応急処置

 廃工場に緩やかに吹き付ける風が、周囲の木々を揺らしていた。

 普段は人の立ちいる気配などなく、朽ち果てた人工物と、それに覆いかぶさる木々がきしむ音だけが満ちる、静かな場所だ。


 だが、いまはその静寂が完全に失われていた。

 鉄と鉄がぶつかり合い、壁が砕けるような激しい音が、廃工場一帯に絶え間なく響いている。

 建物と茂みに遮られ、正確な距離こそ掴めないが、すぐ近くで戦いが起きていることは明白だった。


「こいっ……ヤミ子……」


 耐えがたい痛みに耐えながら、世羅はかすれた声を絞り出した。

 その声量はあまりに弱く、鳴り響く戦闘音に、すぐさまき消されていった。


《承認します。転送開始》


 MONOLITHが静かに応答した。

 その機械音声は、世羅が左腕にめるR.I.N.Gリングから低く響いた。


「……なんだ? 承認? ……なぜオマエの許しが必要なんだ? 召喚サモンは私の異能ドライブだろう?」


 世羅にとって、MONOLITHの反応はまったくの想定外だった。

 これまで何度となく使用した異能ドライブだが、このような反応ははじめてだ。


《そうです。あなたの異能ドライブです。あなた“だけ”のものであるかは明言しません。その保証もしません》

「公平性のためにか……? 他がどうとか聞いてはいない……単にオマエが気に入らなければ却下もあり得るのか? それは教えろ」

《あり得ません。“よほど”のことがない限りは》

「その“よほど”の基準が知りたいんだがな……」

《……》


 問いかけに、MONOLITHは沈黙した。

 そして、世羅もその無反応に腹を立てる様子はない。


 異能ドライブへの介入があり得るという事実、そして、その能力をMONOLITHがもつという点は、世羅にとって驚くべき内容ではなかった。

 世羅悠希――彼は変異学のスペシャリストだ。ただしそれは外界げかいにおける肩書であり、いまの彼は第三学園の学生という立場に過ぎない。

 その詳細はのちに語るとして、ここで重要なのは一点だ。

 外界げかいの科学力をもってしてもMONOLITHの全容はまだ掴めていない。それでも、変異島しまの人間たちよりは遥かに理解が進んでいる、という事実である。

 ゆえに、この先に述べる仕組みについても、世羅にとってはすでに把握済みの内容である。


 変異体の驚異的な身体能力や異能ドライブは、体内に宿る変異種シードによってもたらされる。

 変異種シードとはナノマシン群の総称であり、同時に高密度なバッテリーでもある。

 体内でエネルギーを蓄え、変換し、放出することで異能ドライブが成立する。


 単純な異能ドライブであれば個体内の処理で完結するのだが、召喚のように処理が複雑で、個人の処理能力を超える異能ドライブには、MONOLITHの介入が必要不可欠だ。

 MONOLITHは異能ドライブの起動を監視し、リソースを割り当て、ときに制限する。

 つまり、与えることも奪うこともできる、神に等しい存在。変異島という舞台を支配する、まさしくゲームマスターそのものなのだ。


《転送中です。まもなく完了します》


 怒ったところで仕方がない。それでも、皮肉のひとつでもぶつけてやりたいと、世羅は思った。


「見ればわかる」


 しかし、実際に口をついて出たのは、ウィットの欠片もない、不機嫌な言葉だけだった。


 その直後、目のまえの空間が“にじむ”ように揺らいだ。

 それを合図に風景が折りたたまれ、幾何学的なノイズへと変換されていく。


 まず、ローファーが現れた。モザイクがかった色の羅列から輪郭が浮かび、黒革のつま先が現実に形を成す。

