京四郎と言う男と遊女の意地

 初会の席が設けられた。


 女郎が上座、男は下座につき、女郎は客に対して斜め四十五度を向き、眼も合わせなければ、口も利いてはいけない。もちろん、目の前の食膳にも箸をつけたりはしないのだ。


 芸姑が鳴り物を弾き、舞妓が舞を舞う。


 彼は黙って酒を飲み、それを眺める。


 その後もただ私を見るだけで、何も語らず、時間だけが刻々と過ぎてゆく。遊び慣れていないのは判る。だが、女が好きでないというのであれば、男色の気でもあるのかと考えたが、それならば私を名指しはしないだろう。


 ただ金払いだけは良い。次の裏返しも問題なく行えるだろう。


 しかし彼が帰ったあと、芸姑や舞妓、他の女郎が言うにはこうだ。


「あんた、あの男はやめときな? 何が楽しいんだか、黙りこくって気味が悪いじゃないか⋯⋯名指しした女郎を前ににこりともしない男は初めてだよ。悪い事は言わないからさ、やめときなよ?」

「ふふ、今までに居なかった男だってんなら、喰ってやるまでさね」

「はん、あんたも物好きだねぇ? 腹ぁ壊したってあたしゃ知らないよぉ!?」


 確かに何を考えているのかまるで解らない。だがしかし、この胸のざわつきが、彼を離してはいけないと言っているようで、何故か気になってしまうのだ。


 これが色恋だとは到底思えない。


 触れれば斬れてしまいそうな鋭利な視線は、とても色恋にふける男のものではない。


 私の胸のざわつきとて同じこと。一つ間違えれば殺されそうなひりつく感覚。彼が作り出す独特の空気は、この吉原には似つかわしい、およそ戦場にでもいるように生死と隣り合わせの気分だ。


 だが一概に違うとも言い切れない。この吉原とて極楽と地獄が混在していて、みんな生死の狭間で生きているのだから。


 裏返し。


 初会は意地を張って冷たい態度をとってしまったけれど、そこまで熱心に想って下さるのであれば、と、少し心を開いたというていで、初めて席を向き合う形になる。


 しかし、恥ずかしくて一言も口を利いてくれず、緊張で喉も通らないのか食膳にも箸はつけない、と言う回りくどい演出を行う。これでいじらしい、なんて相手に思わせる事が出来れば、ようやく床に入るかどうかの選択になる。


 断るなら今しかない。


 仮に次を承諾したならば、この男と褥を共にしなければならないのだ。


 それにしても⋯⋯。


 あいも変わらず無骨なことよ。徹頭徹尾無表情を決め込んでいるようだ。むしろ怪訝そうな厳しい顔つきと言っても過言ではないだろう。

 他の芸姑や遊女たちもあからさまに張り付けたような愛想笑いを浮かべている。


 早く帰れと言わんとばかりに。


 彼はそれを知ってか知らずか、今日もじっと私を見つめるばかりだ。


 ⋯⋯逆に面白くなってきた。


 私とて遊女としてそれなりの経験を積んで来たのだ。手練手管とまではいかなくても、何人もの男を落として来た遊女としての意地もある。


 この男の心を動かしてみたい。


 半ば生きることすら諦めかけていた私だが、ここに来て俄然やる気が出てきたと言うのだから不思議なものだ。


「うふふ⋯⋯」


 思わず笑いが溢れてしまった。


 こんなに自然な形で笑えたのは何時ぶりだろうか。そして私、上手く笑えているかしら?


 京四郎様の顔を見ても私の顔が映るわけではない。だが、まるで姿見でも見るかのように、彼の顔を覗き込んでしまった。


 おかげで彼の顔が少し動き、不思議なものでも見るような目つきに変わった。


 次は馴染みの席となる。


 後はない。覚悟は? 決めた。馴染みとなった客とは床入りとなるのだ。怖くはないか? そんなわけはない。初めての床入りは何時だって怖かった。中には酷い客だっていたからだ。ならば後悔は? それはない。いつだって自分で決めてきた。彼のことが好きか?


 わからない。


 色恋なんて、不確かなものは信じないからだ。世の中信じられるのは自分だけだ。他はみんな他人。そうだろう? 信じるなんて言葉はみんな、信じてないからあるんだろうよ。色恋だってそう。そう言って夢中になっている自分に呆けて、そんな不確かなものに酔っているだけさね。


 何が生きる為の力だ。


 女の股に金を払うような相手に、心を許すだなんてあり得ない。


 私の心? 欲しけりゃくれてやるから、この吉原と言う監獄から毟り取って行けば良いだろう?


 そんな度胸もない奴に、心なんかくれてやるものか。


 どうせ京四郎様も⋯⋯。


 翌日、彼と馴染みとなった夜のこと、時間になっても彼は現れない。


「あらあら、小夜さん残念ね?」

「せっかく馴染みになってやったのに、逃げたでありんすか? 時化しけた男だねぇ」


 楼主の奥さんと妹分の雛菊が声をかけてきた。


「はん、客のことは悪く言うもんじゃないよ。わっちの色が足りんせんかっただけさね⋯⋯」

「小夜さんがその気になりゃ花魁だって目指せる玉だと、私は見立ててるんだよ?」

「女将さん、つまらない冗談はよしてくんなんし。わっちはそんな玉じゃねえって言ってるじゃあありんせんか、ねえ、雛菊?」

「小夜姉⋯⋯」

「おやおや、いつもの強気な小夜さんが、今日は弱気なこった。まさかあの男に惚れたんじゃないだろうね?」

「はん、まさか!?」


 とか言いつつ、期待していた自分が情けない。まるで浮き寝の鳥のような気分だ。


 馴染みとなるには揚げ代の他に床花(祝儀)が必要となる。疑似結婚とはいえ仮初の夫婦となるのだから、それなりの費用が要るもんだ。それが準備出来なきゃ馴染みとなったとて⋯⋯。


「ふぅ⋯⋯」


 煙管に火を点けて、煙と共に心に支えた息を吐き出した。


 まだ、夏が来るには早いと言うに⋯⋯今日も格子に咲く朝顔と成り果てるのか。


「姉さん!!」

「ああ、すぐ行くから──」

「──違うんです!! あの男が来んした!! それがとんでもなく⋯⋯」


 とくん。


 まただ、胸が鳴る。


 京四郎様が来た!! 来てくれた!?


「雛菊、これから準備します。待ってもらってくんなんし。くれぐれも粗相のないように、頼みんしたよ?」

「はい、小夜姉さん!!」

「それから今夜のわっちは『咲夜』でありんす。間違えてはなりんせん」


 駄目だ。


 胸の高鳴りが抑えられない。こんなに胸を高鳴らせた馴染みの席は初めてだ。


 今宵の私はにだって負ける気はしないよ!!












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