私のお兄ちゃん

月影澪央

第1話

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 夢……というか、何というか。映像が浮かぶわけじゃない。


 真っ暗闇の中、「お兄ちゃんだよ」という高い声が聞こえる。


 それは昔から、熱が出たときに見る夢だった。でも今は、熱が出ていないにもかかわらず、頻繁にその夢を見る。この一週間で9回目だ。こんなのおかしい。


 私にお兄ちゃんはいない。欲しいと思ったこともない。今は一人っ子で、最近になって一人っ子の良さを知ってきたところだ。


 でも、お兄ちゃんと呼ばれるような生命は生まれていたかもしれない。


 私が生まれるちょうど一年前に死んでしまった上の子がいる。まだ性別もわからないような、形もないようなくらいだった。もし生まれていれば、私は生まれていない。だから、私とその子が共存するようなことはあり得ない。だからその子が自分の兄だと勝手に思っているのかもしれないと思ったが、私はそれを聞くより前からこの夢を見ていた。なのでそれは違う。


 正直なことを言うと、正直それが何なのかなんていうのには興味ない。


 それに今熱があるわけでもないし、まだ深夜3時だ。そう思ってもう一度眠りについた。



  ◇  ◇  ◇



「うー?」

「そうよ。あなたの妹。シャーロットよ」

「あーっ」

「シャーロット、お兄ちゃんだよ」


 聞き覚えのある声だ。


 あの夢の声。10回目か。


 またか……と思って目を開く。


 そこで見えたのは知らない天井だった。……ってか、天井高すぎる。


 そして私の顔を覗き込む小さな男の子とその母親らしき人。


 触り心地のいい布にくるまれ、誰かに抱きかかえられているような感覚を感じる。


 それからしばらくよくわからないことが続いたが、どうやら私はどこかの国の王女として生まれたらしい。上に生後1年の兄がいて、王位を継承するわけでもないけど王族としての人生を歩む。といった人生を送るのだろう。


 また、あの夢で唯一出てきたあの声は、母である王妃の声に間違いはなかった。ずっと兄の声だと思っていたが、そういえば母親かもしれないと思ったことはなかった。


 もしかしたら、あの夢が自分をこの世界に呼び寄せたのかもしれない、なんて異世界転生じみたことを考えて、なぜかこの状況に納得していた。


 それから十数年。私はある一国の王族としての人生を送った。その国の名前は聞いたこともなかったので、やっぱり異世界なんだと思いながら、もうそんなことを忘れるほど人生を謳歌していた。


 そしてこの日は王族や貴族が通う学院の卒業パーティーの日だった。


 私と兄は学年で言ったら同じ年だ。だからこの卒業パーティーはより一層警備が厳しくなっているらしかった。


「ですので、ご安心ください。そして、パーティーをお楽しみください」


 警備班の代表が私とお兄ちゃんにそう言った。


「馬車が到着しましたらお迎えに上がりますので、それまでこちらでお待ちください」


 そう言ってその男は部屋を出て行った。でも別に部屋は二人きりではない。たくさんのメイドや執事が準備をしたり、お茶を入れたりしている。


 パーティーには大抵の人は恋人やいいなずけと一緒に参加する。私もお兄ちゃんも例外なく、幼馴染かついいなずけで父上の側近の子孫と共に参加する予定だった。


 そして、学院のしきたりとして、その時は男側の家から馬車を出すのが当たり前だが、さすがに皇太子であるお兄ちゃんが色々と移動するわけにはいかないので、例外として馬車は王家のものを使い、先に向こうの屋敷に行ってから迎えに来ることになったらしい。


「シャーロット。アーサーとはどうなんだ?」


 アーサーとは、私のいいなずけで恋人で幼馴染で社会的にはかなり上位の貴族家の五男、アーサー・レーブンベルクのことだ。


「まあ、そこそこ。優しいし、かっこいいし、私のことを思ってくれる」

「僕が知ってるアーサーじゃないみたいだな」

「多分、私以外だとそんな感じ。不愛想で、厳しくて、怖い。優秀だけどね。でも、私の前では違う。ツンデレって言うのかな」

「ツンデレ?」

「言葉の通り。ツンツンしてて攻撃的な感じの時と、そうじゃなくて甘えてきたりする時があって、その差にときめいちゃうっていう人もいるの。簡単に言えば、そういう性格があるってこと」

「なるほど……シャーロットはそのツンデレが好きなのか?」

「別にそういうわけじゃない。アーサーだから好きなの」


 思い切ってそんなことを言ってしまった。でもそれは事実だ。王族の結婚相手というだけあって、顔が良くて優秀な人だ。そしてお互いに、一緒にいるうちに好きになっていった。


「いいなずけが好きなんて、羨ましいな」

「兄上はそうじゃないのですか?」

「まあ……ね。国民全員が認めるような人じゃないといけないし、他にいないから。そのうち好きになるさ」


 そう言いながら、お兄ちゃんは目で合図して人払いをした。これは何か二人だけで話をしたいという合図だ。きっと他の人には聞かせられないくらいの悪口でも言いたいのだろう。


「どうしたの? お兄ちゃん」

「俺、本当はシャーロットのことが好きなんだ。この先の人生ずっと一緒にいたいってくらい好きだ」

「えっ? でも……私とお兄ちゃんは、恋できない。ただでさえ王族は恋できないし、自分の意思で相手を決められないのに……」

「だから堪えているところだ。王族でなければ、兄妹でも手を出してた。それくらい好きだ」

「嬉しいよ。私も、お兄ちゃんのことは好き。でも……」

「ソフィアに申し訳ないって気持ちがあるから、今耐えている」

「言っちゃったら意味ないけどね」


 ソフィアというのが、お兄ちゃんのいいなずけである次期王妃、ソフィア・アルマロストルグだ。


 私だって、アーサーよりお兄ちゃんの方が長くの時を過ごして、アーサーより一緒にいて楽だと思っている。これほど気心知れた相手はいないだろう。


「まあでも、他の貴族に比べたらまだ兄妹で会う機会がある。それも頻繁に」

「でも……」

「じゃあお兄ちゃんはルールとかしきたりとかを無視してでもっていうの?」

「そうは……言わない」


 お兄ちゃんがそう言う人でよかった。王族に自由や自我は許されないというのはもう十分に分かっている。


「確かに今よりは会えなくなるけど、ちゃんと会いに来るからさ。ね?」

「うん……ああ、王族って辛い」

「そうだよね。周りがそれなりに自由にやってるとなると、そう思うのもわかる」


 周りの貴族にだっていいなずけがいたりはするが、7割くらいの人は自然に自分で自分に見合う人と付き合うことを決めて、恋愛に発展しても反対されないような人間関係を作っている。誰と付き合うかも、誰を好きになるかも、誰と結婚するかも自由だ。


 その時、誰かが扉をノックする音がした。


「来たか……シャーロット、せめて俺はお前を守る。だから、俺から見えない場所へ行かないでくれ」


 お兄ちゃんはそう言った後にどうぞ、と言って扉の外にいる人物を招き入れた。

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私のお兄ちゃん 月影澪央 @reo_neko

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