 続いて健康的な脚線美が編まれていく。ヤミ子を名指している以上、その脚が誰のものかは明白だったが、小麦色の肌は、その確信をより強固なものにしていた。

 淡い粒子の光が膝から太ももへと走り、肉体そのものが再構築されていくようだった。

 光のスキャンラインが上へ進むたび、粒子が弾け、無数の残光が空中に漂い、やがて空間へと溶け込む。


 次にスカートの影が生まれる。折り返して短くした制服のスカートが粒子の流れに乗ってはためき、その内側の黒い下着までも露わになった。

 しかし、彼女がそれを隠そうとするそぶりはひとつもない。

 下着を見られること自体を気にしていないのか、あるいは世羅に見られる分には慣れているのか――いずれにせよ、いま考えるべき話ではない。


 上半身が遅れて形を取り始める。

 胸元、肩、背中の羽根、そして銀髪が流れるように構築され、最後に瞳へと色が差し込んだ。

 輪郭が完全に現実化する直前まで、空間には幾何学的な紋様(魔法陣と呼んでもいいだろう)が浮かび続け、“転送”というより巨大な演算処理の途中経過のようだった。


 やがて光が収束し、風景が形を取り戻すと、ヤミ子が完全に姿を現した。


「マスターっ! 言われた通り多胡の足止めしといたからねぇ! 偉いっしょ!? んで、こっちの調子は……」


 ヤミ子は軽くジャンプしたような高さに転送されていた。

 やや浅い中腰で着地の衝撃を逃しながら、一息にまくし立てる。


「って……! なにそれぇ!! 腕がハムみたいなってる!! 気色わるくねぇ!?」


 召喚の勢いそのままに、ヤミ子は世羅の青ざめて膨れ上がった腕を見た。そして、すぐに素っ頓狂な声を上げた。

 驚きと不安と心配が全部混ざった、彼女らしい反応だ。


「……騒ぐな……痛む……」


 世羅は顔をゆがめ、短く息を吐く。声を張られるだけで振動が腕に響いた。


「あっ……ごめっ! 痛いっ? てか、痛いに決まってるか……マスター大丈夫ぅ!?」


 ヤミ子は慌てて世羅のそばにしゃがみ込むと、ただ心配を始めた。


「とりあえず……応急処置を頼む……」

「あーしに任せてっ! でも、応急処置って何をすればいいん?」


 自信満々に言い放つが、同時に迷ってもいる。


「固定してくれ……棒でも何でもいい……折れてるんだ……」

「わかったっ!」


 ヤミ子はきょろきょろと周囲を見回し、草むらに足を踏み入れた。

 この廃工場の敷地には、使えそうな木の枝はいくらでも落ちている。

 何本かを試しに握り、強度を確かめると、適当な太さの枝をばきんと折って戻ってきた。


「そこに座ってっ! ゆっくりでいいからっ!」


 世羅の体を支えながら、半ば抱きかかえるように地面へ座らせる。

 乱暴に見えるが、力加減だけは妙に丁寧だった。


「……いっつぅ!」

「痛いよね? でも、あーしがついてるから! 大丈夫だから!」


 励ましながら、ヤミ子はためらいなく自分の制服をつまむと、そのまま脱ぎ始める。


「何をしてるんだ?」


 世羅が息を切らせたまま、困惑の声を漏らす。


 ヤミ子は制服を脱ぎ捨て、下に着ていたタンクトップにも手を伸ばした。

 それを頭上でひょいと脱ぎ去った瞬間、あきれるほどに大きな胸が強く揺れた。

 続いて黒いブラが露わになるが、それすらも気にする様子は一切なかった。


「見たままっしょ!」

「着替えか……?」

「バカっ! 黙って大人しくしてな!」


 脱いだ拍子に乱れた髪も、汗も、お構いなしに、ヤミ子はすぐに動き始めた。

 顔のまえに掌を掲げる。その靭やかな五指の先で、銀のラメでデコられたネイルがギラついていた。


 シュッ! シャッ! シャッ!!


