おそらくは10回目の正直

舟渡あさひ

誘拐

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


『私を置いてゆくのですか』


 髪の長い女だった。今回は裾の擦り切れたぼろい着物を着ていたが、顔つきはやはり、これまでの8回とよく似ていた。僕を見つめる、諦めの染み付いた目が特に。


 そして、また少し近づいた。前回は時代劇のような格好だったのに。今回はまるで大正時代だ。


『すまない』


 口が勝手に動いた。目の前の女は眉一つ動かさなかった。


『私、あなたを■■■■■■』


 いつもここが聞き取れない。何と言われたのか。


『すまない』


 もう一度口が勝手に動いた。それは自分の声のようにも、よく似た他人の声のようにも聞こえた。


 夢はいつもここで終わる。






 目を覚ますと同時。ベッドの脇の窓が開いた。


フゥ


「ごめん、起こした?」


 風香ふうかは隣に住む幼馴染だった。子どもの頃からよくこうして、窓を伝って侵入してくる。明日からは、「隣に住む」が取れて、こうしてずけずけ押し入られることも無くなるのだろう。


 風香は俺の部屋をぐるりと見渡した。


「段ボールだらけ」


「明日だからな。引っ越し」


「どうすんの? 大学も辞めてさ」


「仕方がない。金もないんだ。給料は低いけど、どうにか仕事は見つけられた。なんとかなるさ」


「そう」


 段ボールを撫でる風香の袖の隙間から、包帯の巻かれた手首がちらと覗いた。


 風香が夏でも長袖を着ているのは、昔からのことだった。隣の家から毎晩のように、怒号や物が投げつけられるような音が聞こえてくるのも。


 でも俺は知らない。


 その傷は親がつけたものなのか。彼女を嫌う周りの人間がつけたものなのか。それとも、彼女が自分でつけたものなのか。


 何も知らない。知るつもりもない。


 俺に出来ることはない。自分の生活すらギリギリなのだ。


「……元気でね」


 あ。


 思い出した。


『私、あなたを恨み続けます』


 夢の中では聞こえなかったはずの声がなぜ今頭に浮かんだのか。なぜ〝思い出した〟と感じたのか。


 風香と夢の中の彼女が、よく似た顔をしているからだろうか。


 彼女は恨み続けていたのだろうか。生涯ずっと。生涯を終えてもずっと。


 俺は罪悪感を覚え続けていたのだろうか。生涯ずっと。生涯を終えてもずっと。


 今回台詞が違うのは。


 恨むことすら、諦めてしまったというのか。


 窓から帰ろうとする風香の手を取った。


「連れ去っていいか」


 俺は知らない。


 自分が聞いたことの意味も。その理由も。


 出来ることもない。与えられるものもない。行く先にきっと光はない。


 ただ。


 彼女ではない全てに恨まれても、彼女に恨まれるより幾分かマシだと思った。


 ただそれだけで、今度こそ、俺は彼女を連れ去った。


 きっともう、同じ夢は見ない。

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おそらくは10回目の正直 舟渡あさひ @funado_sunshine

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