朱角
「いっつ……くぅううう……っ!」
「あ、主どの! 大丈夫ですか!?」
世羅は仰向けの状態で地面に寝ていた。
月乃は彼に折り重なるように腹ばいになっていて、お互いの額が擦れる位置で言葉を交している。
折れた両腕は、自分の体と月乃の体に挟まれ、逃げ場を失っていた。
「大丈夫じゃあないっ! 降りてくれっ!」
ボスの攻撃が直撃し、月乃はかるがると打ち上げられた。
ダメージは深刻で、受け身すら困難にするほどのものだった。
死に体となった彼女へ、ボスは必殺の一撃を放つ。
間一髪、世羅は月乃を空中で捉え、その攻撃をやり過ごしたまま落下。
自らの体を月乃と地面の間に滑り込ませ、クッションの代わりすら果たしていた。
「もうしわけっ……! くっ、あああっ!」
月乃は慌てて身をよじったが、不意に襲ってきた痛みに悲鳴を漏らした。
「ぐっ! 動くなっ! 腕がっ!」
いまの世羅にとって問題なのは、折れた両腕を、月乃が痛めつけてくるという事態だ。
決して彼女に悪意があるわけではないが、少女の体に挟まれた両腕は
さらに最悪なのは、月乃の傷も深く、世羅の上から降りることすら困難だったこと。
無理に動こうとすればするほど、体の力が抜け、世羅の腕をただただいたぶっていた。
『なにやってんの!? なにやってんだこのビッチがぁ!!』
見ようによっては抱き合っている。いや、事実として抱き合っていた。
実際には受けたダメージで体がいうことを聞かず、ふたりで
しかし、ボスの曇った
ボスは、さらにこう考えていた。
世羅が月乃を助けたということは、彼が自分ではなくビッチを選んだ、と。
そして、その“間違った選択”は、月乃が世羅をたぶらかしたことが原因である、と。
『ふっざけんなぁっ! 返せって言ってんだろっ! この女ぁっ!!』
ズシン、ズシンと、地響きが鳴る。
体が震えるほどの激情が、ゆっくりとした歩みを通じて、"
《“所有”トリガーによる、カタリシス反応……210%……》
「月乃、はやく……どけっ!」
「うぅ……か、体が動きません……ッ!!」
もはや、冷静を装っている場合ではないと、世羅は声を荒げた。
体勢を立て直し、次の攻撃に備える必要がある。
だが、やはり、月乃のダメージは深刻で、その身ひとつを立て直すことすらままならなかった。
『いちゃつくんじゃないよぉ!! キス案件だろそれは!!』
誰がどう見ても、抱き合って喜んでいる状態ではない。だが、ボスにはそう映っているようだ。
そして、いまにも爆発寸前。着火した導火線が火薬樽に向かっている、そんな錯覚すら起こさせた。
「ちっ……!」
世羅は予想される腕の痛みに備えて歯を食いしばった。
「主どの!?」
両腕は使えないが、上半身の捻りと、下半身のバネで、月乃を押しのける。
ボスが迫ってくるのと、ちょうど、反対方向に彼女は転がった。
『なんだそれ……なんだそれぇ! 世羅ぁ! キミのタメだって言ってんだろぉ!!』
ボスはいっそう声を荒げた。怒りに、ほんのすこし悲痛が混じっている。
月乃を跳ねのけたあと、世羅は地面をくるりと転がり、膝をついて立ち上がっていた。
ボスと月乃の間に立ち塞がり、行く手を阻もうとしている。その意思は明確だった。
「主どのっ! わたくしのことはいいですっ! お逃げくださいっ!」
「黙ってろ!」
打算的ではあるが、同時に定石でもあり、セオリーである。
クランマスターを将棋に例えるなら"
盤面が良かろうが悪かろうが、“
歩はおろか、飛車角、たとえクイーンだろうが、"
『世羅ぁ!!』
ボスは喉が潰れるほどの
世羅のその行動に、何の意味があるのか――分からない。
当たりまえのように配下を使い捨ててきたボスには、当然のように理解できない。
だが、伝わるものはある。世羅が合理ではなく月乃を選んでいるということだ。
そんなことが許されるはずがない。
「あーしじゃそんなに時間稼げないからねっ!」
世羅のまえに、影がひとつ躍り出た。
『別のビッチ!? 世羅ぁ!! オマエいい加減にしろよっ!?』
ヤミ子だ。両手を広げボスを通せんぼしている。
メリハリのある体のラインは、あらゆる男を魅了するだろう。
だが、三メートルの巨体の行く手を阻むには、あまりに心もとない。
「ヤミ子っ! オマエも下がれ! まえにでるなっ!」
「無理っ!」
「何が無理なんだっ!」
「ふたりを放っておけないし!」
五体満足の世羅であれば、ヤミ子を押しのけて自らまえにでている。
だがいまの彼では、それができない。ヤミ子の脇を抜けようとしても、背中を向けられ、広げた腕でブロックされてしまう。
ヤミ子の献身は誰の目にも明らかだった。
『どけぇ! 黒ビッチがぁ!!』
そして、ヤミ子のその姿は、やはりボスの神経を
ボスが両腕を開くと、三人をすっぽりと覆い尽くすほどの大きな影が伸びた。
「くそっ! まずいっ!」
世羅はひとつ焦りの声を漏らした。が、同時にひとつの考えが浮かんだ。
「ヤミ子っ!
