「太陽が眩しすぎる」
温かいコーヒーと共にブリヌイを味わいながら、男達は互いの事情を説明した。
先に話をしたのはニコラスだった。彼は5年前に政府命令で破壊され遺棄されたゲシュターデ地方ギラ市の歴史遺産「ギラの聖柱」について、「帝国国立博物館の依頼で」欠片を回収しているとだけ喋った。その背後の、歴史遺産破壊及び自治権の剥奪に反発するゲシュターデ地方人への宥和のための破片回収作業という政府の認識については言及しなかった。これから他国、とりわけクラシヴィ帝国に敵対しうる大国に移住し社交界に顔を出す予定の人間に報せることではないと判断したためだ。
また、ニコラスの身に起きている不可解な超常現象にも言及する必要は無いだろう。彼が羽を見ている様を傍で目撃しない限り信じられない話であり、余計な当惑を招くだけだ。
「探している物は、鳥の刻まれた石の破片だ。『天使長降臨の証』という大層な謂れはあるが、暗闇の中で光ったりも天使の声が聞こえたりもしない。実物に近づいてよく見なければそれとわかるものではない。廃棄を担当した役人の一人がヴァルナの港付近に棄てたと言っていたため、我々はここに来た次第だ」
それを聞いたゴリニツィン伯爵はブリヌイを切り分ける手を止め、ニコラスを見つめた。そして嬉しそうな様子で言った。
「どうやら、その件では私から君に手助けができそうだ。我々が乗船予定の『ヘルガ号』の船長が、『幸運の鳥の石』を数年前に拾ったと吹聴して回っているようなのだ。彼の船は、その石を積んでいる限り嵐に遭わないと言っている。一度見せてもらい、買い取ることも可能なのではないか。予算が足りなければ私が出そう」
ゴリニツィンの話は、まさしく渡りに船であった。ニコラスは友に感謝した。欠片の持ち主も判明した以上、後は彼の助言通りに買い取るだけだ。
「ゴリニツィン伯爵、君の耳聡さには実に助けられてばかりだ。それが最善の方法に違いない。そうと決まれば早速船長に話をつけよう。いやはや、君の折角の旅立ちの日に手を煩わせて済まなかった。先程船員と揉めていたようだが、私に協力できることはあるか?」
ニコラスが上機嫌で捲し立てると、ゴリニツィンは一瞬嘲るような表情を浮かべた。しかし直ちに微笑を戻した。
「いいや、私の方こそ君に感謝しなければならないだろうよ。お陰で私はまた一つの勝負に勝てるのだからね。船員の件については、大した問題でもないのだ。3年前の戦争中の海難事故を起因として、ルビオン王国の民衆はクラシヴィ帝国への嫌悪感を抱いているそうだな。それで、向こうの運送会社を信用できないわけではないが、如何にもクラシヴィ人らしい『ゴリニツィン』の名で積荷を送ることに懸念が芽生えて所有者名を『ド・ヴィーユ』としたのだが、貨物船での確認手続きではそれが却って仇になったというわけだ。完全に私の不手際だな。君が要件を済ませた後に、船長に落ち着いて説明すれば解決する事だろう」
「成程、よくわかった。ではこの一杯を終えたらもう一度船着き場に向かおうじゃないか」
かくしてとんとん拍子に石片を手に入れる目途が立った。……のだが、隣で黙って話を聞いていたヘルマンは内心で戸惑っていた。上官の友人らしきこの伯爵の目つきが信用ならないのだ。例えるならば牧羊犬のふりをした狐か狼のように思えるのである。上官が重要なことを見落としたまま彼の口車に乗せられていはしないかと、漠然とした不安がある。
しかし、この男と関わるのも石碑の欠片を手に入れるまでだろう。彼らは遠くルビオンへ旅立つのだから、上官はともかく自分が今後関わることはあるまい。ヘルマンはそう結論付けた。
ヘルガ号の船長は、ニコラスからの買取相談にあっさりと応じた。船長曰く、確かに石の力で悪天候に遭う事が減ったと感じているが、思わぬ不都合もあるのだという。
「この石を載せていると、偶船に足を踏み入れた途端に気分が悪くなって乗船を取りやめるお客さんが偶にいるんですよ。去年もビェルクホルムから乗船予定の二人連れのお客様からキャンセルされたんです。その時『ここでは太陽が眩しすぎる』と言っていたように思います。これが頻繁に起きてちゃ堪りませんから、捨てるべきかどうか迷っていたんです。嵐に遭わないといっても、今の船は昔の帆船とは違いますからね」
船長はそう言って、ほくほく顔でニコラスから金を受け取った。そして船内から石を抱えて持って来た。そこにはこれまでと同じく鳥が彫られている。間違いなく「ギラの聖柱」の欠片であった。
こうして重い石はこれまでと同じくヘルマンが抱え、ニコラスは旅行鞄一つで船から降りた。彼らを待っていたゴリニツィンは、待ち遠しかった様子でニコラスと握手した。
「実に助かったよ。これで我々は安心してルビオンに旅立てる」
「そうか、友の役に立てて光栄だよ。君さえよければ、ルビオンからも便りを送ってくれるとありがたい。それでは、お元気で」
握手を返しながら、相変わらず季節を問わず冷たい手だ、とニコラスは思った。ゴリニツィンという男がこの奇妙な手の持ち主であることも、彼との賭博を避けた理由の一つであった。この手から賭博のカードを受け取る時、ニコラスは自分の運勢を吸い取られるような錯覚に陥るのだ。
ニコラスとヘルマンは港に背を向け、駅へ向かった。この後はこれまでどおり、一時保管場所として帝都のニコラスの家に石を置き、次の捜索先について検討することになる。
「これで4個目の石片を回収できたわけだ。想定していたより早く片付いたな。仮に目的の船が出航していたらお手上げだった。ごく近づかなければ鳥の羽根は視えないからな」
「ええ。……どことなく、彼らの行く先に不安がありますがね」
ヘルマンは最後までゴリニツィンへの不信感を捨てられなかった。船長の話では、「ギラの聖柱」の欠片を積んだ船は嵐に遭わなくなったという。近づけば羽根が見える、夢で位置を教えてくれるなど、不可思議な現象はこれまでにもあったが、晴天を呼ぶことの異様さはそれらの比ではない。本当にそうした機能が備わっているならば、最早神の奇跡の一種と呼んでもいいものだ。
ゴリニツィンもその力を感じ取って、船に乗ることを避けたがったのではないか。
(だとしたら、彼は人に成り済ました「なにか」、神を敵とする存在なのでは……)
ヘルマンはそう考えたが、言葉にすれば絵空事のようで、他人に信じてもらえるとは思えない。とりわけ、ゴリニツィンを信用し切っている上官に話すことは到底できなかった。
続・皇帝陛下のバカヤロー!~その船を漕いでゆけ、そっちの石は置いていけ~ ミド @UR-30351ns-Ws
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