 次の瞬間、ネイルがひらめき、制服とタンクトップの布地が見事に切り裂かれ、細長い布紐がいくつも生まれていた。


「ほぉ……その爪……ただの飾りかと思っていたが……武器だったか……」

「そーだよ! ギャルのファッションなめんなよ〜? 全部武器だしっ! ほら腕っ! 痛むだろーけど、いまだけガマンしとけって!」


 口ぶりは荒いが、ヤミ子の動きは驚くほど優しく、柔らかい。

 世羅の折れた腕をそっと持ち上げ、自分の胸の上に乗せる。

 手慣れているとは言えないが、拾った棒を世羅の腕に添え、即席のひもで、丁寧に固定していく。


 その動きはよどみなく的確だった。世羅が痛みに顔を歪めても、ヤミ子は迷わず続けた。

 すでに欲望強化リビドーブーストは効果を失っていたが、その余韻が治療因子ヒーリングファクターをわずかに刺激していた。

 壊れた筋肉と骨は、ゆっくりと回復に向かっているが、放置して数分や数時間で再生する状態ではない。

 粉砕した骨がようやく癒着をはじめ、二つに分かれていた上腕が、かろうじて一つの形を保っているだけだった。

 衝撃が加われば、また折れる。何より、絶え間なく押し寄せる痛みが容赦なく意識を削っていく。


「……くそっ! 痛ぇっ……!」


 彼の腕を支えるため、ヤミ子の胸はぺしゃんとひしゃげていた。

 本来なら心地よいはずの柔らかさが、いまは腹立たしいほどの痛みとなって世羅を襲っている。


「我慢しなってっ! 男の子だろっ!」

「だから泣くのは我慢しているっ……!」


 いまは、かろうじて、だ。


 ほほを伝い流れた涙の跡に土埃つちぼこりが張りつき、うっすらと線を描いている。

 ヤミ子は当然それに気づいていたが、そのことを指摘するほど無神経なギャルではなかった。


「強い子だねぇ~! 帰ったらご褒美ねっ! ……んっ! よしっ! 応急処置終わりっ!」


 ヤミ子は膝立ちのまま世羅のまえに身を寄せた。そして、彼の頭をそっと撫でると、ニッと笑った。


「……まったく酷い目にあった……」


 痛みが消えたわけではない。冷や汗も止まらない。

 だが、しっかり固定されたことで、気を失うほどの鋭い痛みはなくなっていた。


「そだねっ! マスター、立てる……? 支えるから、一緒に行こ? 病院」


 ヤミ子はひょいと立ち上がり、きょろきょろと周囲を見渡す。

 この場所がどこかは解らない、それは道すがら世羅に聞けばいい。

 まずは開けた場所へ出て、最寄りの病院を探す。

 そんな段取りを頭のなかで一気に組み立てると、ヤミ子は振り返り、世羅へまっすぐ手を差し伸べた。


「……ヤミ子……」


 差し出された手には触れず、世羅はヤミ子の目を見据えた。


「ん? なに?」

「その辺に第八学園の連中がいるはずだ……適当に見つけて、そいつ等を呼んでこい」


 その言葉を聞いた瞬間、ヤミ子は目を大きく見開いた。

 病院へ向かうつもりだと思っていた分、理解が追いつかない。


「はぁ? 何いってんのぉ!?」

決闘デュエルの相手だ……呼んでこい」

「知ってるしっ! なんで、そんなことする必要があるん!? マスター怪我してんじゃん!? まずは病院だろ!?」


 世羅が冗談で言っているようには到底見えなかった。

 だからこそヤミ子は両手をバタつかせ、半ば泣き声に近い調子で叫んだ。


「わかっている! 同感だっ! だが、呼んでこいっ!」


 痛みによる焦りが、彼から“理由をつたえる”という最低限の手順を奪っていた。


「だから何でなんよぉ!?」

《再度、警告します。ただちに敵勢力と交戦してください。これ以上の遅延は戦意喪失と判断します》


 割り込むようにして、MONOLITHの機械音声が響く。


「はぁ!? なにそれ?? こいつマヂで言ってんのぉ!? 怪我してるんだよっ!?」

《世羅悠希の状態ステータスは評価項目に含まれません。判断基準は戦意の有無のみで――》

「ふざけんなっ! マスターはほっといたら死ぬまで戦うに決まってるっしょ!?」

《根拠が必要です。そして、その根拠は実際に戦うことでしか――》

「この男、嫉妬モンスターなんだよ!? 素直に負けて、あーしら手放すわけないって! だから逆に病院連れてくんだよっ!」


 月乃ほど真面目でもなく、ソフィアほど深読みもしない。

 だからこそ、ヤミ子は世羅悠希の核心――彼が抱える“執着”そのものを素直に理解していた。


「……おい、ヤミ子……」


 本人がそんな本質を素直に認められるはずがない。

 例え事実だとしても、あまりに恥ずかしいではないか、そのような性根は、あまりにも“男くさい”。


「……オマエは私をそんな風に――」


 ――ドンッ! ドンッ! ドンッ!!


 言葉の途切れ際を断ち切るように、間際の工場棟で何かが爆ぜた。


「ぎゃあっ! ちょ、なに!? いまの音なに? ムリなんだけどぉ!」


 急な爆音に肩を跳ね上げ、ヤミ子が悲鳴を上げた。


 その直後、地面が震え、古い壁が崩れ落ちて瓦礫がれきが舞う。

 振動の余韻を残したまま、二つの影が崩壊しかけた屋根を破って跳び出し、世羅たちの近くへと着地した。


『なかなかやるじゃないか“ドチビ”がぁ! すぐに捻り潰すけどなぁ!!』


 着地した巨体――ボスがえた。


「図体ばかり大きくても……中身がそれでは、なんと残念なことでしょう……」


 その挑発に応じたのは月乃だった。

 静かな口調には怒気がはらまれ、抑えきれない“憤怒”がその瞳に宿っていた。


『中身がないのはオメーだろっ! クソビッチっ!』


 ボスは胸のまえで腕を打ち合わせた。

 胴体の半分ほどもある腕がぶつかり合い、ゴォン、ゴォンと鈍い音が響いた。

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