変異体:淫魔――その
彼はそれを行使するようにヤミ子へ命じた。
「無理っ!!」
「だから何でだ!?」
「だってこの子は、おんなの――」
『うがぁあああっ!』
ボスは何の小細工もなしに、ただ真っ直ぐ三人がいる場所へ飛び込んだ。
「バカ野郎っ!
ボスの巨体が、ヤミ子を押しつぶそうとするその瞬間だった。
世羅の背から飛び出したふたつの影が、ヤミ子を
入れ替わるように、世羅がまえに躍り出た。
ドゴンッ!!
「うぁっ!」
「きゃあっ!」
世羅、ヤミ子、月乃の三人は、まるでボーリングのピンのように散り散りに吹き飛ばされた。
世羅の
地面と巨体に挟まれ、すり潰され、地面の染みになっていたはずだ。
『世羅ぁ! 危ないだろうっ! もういい……もうわかった……! もう終わらせるっ!』
冷や汗を流したのは、むしろボスの方だった。
女ふたりは蹴散らしたいが、世羅を傷つけたくはない。
しかし、どんなに自分が気を配っても、世羅が出しゃばるのだ。
愚かで守る価値もない、ビッチを
ありえない――早く救わなければ――彼が危険だ。
『世羅くん……キミをさっさとボクの“
重く大きな体がゆっくりと歩みを進める。
しかし、どこかフラフラと足取りが揺れている。
故に、対峙する者にとって酷く危険な相手に見えた。
『キミを正さないと……キミを正してあげる……キミは、ボクの“
吹き飛ばされた衝撃で、世羅は両腕をさらに痛めていた。
辛うじて声を抑えているが、体はいうことを聞かない。立ち上がることすらできず、地面に伏したままだった。
ゆらゆら、ゆらゆらと、ボスは世羅に近づいた。
そして、手を伸ばせば届く位置で立ち止まった。
世羅の足から頭までゆっくりと視線を向けると、さらにゆっくりと片腕を上げた。
その巨椀が彼を捕まえる、その瞬間だった。
『はっ……? 何? 何なのオマエ?』
反対側の腕が動かない。誰かが掴んでいた。
『ボクさぁ、いま怒ってんだよ……ウザいこと辞めてくれる? 寝てろよ? ぶち殺すよ?』
その手は、白くしなやかで、それでいて
「怒る……? それはこちらの台詞でしょう……?」
指先から腕に向かって視線を送ると、その先には一本の角があった。
『あっ?』
その角は紅く紅く熱を帯びて、空気を焼いている。
「わたくしに、覚悟が足りぬばかりに……こんなことに……
ちりちりと燃える炎が、青いオーラと混ざりあい、紫煙が揺らめいた。
角を覆う黒髪は焦げるでもなく、心を映す
『なにゴチャゴチャいってんの? 離せよこの野郎っ!』
ボスは月乃の腕を振りほどくために、乱暴に腕を振った――つもりだった。
『えっ? なにっ? 力、強っ……!?』
巨腕はがっしりと固定されて、動かすことができなかった。
「主どの……」
月乃はうなだれるように顔を伏せていた。その表情は、誰にも見えていない。
だが、その声の圧がいままでとは違っているのは、皆にとっても明らかだった。
《“憤怒”トリガーによるカタリシス反応……230%……》
「……何だ?」
世羅は息も絶え絶えだが、声を絞り出すように応えた。
「本当に……この者……殺めてしまってよろしいのですね……?」
口調は穏やかだが、その身は炎を
世羅はこの質問にも迷いなく答えた。
「無論だ」
「責任……取っていただけるんですね……?」
この責任というものが何を意味するのか、それは世羅にもハッキリとはわからなかった。
だが、それが何であれ、月乃が求めるのであれば構わない、世羅はそう決めていた。
「当然だ」
月乃は静かに目を閉じた。
そして、覚悟を決めたように、ゆっくりと顔を上げた。
「承知いたしました」
その言葉に、ボスが激しく反応した。
『はぁ!? 承知って何だ!? オマエにできると思ってんのか!? このチビッッッ!!』
「……できますとも。できるに決まっておりましょう……?」
月乃の声は静かだが、その身から
『チビ! チビ! チビッ! 生意気いってんじゃねーぞっ!!』
ボスが
月乃の目線の高さが、変わっている。
『……って、何だ? 何だこいつ? デカくなってね……??』
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