校に通う生徒の内、複数人の生徒が、自殺、及び事件、事故に巻き込まれ死亡。いずれの生徒も女子生徒への日常的な虐めに加担していたと思われ、市教育委員会による調査が進められていた最中であった。


 その内、不安障害などの精神的不調に陥っていた数人の学生(いずれも死亡)が、「自殺したはずの女子学生の姿を、何度も夢で見る」という訴えを周囲に相談しており、「無念のうちに死んだ女子学生が悪霊となり、自分たちに復讐しに回っている」などと、自らの精神状態を訴える遺書を遺した生徒も見受けられた。

 

 このことがSNSなどではセンセーショナルに取り上げられ、今も尚、悪霊の呪い、女子学生の祟りなどと、一部では過激な盛り上がりを見せている。



                  §



 十回目の夢を見る。


 その場所は、俺が見た最初の夢である、投身自殺をした場所と同じだった。違うところがあるとすれば、それはビルの屋上ではなく、俺が飛び降りて死んで、ぐちゃっと潰れた死体となった場所、つまり現場となった地面であるというところ。雨上がりなのか、濡れた地面が月の光を反射して、仄かに蒼く綺麗な道なりになっていたところ。


 暗闇の中から、靴音をこつん、こつんと鳴らす音が聞こえてきた。俺はその方向へ振り向いて、俺のもとに近づいてくる影を見て、場違いな想いとは承知しているが、それでも嬉しくなってしまった。

 

 最後、靴音がこつんと鳴る。その場には月明かりがあり、彼女の表情がよく見えた。夢の中だから、照明の具合はいい感じに調整されるんだろう。


 そこに現れた少女の顔は、人の顔だった。あの悪魔の笑顔は完全になくなり、あの長ったらしい髪の毛も、表情が見える程に綺麗に整えられていた。謂わばそこには、俺が知っている、本来の彼女が立っていた。


 生前の、綺麗な彼女がそこに居た。


「これで終わりだな」


 これに彼女は、答えも、頷きもしない。


「――――あぁ、やっぱダメだ、無理だ。こんな短い夢の世界じゃあさ、言いたいことがありすぎて、逆に何も言えやしない」


 何かの言葉にならない一言ですら、彼女は言わない。


「俺が君に想うこと全部、大事なものだからな。大好きだって前に言ったけど、やっぱりそんな言葉だけじゃ足りなさすぎるよ」


 でも、この言葉を聞いただろう彼女は、いつの間にかもう眼の前にいて、その細い両腕で俺の首に掴みかかり、そのまま強く締め始めていた。


 彼女は俯きながら、首をより一層、力強く締め続けてくる。すれば、彼女の髪の毛が伸び始めた。その俯く顔から、くすくすと忍び笑うあの声が、聞こえ始めた。


「貴方、最初から何を喋ってるの。これから殺されるっていうのに、ずっと私に話し続けるなんて、馬鹿みたいで面白かったよ」


 彼女の顔が、ゆっくりと上がる。


「本当、面白い。ねぇ、貴方が言ってたこと全部、ちゃんと聞こえてたよ。だから尚更意味が全く分からなくて。聞いてて楽しかった」


 悪魔の笑顔。


「貴方は誰。とても面白い人。殺しがいがある。ねぇ死んで。殺してあげる」


 悪霊。それは、呪い、祟り、災いを齎す、害ある存在。


 そこに、自我は有って無いようなもの。彼女の場合は、ただ、非業の死を遂げ、恨み憎しみを抱いて、そのままの形で世の中を彷徨う。


 たとえ恨みを全て晴らしたとしても、終わりはない。最悪、関係ない人も巻き込んで、どんどんその悪性は肥大化していく。それはいつしか、なぜ悪霊に成ったのかという本来の目的すら忘れ、ただ悪を振りまくその快楽に溺れていってしまうという、悲しい結末を迎える。


「死んで、死んで、死んで――――あぁさようなら。心から殺したくなるほど、たくさんの笑顔をくれた人」


 そして彼女は、俺の首の骨を折った。


 十回目。俺はとうとう、本当の死に至る。


 消えゆく意識の中、彼女の、悪霊の狂気に満ちた笑い声だけが、ずっと聞こえてくる。


 ずっと、ずっと止まらない。その叫ぶような声には、どこまでも終わりがなかった。


 もう、俺が知っている彼女ではないのは、もちろん最初から分かっていた。


 こんな俺の恋人になってくれたあの頃にはもう戻れないことだって、そんなこと、他の誰よりも分かっていた。

 

 だけど俺は、夢を望んだ。再び彼女と出逢える、十の夢を。


 彼女が最後に死んだこの場所で、もう一度名前を呼んで、君に会いたいと言ったら、すぐに俺を見つけて、呪ってくれた。


 嬉しかった。それが例え、変わり果てた姿であっても。もうどうしようもないほど、歪んでしまっていたとしても。


「――――――」


 これで、俺の話は終わり。


 ただ、自ら死を選んでしまった恋人に、結局、何も言えなかった男の末路。ただそれだけの話。それだけなのに、ここまで長くなってゴメンね。


 だからこれで最後にする。もしも仮にこれを見て、彼女と同じように死を選ぼうとする子がいたら、是非、聞いて貰いたい言葉がある。今は難しければ頭の片隅にでも良いから、覚えておいてくれると嬉しいな。




 






 止めてくれ。


 君を見てくれている人は、ちゃんと居るから。


 今は居なくても、未来にはちゃんと、君の側に寄り添ってくれる人を見つけることが出来るから。


 俺の彼女のようには、絶対にならないでくれ。


 ――――頼む。


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